唐突だが、私は「人生の(割合)損してるよ」というクリシェが嫌いだ。

 この語句の印象を問えば「どちらかといえば好ましくない」「嫌い」が割合的に多く、あとは「どちらでもない」で、「好き」「どちらかといえば好き」と回答する人は少ない気がする。

 この語句の使用者も好き好んで使ってはおらず、無意識に使ってしまっている場合がほとんどなのではないだろうか。

 かくいう私もいつの間にか口から飛び出しているかもしれないが、意識する限りはこの言葉を耳にするとムッとしてしまう。


 まだ、人生においての難関をショートカットする手口だったり、人生を一転させるライフハックならば割合損してると言われても仕方ないかもしれない。

 だが、多くの場合は食べ物や何かしらの作品である。

 こういった謳い文句を用いて何某かを勧めてくる輩に出会うたびに私は内心で中指を立てながらこう思う。


 そんなもので欠落するほど私の人生は空虚ではない。


 私の人生において"それ"が無いことで損する部分は大抵他の何かしらで代用が効く。

 知らぬまま人生が終わりが迎えるとて「"それ"を知らずに死んでしまうとは」と嘆くことは決して無い。

 たとえ今ここで出会ったとて、これまでの人生において出会わずにいたことを後悔することはなく、精々「今ここで出会えてよかった」と感動するくらいであろう。

 私の人生は案外今までの出会いの蓄積で満たされている。

 そこにケチをつけられると「貴様は私の年表を読んで来たのか?」とガンをつけて返したくなる。


 簡単に他人の人生を否定してはいけない。

 自分の人生を否定していいのは己のみである。




 この考えだけは持たずにいると人生を損している。

 何割?うーん、2割程度か。