社会に出るということは、社会と繋がりを持つことだ。

 社会に溶け込むにしても、社会の中心に立つにしても、社会の在り方や情勢を知らなければ出来ないわけで、何かしらの繋がりを持つことが余儀なくされる。


 ここしばらく私は社会と断絶したような生活を送っていた。

 厳密に「断絶した」と言えば、まるで山に篭って仙人になっていたように聞こえるので、あえて首の皮一枚繋がっていたことを仄めかし、同時に己が高尚な存在に登っていないことを明示する。

 山に篭っていたのではなく家に篭っていたのだ。

 ロクでもない生活である。

 家から出ずにいれば、ニュースも積極的に見るようなこともなかったので、外から得られる情報は自然と窓の外の景色だけになる。

 冷房の効いた部屋から見える窓の外は、晴れていたと思えば少し眠っている間に夜になっていたぐらいのもので、特段何か大切なことを教えてくれることもない。

 ネットを見ればやれ40度に迫るほど地球は暑くなっているだの、台風がジリジリと近づいているだの、南海トラフによって日本全土は危機に瀕しているだの飛び交うが、この部屋から見える景色は何も変わりはしない。

 寝て起きている間に台風が過ぎ去っていようが、アスファルトが暑さで溶けようが気付かないだろう。

 私は社会とほとんど隔絶している。


 しかし、これを良しとするほど私の社会性は干からびてもいない。

 社会貢献を、と崇高な目的を抱けるほど立派でもないが、何かせねばという危機感は抱いている。

 今の私は社会を知らなすぎる。

 無知が心内で社会を遠ざけ、遠ざかれば遠ざかるほど無知が加速し更に社会が遠ざかる。

 無知の知を自覚すれば偉いかと言えばそうでもなく、自覚してから知ろうとしなければ意味はない。

 社会に出よ、外の空気を浴びよ。

 今の私に課せられたミッションである。