執着
shigeの一周忌法要、ご住職がお聞かせくださったのは、私が過ごしたこの1年をお見通しだったかのような法話だった。執着を捨てなさい前回のブログを投稿してから間もなく、私は受け入れがたい惨事に見舞われた。shigeの部屋から箪笥2竿分の洋服が消えていたことに気がついたのだ。クローゼットからも半分以上の洋服や思い出の品が消えていた。shigeが他界し3ヵ月しか経っていない時期に。父の自宅療養を前に今できることは何か、学んでも学んでも追いつかないような焦りを抱えていた時期に。私は、思い出のトリガーを失い、怒りに震えた。ひとつひとつに宿るストーリーを知らない人間がなせる業だった。故人との関係性を無みすることが、私には許せなかった。執着。私は、shigeのように美しく丁寧に生きる様を真似して生きていこうと思っていた。キラキラした幸せのまま終わらんとしていたふたりの思い出に、ゴミが付いたかのような感覚。取り返しのつかない段階で、別れの最後が汚された悔しさ。何年もかけてshigeと共に積み上げてきた悲しみのプロセスをあと一歩のところで台無しにされた悔しさ。品物は、ただのモノ。しょうもないことを・・・と思う人もいるだろう。だが、私は今なお苦しんでいる。このゴミが、shigeとの思い出のひとつとして、私の人生に割り込んできたことに反抗して止まないのだ。私は自分の醜さを受け入れ、執着を捨てなければならない。過去への執着。自分を正当化することへの執着。今日また、職場で、ストレスチェックをした。結果は昨年より良くてA判定だった。唯一のレッドゾーンだった活気は戻り、昨年同様に同僚の誰よりもストレスフリーの状態という結果だった。また大笑いし、ついでにmgramという性格診断を試した。いろんなこと、自分が思うほど大した問題ではないのかもしれない。いつでも励まし、慰め合った相棒の精神は、私の中にある。彼女の教え、導きが汚されたわけではない。大丈夫だ。同じ轍は踏むまい。