最初に訪れたのはサンフランシスコ教会修道院。


建物の前にとてもは大きな広場がある。

教会を中心に街を開拓した歴史を思う。集いの場として現実的に、信仰の場として精神的に、莫大な役割を果たしてきた場所。

布教と支配は同義語であること、その場に立つとひしひしと伝わってくる。


そういう側面からキリスト教を想うとき、計り知れない憂鬱で気持ちが重くなる。

博物館に展示された品々を見たところで、それらが意図するものに何ら共鳴できない。


なにを感じろというのか?





そんなことはともかくとして、建物は美しい。
鐘楼まで登ると街が見渡せる。
街の全容を把握するにはちょっと良い観光スポット。

とにかく晴々しく気持ちが良い。











自撮りで何か活動してる若者。イケメンということで一緒に記念撮影(笑)








アラブ建築の影響色濃いパティオを囲む構造。

心静まる場所。戒厳に信仰を積んだ人々が築き上げた場の波動なんだろう。








教会の最前列に座って祭壇を眺める。


真の信仰にこんな絢爛豪華さは必要なのか?

ここに使われている金(キン)は、この国の資源。


金を採掘するために支配された皮肉を思うと、虚しさ憤りを感じてしまう。

創造物としては素晴らしい技術ではあるのだけれど、わたしはこの作品に何を感じたら良いのだろう?













日本に布教したザビエル派の教会なので、

故郷高槻が隠れキリシタンの地なので、

子供の頃から引っ掛かってきた宗教ってなんだ?って問題定義を旅の冒頭でふっかけられてきた。地球の裏側でどんより暗い気分になった。





ま、それはともかく。

キリスト教文化の中にイスラム芸術の影響を見つけると嬉しくなる。素直に美しいと感動できる。