2〜3日、空いてしまいました。
思い出しながらなので、ご容赦を。
闘病生活も、早半年…。
やっと、東京に帰れる…と思ったら、家の近くの大学附属病院への転院でした。
ま、群馬では、父や祖母達がお見舞いに来るのも
一苦労でしたからね。
当時、子ども心ながらに思ったのは、東京の病院は、
なんか冷たい感じだなぁと言うこと。
群馬の病院は、古いんだけど…。
暖かみがあったというか。
東京の病院は、群馬の病院よりは設備とか建物とかは
近代的でしたけど(古い病棟はありましたよ。何か、
陰気な感じだったけどねー。)
全体的に冷たいというか、無機質というか。
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完全看護体制で、母が付きっきりじゃ無くなった事も
大きかったかも知れません。
母にしてみれば、楽にはなったでしょうが、5歳児は
心細くなってしまって、かなり泣き虫になってしまったのです。
夜のおトイレも1人で行かなくてはならず(この頃は、病室にトイレなんて付いて居なくて、誰も居ない薄暗くて長い廊下を歩いて、これまた薄暗いトイレに入らなければならず、めちゃくちゃ怖かった。お腹が痛くなったりしたら、もう大変でした。)
どうしても怖くて、ナースステーションまで行って、看護婦さんに付いて行ってもらう事が何度もありましたね。
ご迷惑をおかけしました、当時の看護婦さん達🙏
記憶に残っているのは、寂しさです。
廊下の壁に寄りかかり、閉まっている窓から、ただただ空を見ていた。そんな記憶しか無いです。
まぁ、1ヵ月半位で退院出来たのですから、色々と
治療してくれたのでしょうが…。
退院しても、1週間に1回くらい、外来で細かく診察されました。
大学病院だからか、医者のタマゴのインターンみたいのが沢山居るんです。私の診察していたのが教授か何かだったのかな?次々に、診察されている私を取り囲んで聴診器🩺を当てるんです。
まるで実験体みたいな扱いだった!と、母が憤って👿いたのを憶えています。
私は、ちょっと我慢していれば、ご褒美のお菓子が買って貰えるので、どうでも良かったです。笑😁
👾 👾 👾 👾
この病気のせいで、血が苦手になってしまいました。
今はだいぶ落ち着きましたが、子どもの頃は鼻血が出ると(後遺症なのかな?出やすくなってましたね)
引きつけみたいになって、次には硬直してしてしまう。また、ずっと止まらなくなる!って思ったんでしょうねー。
今でも流血するような状況だと、狼狽えます。
鼻血は、出なくなりましたケドね。
だから、なりたかった獣医さんも断念。
まぁこれは、頭も良くなかったと言う事もありますが😬
幼稚園の年長組に行けなかったので、他の子供より、ちょっとのんびりして、抜けていたのですよ。
年長組の時期は、1年生になる準備なんかをするのかな?それを受けれなかったと言うのは、大きかったようです。
年長組、大事です😔
さて、退院し、小学一年生になりました。
クラス分けの為の、ちょっとしたテストみたいなのをした記憶がありますが…。
良く無かったんでしょうねー、担任になった女の先生から いじめ を受け始めたのです。
( つづく )
