めまぐるしく色々な事が起こっていて疲労困憊しています。



①彼の組織復帰・・・・・でも何だか今までと違いました。いい意味で。

②それなりに交わりがあり、彼とは友人である研究生が組織から離れました。

③研究生仲間だった方が組織の現実を垣間見て病んでしまい不活発に。

④昨年夏にバプテスマを受けたばかりのA姉妹が雲隠れ。
 この姉妹の一家(姉妹以外は元研究生と未信者の家族)と親しい私から
 色々と情報を引き出そうとしたり、A姉妹の動向を知らせるようにと言ってくる会衆の人たち。

⑤もう関わりがないのに研究参加を勧めたり巡回監督に会わせようとする長老夫婦。

⑥相談もなく食事会の場を勝手に私の家にして話を進めているベテラン姉妹と長老。

⑦組織を離れた若い二世たちに手当りしだい集会出席、組織復帰の猛攻をする会衆。

他にも色々・・・・

証人はその口からの言葉とは裏腹に
人を追い込んだり不快にさせるのがお好きなのでしょうか・・。
それともお得意の「動機はいい」けれど「人間の不完全だから」。ですか?
何にしても正直迷惑です。


約半年の休息(不活発)期間

私の生活は本当に平和で、

2人の間に衝突や喧嘩はなく、

疲労と心労の両方から崩しがちだった

私の体調も落ち着きを取り戻していました。

唯一一緒に過ごせる日曜は、

毎週集会、研究、交わりなどで潰れていたのに、

一緒に散歩に出かけたり料理をして楽しんだりもできました。

何もせずただのんびり家で過ごすだけの日もありました。

平日は彼が仕事へ持っていくお弁当を作り、

家事をして、繕い物やゲームを楽しみました。

特別でない普通の日々が穏やかで幸せでした。


でもそんな日々が1年の終わりとともにやってきました。

12月31日...彼は突然JW活動に復帰。

週2回の集会と研究を再開しました。

直前に報告は受けましたが、

それは一方的でちゃんとした相談をしてくれなかったこと、

復帰の日が12月31日という日であったことに私はとても傷つきました。

そしてその決定(相談なく復帰すること)を促したのが長老兄弟と

巡回監督だったことを苦々しく思いました。

彼らはどこにいても誰に対しても平和を求め、

平和を作り出す人になりなさい。

節度があり、善良な人でありなさいと話しながら

その間逆のことを平気で勧めたり行ったりするんですね。

内外を問わずJW反対者が後を絶たないのは当然に思えます。




タイトルをそのままにブログ内容を若干変更。
それに伴なって過去記事を削除しました。



ここで現在の私の立場とブログ内容について

当ブログでは私と私を取巻くエホバの証人との個人的な日常や問題、
またエホバの証人とものみの塔に関する疑問などを思いのままに書いています。
完全なエホバの証人反対派ブログでも擁護派ブログでもありません。
ですので、双方の方から見て好ましくない文章が含まれ書かれている場合もあります。

ブログ内容に関する事や、私個人に関することでのご意見等、
メールやコメ欄で自由に発言していただいて構いません。
しかし私はマメな方ではありませんし、ブログでの繋がりややり取りよりも
現実社会で直接関わりのある事柄や人、日常の生活を優先しています。
メールへのお返事は時間をみて極力させていただけるよう努力しますが、
コメント欄へのお返事は期待しないでください。


まぁ、簡単に言うとこのブログは個人的な日記です。見て色々言うのは自由だけど
気に入らなことが書いてあっても知らないよ。面倒だしリアル優先だから逐一返事もしませんよ。
でも込み入った話や貴重なご意見にはちゃんと答えたいので
メールには頑張って返事するからね!ってことです(^▽^)b

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若い人が尋ねる〔第2巻〕37章 p304-310
バプテスマを受けるべきだろうかという質問に対する答えとして、
バプテスマによって救いに至ることができるという考えは正しいとされています。

現役の証人の方、元エホバの証人の方、ある程度研究を重ねた研究生の方などは
よくご存知であると思いますが、ここで書かれているバプテスマとは
エホバの証人として、その組織の取り決めに従って行われる(エホバの証人式)バプテスマです。
他で受けた洗礼、バプテスマは含まれません。心から神への献身を誓い事実生涯を神に捧げたとしてもです。
何故なら、エホバの証人は自分達だけが神に是認された神の唯一の組織であり、
他の宗教は神教や仏教、ユダヤやヒンドゥーはもちろんのこと、
プロテスタントもカトリックも全て偽りの宗教であり、
サタンの側の組織であると考えているからです。

では これらを踏まえたうえで、ここで書かれているように
バプテスマによって救いに至るためにはどうしたらよいのでしょうか。
エホバの証人のバプテスマを受けるしかないのではありませんか?
ちなみにエホバの証人のバプテスマを受けるには他の宗教と同様に
ものみの塔聖書冊子協会という協会の信徒、エホバの証人となる必要があります。

救いに至るめにはエホバの証人にならなければならない。
つまりエホバの証人しか救いに至ることはできないということにはならないでしょうか?

これに関しものみの塔聖書冊子協会は、よくある質問 「エホバの証人について」の記事で
エホバの証人は自分たちだけが救われると考えていますかという質問に対してこう答えています。

そうは考えていません。過去の時代に生きていた,エホバの証人ではなかった多くの人たちにも,
救いの機会が差し伸べられます。聖書は,神の約束された新しい世で
「義者と不義者との復活がある」と述べています。(使徒 24:15)
また,今は神に仕えていない人も,仕えるようになるなら,救われる見込みがあります。
いずれにしても,だれが救われるかを決めるのはわたしたちではありません。
それはイエスにゆだねられていることです。―ヨハネ 5:22,27。
そうは考えていません。過去の時代に生きていた,エホバの証人ではなかった多くの人たちにも,
救いの機会が差し伸べられます。聖書は,神の約束された新しい世で
「義者と不義者との復活がある」と述べています。(使徒 24:15)
また,神に仕えていない人も,仕えるようになるなら,救われる見込みがあります。
いずれにしても,だれが救われるかを決めるのはわたしたちではありません。
それはイエスにゆだねられていることです。―ヨハネ 5:22,27。


上記2つの囲み文は同じ内容のものですが、気になった部分の文字色を変えて強調し、
対比させてもう一度読んでみました。これはいったいどのように捉えたらよいのでしょう?

私には、「エホバの証人だけが救われるとは考えていませんが、
エホバの証人にならなければ救われる見込みはないですよ。」

と言ってるように思えます。だとするとそこには矛盾が生じると思うのですがどうなのでしょう?
書かれている事柄の意図を汲み取れていないのでしょうか。
それとも私の読み取り方が偏っている??


聖書よりも、私にはものみの塔の出版物が難解です(^△^;)