この記事には既に一度リブログをつけていますが、しつこくもう一回。

 

これは実は7年前(信じられんな〜)に別のブログに載せた記事なんですが、こんな体験をした人はそうそういないでしょうから、語り続ける必要があると思って、機会がある毎に周囲の人にも繰り返しお話してしている内容です。

 

今、書けない、という悩みを抱えておられる方にはヒントになるかもしれません。

 

本田晃一さんの「気合い入れ過ぎなんだよ」というアドバイスとはあまり関係なく、むしろ超シリアスなんですが、彼は人間が出来ているからきっと氣にしないでしょう(笑)。

 

締切が迫る中、留学の奨学金の申請書がどうしても書けない(完全に writer's block ですね)という緊迫した状況が続いている中、私がどう切り抜けたか?いやあ、思い出してもちょっとドキドキします(汗)。

 

それではどうぞ。

 

 


 

ひたすら書けない日が続いていた。

朝から晩まで10時間から12時間執筆に費やして、1週間で書くことができたのは1行だけだった。もちろんこんなことで給料を貰っていていいのか、という非難の声も自分の中で生じて来るし、何よりも締切が刻一刻と迫っていた。

このブログのことではない。留学資金獲得レースの申請書の執筆である。


それまでに4つの申請書を提出しており、そのうち3つは今回と同じ内容だったから、コピー&ペーストで済む筈であった。が、そうはできなかった。なぜなら、すでに最初に出したものの結果が届いており、もっともチャンスが大きいと期待していたものであったが、惨敗であったからだ。さらに、ぐずぐず執筆に手こずっているいるうちにもうひとつも落選通知が届く。同じ人間だから、もちろん同じ実績でしか勝負できないが、これまでと同じ内容では無理だ、と気がついていた。

その一週間の間、何をしていたかと言うと、執筆に集中できるように独り部屋にこもって、パソコンに向かって、書こうとする。すると、ふと、インターネットで何かを調べたくなる。気がつくと1時間も、2時間もネットサーフィンをしている、というザマであった。何度試みてもそうなってしまう。他のことはできるが、書くことだけはできない。次第にどんどん憂鬱になる。

極めて強力な力が働いて、私を執筆から遠ざけているようだった。異様に気が散って集中できないのである。


そのときの状況を簡単に説明すると、妻もいながら、そのままでは半年後に無職になることが確定しており、次の職場を探さねばならなかったが、私はそれを海外と決めてしまっていた。希望の職場へ行くには、向こうに私を雇ってくれるような資金はなく、生活費を捻出する為には、海外留学資金獲得レースに参加して、競争率6倍から9倍の狭き門をくぐらねばならなかった。

このレースでは、提出された申請書をもとに、主にこれまでの実績と、これからの計画の善し悪しが評価される。私は小粒の仕事をいくつか自分で仕上げていて、他の多くの計画にも関わっていたため論文の数こそ、それなりに多かったが、Nature、Science など超大型雑誌とは無縁で、はっきり言えば、華に欠けていた。しかし、半年後からの生活はこのレースにおける勝利にかかっていたのである。


膠着状態が1週間続き、焦りも出て来たとき、一体、書こうとする時に何が起こっているのか、突き止めようと思いついた。書き始める、すると一文が終る前に、インターネットに目が行く。そのとき、耳の後ろで、囁き声がするのに気がついた。

「どうせそんなのじゃ、無理だ。初めから無理だったんだ。」

文字通り悪魔の囁きである。書こうとする鼻から、こうやって全否定されていたのでは、なるほど書ける筈もない。

この膠着状態は、売れっ子の作家が書けなくなるようなときと同じなのだろう。批評家の声、というより、自分自身による批判に堪えられず、書くことができなくなってしまうのだ。


書きたい,という自分と、書きたくない、という自分がぶつかっているので、これは葛藤状態である。私の中のふたつの部分が衝突している。先述した NLP のパートモデルが、こうした葛藤の解決に役立つ。この方法はフォーカシングに似ているが、フォーカシング自体も作家のブランクに有効だ、と何かで読んだことがある。


私の中で、「進める部分」は、「これまでの書類と同じ内容でもよいから書けばよい」と言っている。しかし「止める部分」は、まったく違うことを語っていた。


いくら書いたところで結局落ちるのであれば書かない方がよい

弱点がこれだけあるのだから不利である」(自己批判


この「止める部分」の真意は何であろうか。


自分を守るため


だという。

それでは自己批判の真意は何であろうか。


研究の枠組みを捉え直す(リフレーミング)ことを勧めている

次にどういうことをすればよい仕事に成長するかを提案している

どのような申請書が求められているのかを知らせている


という答えが返って来た。


この答えを手がかりに再度執筆に挑戦するが、依然として「悪魔の囁き」はやまず、したがって書くことができなかった。


アレクサンダーテクニークを学んでいたことから、そしてインナーゲームを学んでいたことから、「批判」は「今、現在」から離れていることに問題がある、ということを知っていた私は、平日に職場を抜け出して、近所のお寺の門の前までフラフラと歩いて行き、そこで憑かれたように3~4時間もひたすら、まっすぐ歩く練習をした。どうやって自分が歩いているのかを観察することで、「今,現在」を取り戻そうとしたのである。


そして、ついに転機が訪れた。

書きたい申請書の内容はどうしても書けない。それは明らかだった。「悪魔の囁き」が聞こえた瞬間に、他のことをしてしまう。ならば、その「悪魔の囁き」を書くことはできるのではないか?と思いついたのである。

そして、書こう書こうとしていた段落に対する、「悪魔の囁き」に耳を傾け、それを文字にしていく作業を始めた。「悪魔の囁き」はあまりにも活発なので、それまでとは打って変わって、流れるように筆が進む。次の段落、次の段落、と書き進めるうちに、気がつくと A4一枚 ほどにびっちりと、自己批判と自己否定の嵐がうずまいていた。

しかし、不思議なことに、あれだけ強力で、無尽蔵に思えた「悪魔の囁き」であるが、その内容を全て書き留めると、たった一枚にすべて収まってしまい、これで書き尽くした、とはっきり感じることができた

なぜ書き尽くしたと分かったかと言うと、さっきまで絶えること無く微かに聞こえていた「悪魔の囁き」が沈黙したからである。これは意外であった。

1週間以上も自分が圧倒され続けたものは、どれほど辛辣な内容であるにせよ、その数を数えると、この程度なのか、とずいぶんホッとしたことを覚えている

書いたものを読んでみると、どの一文もまさにごもっとも、という、痛いところばかりを突いた内容と感じた。罵詈雑言、ダメ出し、誹謗中傷、痛々しく、しかも核心に迫っている。数の上では有限個であると分かったが、個々の中身は強烈であり、すべてがなぜ私が応募してもダメなのかをズバリと指摘していた


「じゃあ、俺はどうすればいいんだ?」


私は思った。批判は分かった。ごもっとも。じゃあ、いったい私はどうすればいいんですか?欠点は欠点として、いくらかでも状況を有利にするにはどうしたらいいんですか?私には後がないのでなんとかしなきゃならないんだ。

すなわち、私は次に、申請書の内容の各段落に対する、「悪魔の囁き」に対する、「反論」を試みたのである

不思議なことに、この「反論」もすらすらと流れるように書くことができた。「それはそうかもしれないが、ここの部分には価値があるのでこれを前面に出せばよい」「この論文は地味かもしれないが、それでもここだけは価値があると思う」などと、ひとつひとつ、反論して行くうちに、この反論もピタリ、と終わりを迎えた。書き尽くした,と感じたのだ。

書き上げた「反論」部分を読んでいると、先ほどまで、一分の隙もない、と思わされた「悪魔の囁き」による舌鋒鋭い批判が、ひとつひとつ極めて慎重に退けられており、絶望的に思えた状況が、案外有望なのではないかとさえ感じられた。これは単なる楽観主義ではないことに注意を喚起したい。きわめて現実的な批判の数々に答えている為、反論の中身は決して夢想的な、困ったことは笑って誤摩化せ、というものでなく、慎重かつ説得力がある、一言でいえば「リアル」なものだった。

そしてこの「リアルな反論」は、明らかに読んだ私の気分を変えた。波動が変わったのである。


ふと、気がつくと、もう申請書本文が書けるのではないか、という気がした。

そして、再度、本来の目的である申請書執筆に取りかかる。これまでの長い停滞がウソのようであった。そう、流れるように書き進むことができたのである。私は今や自分の仕事の弱点をじゅうぶんに承知している。しかも私は、その弱点にも関わらず価値を失わない、その仕事の真価を把握している。したがって、私の役目は、その仕事の真価を審査員に伝えることだけにあった。私は伝令、媒介に過ぎなかった。

丸まる1週間かけて1行しか書けなかった頁が、実に数時間で書き上げられてしまった。本文を書き上げてしまった後、段落と段落の間には、依然として「悪魔の囁き」と、それへの「反論」が差し挟まれていたが、なぜか私はその部分を保存せずに、削除してしまう。通常の自分の仕事のやり口からすると、編集途中のものを逐一保存してくので、きわめて異例なのだが、このときはなぜか、思い切りよく、全部消してしまった。それが正しい、と感じていたようだ。したがって、この「地獄巡り」のときに、私が何を書いていたのか、「悪魔の囁き」とそれへの「反論」に、何が実際に書いてあったのかは、今や知ることができない。


出来上がった文章を読むと、もちろん仕事自体は自分の過去の仕事なので、これまでの申請書に書いたものと全く同じはずなのだが、明らかに今回のものの方が一段優れている、と感じた。この地獄巡りを通じて、初めて私は自分が行った仕事の真価を知った、ということであり、それまでの書類は、真価を知らないままに形だけなぞったものに過ぎなかったのだろう。

この危機を脱してからは、申請書の残りの部分の執筆も順調に進み、連日の激務が続いたものの、最終締め切りに間に合って、原稿を無事に投稿することができた。


数ヶ月後、私の元には先に出していて結果待ちであった、他のふたつの賞金レースの落選通知が届く。このうちの片方にはかなり期待していたのだが、惨敗。結果の通知を受け取る朝、私は夢を見ていた。高校の校庭のそばを流れる川をずうっと歩いて遡って行くと、留学先に辿り着く、という夢であった。吉夢かと思ったが、受け取ったのは落選通知。失意の日が続く。

最後に残ったのは、地獄巡りをして書いた例の賞金レースであるが、これはもっとも条件が良いため、競争率も高く、例年の勝者は大半がNatureかScienceを持っており、他のレースが全敗の状況ではほとんど希望が持てなかった。


そのうち、国内での就職口の話が舞い込んで来た。残り数ヶ月で無職がほぼ確定の状況であり、マトモな人なら喜んで受けたであろう。ただ決してそこも条件が良いとはいえなかった。迷っているうちに回答期限が迫った。追いつめられた私は妻に「受けようと思う」と話した。なんと、妻は「あなたアホちゃうの?そんなところ行ってバカ共の相手をしたらあなたはすぐ気が狂うやんか」の一言。堂々たるものである。

これで目が覚めた私はこの話を断り、ついに誰もが危険すぎるから絶対ヤメロという、自費留学を覚悟する。自己資金が続く限り向こうに滞在して、その間に再度留学資金獲得レースに参戦して勝つ、ということにした。これによってどう転んでも留学はする、ということで迷いが取れて、ホッとすることができた。


さらに数ヶ月後、例の地獄巡りをした留学資金獲得レースから、正式な合格通知を受けた。