京都のホームページ制作会社 社長 年比于ブログ -5ページ目

フエルカボチャノキョウフ

私の出身地は、兵庫県豊岡市。


豊岡市という街をご存知だろうか・・・。


かばんのまちとして、有名にもなったが、今やそんなに大きな産業と言えるわけでもなく、積雪量と夏の暑さ、冬の寒さが強調される天気予報で登場するくらいの街である。



私も当時、「この街では仕事を選ぶことが出来ない」と思い、出稼ぎ組になったのだ・・・。



そして最近は、毎年お盆に帰省し、お墓まいりに行くのが恒例となっている。

実家では両親が二人暮しという寂しさである・・・・。




今年ももちろん帰省したのだが・・・。




帰省1日目は同級生と食事に行ったので、両親とは少し話しをした程度だった・・・・・・。




帰省2日目、朝食、昼食は実家で母の手づくり料理を味わう・・・。


久しぶりのお袋の味である。


懐かしくもあり、また、やはり美味いなぁ~と、しみじみと思う。



そして、折角帰省したので外食でもしようということになり、夕食は家族3人で焼肉に行くことになった。



出かけた焼肉屋は、豊岡でも有名なお店で味はおいしいと評判である。
値段はそこそこするのだが、何度か行ったこともあり、私も美味しいということはよく覚えていた。







そして・・・・・、







事件はその焼肉屋で起こったのだ・・・・・・。








到着して、とりあえずビールを注文・・・。




歳のせいか、あまり霜降りの肉を食べることが出来なくなった私と、すっかり歳をとった両親である。

もはやロースはいらない・・・・。



タン塩1人前、バラ2人前、赤身2人前、上ミノ1人前。
頼んだ肉はこれだけである。

これにキムチとキャベツと野菜サラダを注文。



年寄り2人にオッサン1人・・・・。



これだけあれば充分である。




注文した肉が運ばれ、テーブルに並ぶ。




焼き野菜は注文していないが、少しづつ肉についているので充分である。




さて、3人で焼肉をして、誰が焼くのかと言うと、焦がしてしまうのがとても嫌いなので、焼肉屋で仕切るのはワタシである。




常に人数分の枚数の肉を網の上にのせ、いい焼き具合でそれぞれのお皿に割り振るのだが、ふと網を見ると、乗せた覚えのないカボチャがのっているのである・・・・・。







ん???







肉についていた野菜はまだ減っていない・・・・・。







何が起こったのか?






そう思った瞬間であった!!






母親がおもむろに自分のかばんをガサガサとし始めた・・・。





と、思ったその時だ!





焼肉用に切られたカボチャがかばんの中から出てきたのだ!





えぇ~~~~~~~~~!!!






マジでか~~~~~~~~~!!!







何くわぬ顔でカボチャを焼き、ほおばる母親・・・・。







そして、驚くべきことに、更にかばんからカボチャを取り出し、焼き始めたのだ・・・・。






脱帽である・・・・・・。







その四次元ポケットのようなかばんと、持ち込み上等の母親・・・・。





もはや笑うしかなかったのは言うまでもない・・・・・。





田舎の母親、恐るべし・・・・。

オオアナヲアケタヒトノオハナシ

気が付けば、7月も去ってゆき、8月に突入!

7月を振り返り、思う・・・・・。



忙しかった・・・・・。



えっ、何がって??

そりゃもう、某青年団体に決まっているのである!



それ天理だ、やれ横浜だ~と方々に行かなければならず、そのおかげで平日は会議と称して時間を費やす・・・・。



こ、こ、こんにゃろ~・・・。



おっと、いかんいかん、最近すっかり愚痴っぽくなってしまっているのは気のせいだろうか・・・。




そんな私なのだが、8月3日になんと39度の高熱で撃沈、4日になっても微妙に改善せず、病院を変えて対策を打つ。5日もあまり改善はしなかったが、さすがに本日6日は、ずいぶんましにはなっているが、肝心の扁桃腺の腫れがひかず、何を口にしても飲み込むのが苦痛である。





しかし、もう休んでもいられない、今月はお盆休みという強敵!大型連休が存在する。




この大型連休をとってなお、売上を確保しなければならないのだ!




しかも、弊社は12月決算なので、予定納税が今月末までである・・・・。




売上自体は少ない企業なので、金額が大きい訳ではないのだが、ワタシにすると、やはり大金である。




もちろん、今から考えているのだ・・・・。




どこから工面しようかな・・・・・。




いやいや準備しとけよって???




わかっちゃいるんだけどね~・・・・。



はぁ~~~・・・・。




最近こんなことを考え、ため息ばなりの毎日なのだ。




思えば起業当時は夢いっぱいだったよな~~~~。



今はと言えば・・・・。



夢はいっぱいなんだけどなぁ~・・・・・。



現実をよく知っちゃったんだよね~~~・・・・。



そうなのだ、いつの頃からか気付いたのだ!



世の中は搾取する側と搾取される側があり、我々は搾取される側なのだ!
そして搾取する側は、多額のみかじめ料を請求する。
その行き先は・・・・・、日本国なのだ。
もちろん皆さんお気づきだろうが、一番ヤクザな存在は国だったのだ!!!!!!
ワタシもその事実にはっきり気がついた時、ショックを隠せなかったのだが、もはや仕方がないとしか言いようがないのである。


なんてひどい話なのだ~~~~!!!!!!




そして、搾取される側であり、予定納税を支払うべきこの時期に、恐ろしいほど、売上に穴を開けたやつがいるという・・・・・。





そいつの名は・・・・・・。






トシヒコ・・・・・・。





そう、ワ、ワタシなのだ・・・・・・・・・・・。







夢なら良いのにと毎日目覚めるイカレポンチ・・・・。




もはやコイツに生きる価値はないのかもしれない・・・・・。

ホンコンジンハイイヒトダ

某青年団体の香港旅行2日目。1日目を読んでいない方は是非前回ブログをご参照あれ。



前日は夜遅くまで懇親を深め、懇親を深め、懇親を深めた・・・・。もちろん、日本人同士で、である。




・・・・・・・。



簡単に言うと二日酔いである。



さて、2日目は朝から香港に移動する。またしても時間のかかる入国審査を経て香港へ・・・。



午前中に現地に入り、お昼前に香港の日本語学校の生徒と合流し自己紹介をしながら昼食会場へ移動する予定である。昨日と同じく班を編成され、班ごとに行動することになる。我々の班には香港人は約7名、日本人は変わらず5名である。



昨日のシンセン人の例もある・・・。

はたして香港人はどんなやからがくるのやら・・・・。


そんな不安な想いいっぱいで待つこと約30分・・・・。




香港人の印象は・・・・・。





良い!!





なんだ、こんなフレンドリーなのか??




聞いたところによると、100名の参加枠に対し、参加表明した香港人はなんと180名もいたらしいのである!
しかもお金を払ってまで、である。


なんて御奇特な方々なのだろうか!!



シンセンのボンクラ・・・・おっと失礼!


シンセンの方々とは全く違う和やかな雰囲気で昼食先に到着である。

昼食時にはお互いの印象を話したり、日ごろの日本語の成果をばかりにいろいろ話をしようと積極的にコミュニケーションを取ってくれるのだ。


午後からは香港の人たちが、香港の街を案内してくれる。日ごろ勉強した日本語で、建物や歴史について話してくれるのだ。日本語がとても上手な方もいれば、たどたどしい日本語の方もおり、かなり面白い!
しかし、共通しているのは、前向きにコミュニケーションを取ろうとしてくれていることである。


私はこの海外事業には始めて参加したのだが、同じ班の先輩はこう言うのだ「いっつもこの事業から帰ったら、英語勉強しようかな~とか、思うねんな~・・・・。でも気が付いたら1年たってんねんなぁ~」。
なぜ勉強しようと思うのか尋ねると、やはり現地の方との交流は楽しいらしく、こちらももっと積極的にコミュニケーションが取りたくなるのだそうだ。その場合、現地の方は英語はできるが日本語ができないケースがかなり多いらしい。


・・・なるほどそれもわかるような気がする。
昨日とはちがい、意思疎通もできるし、いろんな価値観について話合うこともできている。こうなるともっとコミュニケーションを取りたいと思うのも納得である。


香港の観光が終わると、続いて日本からのおもてなしである。
香港の方々には日本の「茶道」を体験していただくプログラムになっている。


こんなん、おもろいんかいな~!!??

と、思っていたのだが・・・。



香港の人たちは食いつき抜群である。



苦労して正座をし、しびれる足を堪えながら苦いお茶をすする・・・・。



そして言われるのだ!



「これがおもてなしのこころです・・・・。」



なんじゃそりゃ!



本当におもてなしのこころが伝わったかどうかは分からないが、とにかく楽しそうに茶道を体験していただくことができた。



そして、最後に炎天下の下、綱引き大会が開催された。


この頃には早朝からの疲れが現れ、もはや動く気力はだいぶそぎ落とされている。手抜きをして負けることは簡単なのだが、負けたチームはもちろん罰ゲーム!しかも、実際に綱を持つと否が応でも力が入るものだ。
優勝はなかったが、何とか罰ゲームは免れ、懇親会へと移る。



懇親会ではブッフェスタイルになっていたのだが、みんな気を使って、沢山の料理を取り合い、分け合いながらの食事になったのだ。自分の分だけ取ってくるのではないのだ!
なんてすばらしいのだろうか・・・。
この頃には香港の方々ともかなり仲良くなっており、名刺交換はもちろん、フェイスブックの友達申請も約束している状態である。
感動の懇親会も終わり、残すところ最終日のプログラムだけとなってしまった。


最終日、某青年団体の主催するなんとかプログラムだが、もはやそんなものはどうでも良い・・・。
最後に彼らが私たち日本人にと手土産まで持ってきてくれたことになんとも言いようのない感動を覚えたのは言うまでもない。

それに比べ、何の用意もない自分たちに歯がゆい思いがつのるばかりであった。
最後の別れを告げ、帰路についた・・・・・。




某青年団体・・・・。




たまには良いものである・・・・・。





あくまでも、たまには、である・・・・・・・・・・・。








帰国後、約束通りフェイスブックでは友達になった・・・。







私の会社では、積立で年に1回旅行に行くのだが、来年は香港にしようと考えているのは、容易に想像できるところであろう。






そして・・・・・・。







英語の勉強でもしようかと・・・・・・・・・・・・・・・。








いやいや、決してスピードラーニングの回し者ではないので、誤解なきように・・・・・。