彼は想像することが好きで、ワクワクさせてくれるいろいろな世界を想像しました。
映画やアニメもいろいろな世界を見せてくれるので、相当な数を見ました。
現状で考えるだけ考えた彼は、ある日もう何も真新しいものがないことに気が付きました。
どんな世界を想像しても、そのどれもが過去に見た映画やアニメや想像した物語の別パターンでしかありませんでした。
運が良いのか悪いのか、彼は性欲や社会的ステータス欲や優越感や物欲やギャンブル欲などを満たすことに興味がなく、もうやりたいことも何もありませんでした。
かといって、自分の命を断ってしまうような性格でもありません。
これは本当に困ります。
何も求めるものが無いのです。
そんな彼に待ち受けているものは一つにしかありません。
退屈です。
いつまで続くかも分からない退屈です。
他に何もやりたいことのない彼は、この退屈に真正面から向かい合うしかありませんでした。
彼は退屈に耐えました。
まるで身体を業火で焼かれるかのような感覚に耐えるしかありませんでした。
それは、死よりも辛いと思わせるほど強烈なものでした。
退屈の炎の熱さに耐え切れず、ほんのつかの間だけ"幻想の自分"の欲望を満足させるためだけに、何度も何度も今まで見てきたようなストーリーを探し回り、想像したりして自分を誤魔化しました。
これは現状に満足出来ず、動物のように何かを求めさ迷う"幻想の自分"が焼けている感覚なのだと、彼は気が付きました。
一体どれだけ自分を焼くことに耐えなければならないのだろうとほとんど絶望しきっていた彼は、ある真夜中、無我夢中で木の棒で素振りをすることにしました。
ただ一つの単純作業だけをやり続けるという退屈な行為をすることで、自ら退屈に飛び込んだのです。
不死鳥として伝説によく登場する火の鳥が、自身の寿命を悟ると、炎の中に自ら飛び込み灰となり、その灰の中から新たなヒナとして蘇るように、自分を退屈の炎の中に投げ入れたのです。
するとしばらくもしないうちに、彼の退屈の業火の熱さは消えていったのです。
彼は、自分の身体の全てを総動員で動かすとき、退屈を超えることが出来ることを知りました。
自分の邪気とも言うべきモヤモヤが全て消し飛んだのです。
そのまま公園のベンチに座った彼は、いつもなら何もしないでいることが苦して仕方なかったのに、ただただ座っていることが本当に心地よく、これこそ純粋に存在するということだったのかと思いました。
彼は、退屈を超えたのです。
言い換えるなら、退屈であることを気にもしなくなったのです。
退屈であろうがなかろうが、どうでもよくなったのです。
ただ何もせずそこにいるだけなのに、平穏な気持ちでいっぱいだったからです。
何も長い間、退屈の業火で身を焼くことなど無かったのです。
ただ全身で動くだけで良かったのです。
指も腕も肩も腰も腹筋も太ももも膝もふくらはぎも足もすべてが一つとなって同時に動いているとき、退屈などどうでもよくなったのです。
これは今まで退屈に焼かれ続けたために、見つけることが出来た答えでした。
ただ何も考えずに素振りをしていることが心地良かったのです。
そして鳥も木も虫も太陽も雲も星もこれら以外のすべても、退屈など知らずただ心地よくそれぞれがあるようにあるだけだと気付いたのです。
退屈を超えること、それはまさに自然そのものになることだったのです。
自分は自然そのものだと知ることだったのです。
あとはこの感覚を深めてゆくだけで悟りを到達出来ることを確信したのです。
彼は、もはや退屈に襲われることも時間に急かされることもなく、ただ悟りの瞬間をまつだけの身となったのです。
今回は予定を変更したので、今に生きることと自分を消し去ることについては、次回に書きたいです。
読んで頂いてありがとうございます。
ではまた。
