自分の好きなところは?

 

さて、どこでしょう?

 

逆に「自分のここが好き!」と即答・明言出来る人は珍しいと思います。

 

「人権」て言うと、最近では「国分太一さんの会見」を思い出します。

「人権回復」に関する会見だったそうですが、「何でこのタイミングで?」と思ったし、「番組降板」の理由とされる「重大なコンプライアンス違反」に関する日テレ側の詳しい説明が無いのも引っかかります。

「どんな事があったのか」…「相手があっての事だから詳しい事は話せない」って、それでも、その事案を説明された時、例えば「たかがそれっぽっちの事で番組を降ろされるのか(クビなのか)」と思う事も、ひょっとしたらあるかも知れません。

ファンを含めた一般人(視聴者)も「知る権利」は一定度あるとは思いますし。

よっぽど酷い事をされたと言うなら、相手の心身を害する(傷口に塩を塗る様な)恐れもありますけどね。

TOKIOの他のメンバー、特に松岡さんが、当初は毅然とした対応をとっていましたが、「日テレ側の説明不足」も指摘していました。

 

いつもこのネタで思い出すのは、「いじめられていた側の人権」って、一体何なんだろうと言う事です。

いじめていた側の言い分として、以前に何気なく言われた言葉として、「お前に人権なんかあると思うのか」と言う言葉がありました。

今でも絶対に忘れられない言葉です。

言った側にしてみれば、「そんな事言ったっけ?」としらばっくれるでしょうけどね。

あの頃は、今の様に「いじめ撲滅」とか、「いじめ見逃しゼロ」といった社会的な流れも無くて、「不登校」なんて言葉も無かった。

「ずる休み」と取られてしまうのが嫌だから、(本当はいじめられるのが嫌で嫌で仕方無かったけど)我慢してでも行かざるを得なかった。

「いじめ」を周りに認識させるためにも、「学校へ行かない」と言う選択肢もあったのかな…。

いつもそうなんだろうけど、結局は「いじめていた側」は、何不自由なく、普通に生活出来ているんだと思います。

 

先日。ラジオで「同級会・同窓会に行く・行かない」と言う話題で番組が放送されていました。

私の場合、「嫌な思いをしたくない」し、「あの頃の事を思い出したくも無い」から、同級会・同窓会の案内が来ても「不参加」で返信します。

SNSもあるだろうけど、私はスマホも無いし、「LINE」をやっていないので、例えば「同級生のグループLINE」が存在するとすれば、「仲間はずれ」は確実でしょう。

(今の時代だから、「同級会のグループLINE」は絶対あるな。誰かがアカウントを作って、メンバーを集めれば良いだけの事だし…。)

「どうせあいつに連絡取っても、ウチらのメンバーと顔を合わせるのも嫌だろうから…」

なんて事も考えている事でしょう。

「元担任のOO先生が、久しぶりにみんなの顔が見たいし、元気な姿が見たいから、今度同級会をやろう」

とか、誰かが言い出したとしても、結局のところ、私は行かないし、会いたくもありません。

同い年の人と、地元で会っても、先方は「え~っと、誰だっけ?こいつ…。」みたいな感じだった事もあるしね。

 

「いじめていた側」にとっては、(当時いじめていた事を)後悔するなんて事は、(余程の事が無ければ)まず無いでしょう。

 

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