停電も水も食料もたくさんあり、すべてがとりあえず正常に動いているロンドンより。
イギリスの新聞は震災後毎日津波や被災者の写真が一面に出ていたが、一週間経った先週の金曜日から、一面はリビアになった。
私も山形・仙台の祖父母+親戚一同が、震災数日後に停電から回復した、ときいて、安心していた。しかし、原発の放射性汚染というより恐ろしい話を聞き、気が気でなかった。
イギリスは遠すぎるのか疎すぎるのか日本での原発のどうのこうのは「対岸の火事」だったようだ。むしろ本当に対岸のアメリカは、たまたま政策に大きく影響する災害だったからというのもあったけど、イギリスよりもずっと人々の関心は高かったようだ。
まあ考えてみれば、イギリスにはアメリカや日本のような大災害は少ない、というよりほとんどない。カリフォルニア地震もカトリーナもアメリカ人の記憶にしっかりと刻まれているが、イギリス人には地震は移民の祖国で大きな災いをもたらすもの(ここ十数年でも、インド、パキスタン、トルコ、中国、etcで地震が起きた)、tsunamiは異国のものなのだろう。
面白かったのは、イギリスは人道支援・慈善団体視点の話が多かったのに対し、アメリカは津波はもちろん、原発や放射線や軍関係による援助の印象が強かったことだ。日本や米国のメディアでは二の次になる孤児の問題や子供の精神安定の問題、水・食糧・ガソリン・電気などのライフライン、病気の問題をしきりに訴えていた(イギリスでは子供に関する慈善団体が活発に活動していて、そういう人たちが現地リポートをした記事ができているから)。イギリスだって軍が救助しそうになっていたが、結局放射性汚染の不安でイギリス人を引き上げ、軍関係はリビアに行ってしまった。
そして、どんなに遠く離れていても、日本人や日本にゆかりのある人にとっては大ショックで、ニュースから目が離せないとか、家族や友人が困っているのを見ていられないとか、今後の日本が心配とか、震災のいろいろなニュースを見たり読んだりすると涙が出てくるとか、普段から積極的な人たちはもちろん、そういうわけでもない人たちでも「離れていてこれくらいしかできないから」といって一生懸命募金活動をしたり、寄付したり、と活動している。Ocadoという会社の重役のイギリス人が、このたびの震災に大きく心を動かされ、今までほとんど顧みることのなかった日本人の血(母親が日本人)を呼び覚ましたという。彼は震災でショックを受け、日本にいる母方の親族と毎日連絡を取り合い、顧客に寄付を呼び掛けたらしい。
うちの母方の親族+母親はタフと言うかなんというか、必要以上にびくびくしない人たちだということが改めてわかった。私が一番心配した祖母は停電中なのに震災の翌朝スーパーに行こうとしたらしいし、伯母は停電でだめになった冷凍食品がセールになっていたので買い込んだらしいし(母が「冷蔵庫にいっぱい食べ物あるのに?」とコメントしたら、「安かったからいいじゃないの、まだ寒いからベランダにおいておけるし」と言ったらしい)、1978年の宮城沖地震を仙台で経験した母は東京の7階で揺れていたとき、食器棚を抑えていたらしい(母「だって前回は立てなかったけど今回は歩けたから大したことないと思ったんだもの」)。主婦(伯母は開業医だが!)は強し。しかし母はパニックにならなかったせいで、地震後の異常事態にびっくりで、買いだめする必要を感じず、食糧獲得競争に乗り遅れてスーパーを何軒もはしごすることになったらしいが。
私の方は、震災後一週間は本当に毎日ニュースを逐次チェックし、ネット上の前向きな発言や人々の協力や創意工夫に感激し、悲しいニュースには心を痛め、放射性汚染が心配でうつうつする毎日で、先週末くらいに原発の状況がややポジティブになってきた頃に回復したが、なんだかやっぱりまだたまにちょっと涙もろくなるときがあるようだ。
イギリスの新聞は震災後毎日津波や被災者の写真が一面に出ていたが、一週間経った先週の金曜日から、一面はリビアになった。
私も山形・仙台の祖父母+親戚一同が、震災数日後に停電から回復した、ときいて、安心していた。しかし、原発の放射性汚染というより恐ろしい話を聞き、気が気でなかった。
イギリスは遠すぎるのか疎すぎるのか日本での原発のどうのこうのは「対岸の火事」だったようだ。むしろ本当に対岸のアメリカは、たまたま政策に大きく影響する災害だったからというのもあったけど、イギリスよりもずっと人々の関心は高かったようだ。
まあ考えてみれば、イギリスにはアメリカや日本のような大災害は少ない、というよりほとんどない。カリフォルニア地震もカトリーナもアメリカ人の記憶にしっかりと刻まれているが、イギリス人には地震は移民の祖国で大きな災いをもたらすもの(ここ十数年でも、インド、パキスタン、トルコ、中国、etcで地震が起きた)、tsunamiは異国のものなのだろう。
面白かったのは、イギリスは人道支援・慈善団体視点の話が多かったのに対し、アメリカは津波はもちろん、原発や放射線や軍関係による援助の印象が強かったことだ。日本や米国のメディアでは二の次になる孤児の問題や子供の精神安定の問題、水・食糧・ガソリン・電気などのライフライン、病気の問題をしきりに訴えていた(イギリスでは子供に関する慈善団体が活発に活動していて、そういう人たちが現地リポートをした記事ができているから)。イギリスだって軍が救助しそうになっていたが、結局放射性汚染の不安でイギリス人を引き上げ、軍関係はリビアに行ってしまった。
そして、どんなに遠く離れていても、日本人や日本にゆかりのある人にとっては大ショックで、ニュースから目が離せないとか、家族や友人が困っているのを見ていられないとか、今後の日本が心配とか、震災のいろいろなニュースを見たり読んだりすると涙が出てくるとか、普段から積極的な人たちはもちろん、そういうわけでもない人たちでも「離れていてこれくらいしかできないから」といって一生懸命募金活動をしたり、寄付したり、と活動している。Ocadoという会社の重役のイギリス人が、このたびの震災に大きく心を動かされ、今までほとんど顧みることのなかった日本人の血(母親が日本人)を呼び覚ましたという。彼は震災でショックを受け、日本にいる母方の親族と毎日連絡を取り合い、顧客に寄付を呼び掛けたらしい。
うちの母方の親族+母親はタフと言うかなんというか、必要以上にびくびくしない人たちだということが改めてわかった。私が一番心配した祖母は停電中なのに震災の翌朝スーパーに行こうとしたらしいし、伯母は停電でだめになった冷凍食品がセールになっていたので買い込んだらしいし(母が「冷蔵庫にいっぱい食べ物あるのに?」とコメントしたら、「安かったからいいじゃないの、まだ寒いからベランダにおいておけるし」と言ったらしい)、1978年の宮城沖地震を仙台で経験した母は東京の7階で揺れていたとき、食器棚を抑えていたらしい(母「だって前回は立てなかったけど今回は歩けたから大したことないと思ったんだもの」)。主婦(伯母は開業医だが!)は強し。しかし母はパニックにならなかったせいで、地震後の異常事態にびっくりで、買いだめする必要を感じず、食糧獲得競争に乗り遅れてスーパーを何軒もはしごすることになったらしいが。
私の方は、震災後一週間は本当に毎日ニュースを逐次チェックし、ネット上の前向きな発言や人々の協力や創意工夫に感激し、悲しいニュースには心を痛め、放射性汚染が心配でうつうつする毎日で、先週末くらいに原発の状況がややポジティブになってきた頃に回復したが、なんだかやっぱりまだたまにちょっと涙もろくなるときがあるようだ。

私はこれに細かく刻んだニンジンを入れる。ニンジンを入れると若干甘くなっておいしいし、野菜も増える)を作った。チキンがちょっと臭みがあったので(きちんとケチャップ+塩+胡椒につけておいたのですが)、途中でしょうがのみじん切りを加えました。これはなかなかよくて、ぐっとおいしくなりました。
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ので皆におすすめしています。これは私がスペインに短期語学留学している時にホストマザーが作ってくれたので知りました。
のフライの冷凍に、付け合わせにポテトを作って食べました。
を作ってみようと思い立ち、やってみました。材料が適当だったせいか(私は最初からいろいろ自己流でアレンジしてレシピ通りに作らないあまのじゃく人間なんですね)、または炊飯器が高性能すぎたせいか、想像とは若干違うものができましたが、クリームチーズとはちみつをつけると(砂糖が少なかったので)非常においしく、試食したルームメイト(日本人女性)もお代わりして私の倍くらい食べていました。バターの塩みがちょっと強いところが残念です。今日大人買いしたTESCOのミューズリを勝手に入れたのですが、ナッツが入っていたので非常においしくなりました。