[ここまでの流れ]
昨晩、突然政府からオマーン行きのバスに乗れるという通知が来た。そして急いで準備をし寝た、、、
朝
ホテルで朝食をとり、8時半に集合とのことで急いで食べて出かけた。集合場所には日本人が60名ほどいた。老若男女問わず、様々な世代の男女がいた。おそらくオマーンへ出たいという意思を示した人は全員乗ることができたのだろう。また、バスは8台手配されていて、8台を60人で乗り分けるという贅沢な状況だった。
外務省の方がいる受付場所でパスポートを見せて名前を確認したところで、乗るバスの番号を指定された。
そしてバスは自由席だった。
バスは一台あたり8人くらいだったので本当にガラガラ。大型バスのキャパが60人だとしたら、いかにガラガラなのか分かると思う。
そして、バスに乗ると外務省の方からお水とゆかりのおにぎりをいただいた。日本を出国してから約2週間。久しぶりに見たおにぎりだった。
そして9時出発のところ、遅れて9時半くらいに出発してオマーンへ、向かった。
道中
バス①
オマーンへ向かう道中は、ドバイの中心部を抜けていくと、ブルジュハリファやパームジュメイラがあるような場所とは180度逆の景色が広がっていた。数千年前から何も手入れをされておらず、そのままの姿を維持しているような景色である。
砂漠のような赤土が広がる地域を通り、岩肌が目立つ道を通り、また砂漠のような街を通りオマーンへと向かっていった。
3時間ほど乗ると国境に着き、まずは検問所のような場所を通り、ただ人数を数えるといった感じの景色でプレハブ小屋の中を通った。そしてそこを通って出るとバスを乗り換えた。
バス②
8台を乗り分けていたところを1台のバスに乗り換えたのである。それなら最初から1、2台でいいじゃんと思いつつ、、
そして5分くらいバスに乗って移動すると、着いたのはUAEからの出国の手続きをする施設だった。そこで、パスポートを見せて出国の印を押してもらった。
バス③
その後、またバスを乗り換えておそらく緩衝地帯を走った。また5分ほど乗ると今度は何もすることはないが、ただバスを乗り換えるという作業をした。多分、これまで乗ってきたバスはUAEのバス会社のバスだから、ここからはオマーンのバス会社のバスに乗り換えるためだと思う。
バス④
そしてそのバスに乗って今度はオマーンの入国を行う施設へ行った。ここでトイレ休憩を取るということでトイレは長蛇の列となっていた。やはり中東だなと感じたのは、トイレの個室の中にトイレットペーパーが備え付けられておらず、入る前に紙を必要な分だけとって入るのである。また、紙は水に流せないので、ゴミ箱に捨てるという形だった。
そして、いざ入国!
空港のようなしっかりとした形式ではなく、パスポートを見せて電話番号を言うという形だった。しかも、ここでのオマーンの入国作業をするオマーン人はとても気さくな方で、他の人は日本のアニメについて雑談をしていたし、私もオマーンに友達がいるという話をして盛り上がった。
そうしてスタンプを押してもらって外に出た。
バス⑤
また、バスで5分くらい乗って今度は手荷物検査があった。空港に置かれているようなX線の機械が置かれており、そこを通して手荷物を確認するといった感じだった。
ここで不思議に感じたことは、なぜかレディーファースト制だったことである。体感では男女比は1:1だったが、なぜか男女で分かれて並ぶように言われ、女性から先に施設に入り手荷物検査をした。これはイスラム教の教え関係のことなのか、、?
バス⑥
そしてまた数分乗って移動した。ここではバスがまた8台用意されて一番最初の時に乗っていたバスの番号と同じ番号のバスに乗った。
このバスが最後のバスで、オマーンの一時待機場所であるシェラトンへと向かっていった。
5時間ほど乗るとようやく土地がひらけてきて、街に入っていった。そしてシェラトンへと到着したのである。
到着
シェラトンでは宴会場に入れていただき、Wi-Fiを繋げてこれから必要な作業を各々するようにと言われた。
おそらくご厚意で、コーヒーなどの飲み物やクッキーの振る舞いがあってありがたかった。
マスカットのシェラトンには4、5人ほど日本人スタッフがいた。臨時で手配したといった感じではなくここで普段から働いている様子だった。オマーンにシェラトンがあることも、そこに数名の日本人が働いていることも驚きだった。しかし、安心感はとても大きかった。
そこでタクシー事情について伺った。
マスカットから成田へ帰る便に乗る人はここで23時前まで待機したよう。私は政府のチャーター便には乗らなかったので、UAE脱出記はここで終了になる。
一世一代の経験
自分がイラン攻撃に巻き込まれるなんて実際誰が予想できただろうか?そのような情勢にあること自体は知っていたが、人間まさか自分が巻き込まれることはないだろうと思うのが普通である。私もそうだった。
もしも28日に乗る予定だったフライドが数時間早かったなら、、と考えてしまう。
たしかに中東に滞在したおよそ2週間というのは、イラン攻撃が始まる前の観光することができていた時間を除いて、足止めされていた時間はもったいないものだったように思える。
しかし、実際には1人でこうした危機を乗り越えたということで、緊急時にいかに自分が冷静になって主体的に動くことができるのかということが分かったし、自己成長につながる大きな出来事になったと思う。
この経験を通じて、様々な国の人との交流を深めることもできたし、オマーンへ向かうバスで出会った人々たちとの交流も、同じ危機の中にいる人同士ということでとても感慨深いものがあった。
もちろん自分が何も被害を受けていないからという前提ではあるが、数千人もいないであろうこの未曾有の出来事に巻き込まれた日本人の1人として今後人に話したり、この経験をもとに生きていったりとするのが誇らしく感じられる。
そう思うと、世界情勢といった政治面を捨象して考えるならば、安易な言い方ではあるが、結果的には自分にとって今後の人生または考え方、世界の見方を変え得る良い経験になったのではないか。








