すべてはここ(愛)からはじまる -2ページ目

すべてはここ(愛)からはじまる

愛で在ること。
                               

「Be sexy! be beautiful!!」


スタジオに響く、威勢のいい声。


よく行く、ダンス・エクササイズのクラスでの日常。


朝から、おばちゃんダンサーたちがスタジオに勢ぞろいしている。


私もそのうちの一人。


「鏡を見てー! 自分を見るのよ! Love yoursef !」


インストラクターが大声でさけぶ。


「鏡のなかの自分を見て! 感じるのよー!自分を愛してー!Feel better! 」


みんなの腰もおしりも、ぐるんぐるん回る。


彼女たちの目は、鏡のなかの自分に釘付けだ。


「自分を愛せなきゃ、誰も愛せないのよー!!」


そうだ、そのとおり! 意外とスピリチュアルだな、と思いつつ、


クラスは、最高潮に盛り上がり、私はビヨンセに変身する。


セクシーポーズをキメながら、(きまっているかは別として)


ああ


この肉体をもって、なんて楽しいんだろ!


女性であるって、なんて楽しいんだろ!


踊りながら、大音量の曲のなか、恍惚としながら、いつもそう思う。


そして、こんな年になっても、こんなことができちゃうアメリカが大好きだ、と思う。


おばちゃんたちが、クラスが終わっても、


もっとやりたい。もう一曲、もう一曲だけ~!! と駄々をこねるから、




だが、


家でビヨンセに変身すると、


男子たちに、後ろから、けとばされる恐れがあるので、注意が必要だ…。



結局、ミックジャガーにも変身した。

次男の、かんちゃんの声が変わった。


彼は今、13歳。


たった一ヶ月で、


あれよあれよと言う間に、どんどん低い声になっていった。


あの誰よりも、澄んだ高い、小鳥のような声が、


お父さんより低い、男の声になってしまった!! 


私は、あの声を思いだそうとするのだけど、


一体、どんな声だったか、思い出すことさえできない。


あのかわいい声を。


あの大好きだった声を。


記憶をたどっても、たどっても、形にならない。


消えてしまった!


そう思うと、すべてが幻であることがわかる。


あの声も、あのときのかんちゃんも、


記憶にさえ、蜃気楼のなかにいる。


ああ、みんな、冗談のようだ。


あのとき、抱えてた、私の胸がいっぱいになる、かんちゃんへの想いは、


どこにあるのであろう?


-やはり、幻想なんだ-


私は、今、


目の前の、かんちゃんを、


この低い声のかんちゃんを、


愛するだけだ。


声や姿は変わっても、


かんちゃんは、私の永遠のベイビー。


それはずっと変わらない。


私の愛も。


それは、たったひとつ変わらないものなのだ。





燦燦と窓から差し込む朝の光

横では猫が、陽だまりを見つけた

その目はもう、閉じかかる

私の睫にも、光の粒が落ちた

ゆっくり目を閉じる

息を大きく吸い込む

放射するまぶしい光

葉をゆらすやさしい風

草の青い匂い

澄んだ小鳥の歌

私のなかにぜんぶ閉じ込める。

すべてが、私の内側でまざり

やさしく、柔らかに溶け

ひとつになっていく

あらゆるものの、境界線が消えて

私も消える

光のなかに、消えていく

在るのは、朝の光だけ


無空庵の本を作っている。



「ひろこさんが、楽しんで作ることが、私のたったひとつの望みです」


と師は、おっしゃってくれた。

それは、3ヶ月前のこと。


先日、タイトルや、サブタイトルや、キャチコピー(帯文)を提案し、

内容をまとめ、

出版社に読んでもらう(自費出版のお金はないから)

「なぜこの本はすばらしいのか」 をまとめた企画書と、

大まかな目次を師に送った。


真我や覚醒や悟りや目覚めなど、正確に言葉を使うのには、細心の注意が必要だ。

師は、赤ペン先生のように、私の言葉の使いかたを直してくれた。


でも、

私の作った目次にも、頭をひねって書いた、10以上のタイトルも、サブタイトルにも、

企画書にも、師からの感想は何もなかった。


よかったのか。よくないのか。

よい出来なのか、よくない出来なのか。

すきなのか、すきじゃないのか。


何を師が感じたのか、私にはわからなかった。


それを知りたいのは、私のエゴ。

だけど、どんな風に感じたのか、知りたかった。


師は、始終、「ニュートラル」であった。


真我の人であることは知っているけど、

私には、ちょっとハートブレイクだった。

スカイプをきってから、

個の師が見たいときもあるな、とさみしく思った。


私が楽しむことだけを、望んでいる?


これは、私がすきで勝手にやっていること。


読んでくれる人に喜んでもらおう。

師に喜んでもらおう。

そんな思いさえも、取り払われたように感じた。


何もなくなり、がらんとした部屋のような、私の内側に、

たったひとつ


「師から生まれた言葉を大切にしたい」

その思いだけが残る。


それだけで、

この本をつくりあげよう。


それが、友が言ってくれた、

「自分のなかの真実に1歩も譲らないこと」 だから。



*****************



そして、食事の買い物に出かけた。

お店で鮮やかな、かわいらしいピンクと薄紫の花が目に飛び込んできた。

その花を見て、ふっと思った。


「ああ、師は、私に自由をくれたのかもしれない」と。


私に楽しみをくれたのかもしれない。


自由で在ることを、見せてもらった気がした。


そう感じたら、自分の目の前が、その花のように、輝きはじめた。

花の中に、自分を見つけ、そして師を見つけた。


今、思う。
心から楽しんで本をつくろう!
これを作るにあたって、

これは、すごい本だ!とワクワクしながら。

好きな言葉に囲まれながら。


師の希望通りに!!


私は、その花を買って、家へ帰った。




すべてはここ(愛)からはじまる-flower




無空さん

セッションをありがとうございました。

共鳴は、極上の柔らかさでした。


それは、光沢のある、きめ細やかな絹。

赤ちゃんが離さないお気に入りの毛布。

空気を含んだふわふわの真綿。

まぶしいほど白く、無垢で

純なやさしさの、微笑みをたたえ、

静かに穏やかに…  喜びの雫がこぼれ落ち…


始終、その甘い甘い、心地よい、大きな安心に包まれていました。


私のなかから、泉のようにあふれ出しているそれは、

柔らかさの極みでした。

同時に、そのなかで溶けていました。


途中、愛犬のワッフィーがやってきて、横に座りました。

彼のひげが、私の頬にそっとあたり、

鼻息をかすかに感じると、冷たい鼻先がちょっとだけ触れて、

右頬をやさしくなめてくれました。

また、静かにどこかに行きました。

存在の温かさを感じ、深く深く幸せでした。

ワッフィーは、愛の顕れ。

愛が、黒いもしゃもしゃの、柔らかい毛の塊になったのです。

感謝しても、しきれないほど、

私は愛され、そして彼を愛しています。

共鳴をしながら、体の中で愛が駆け巡りました。

すみずみまで。

これが、祝福ですね。


ありがとうございました。

純粋性って、どういうことだろう?


真我の視点から言えば、私たちの本質は純粋さ、そのもの。


「在る」「空」「無」 であるとき、純粋意識そのものになる。



では、マインドの視点からは?


私、個人の純粋さ、それは何であるのか?



師への手紙がブログに載った。


私は、結局恥ずかしくて、自分では読み返すことはできなかった。


カッコの悪い自分を人にさらけ出して、私のエゴは粉砕された。


自分を守ればよかったのか。。


自分への、人々への誠実さを放棄して、


いや、と言えばよかったのか。


そう、言えない自分は、ばかなのか、純粋なのか。


弱いのか。


そんなことを考えるから、純粋なのか。


師は、私の純粋さを突出している、と表現したけれど、


純粋さとは、なんであろうか。



純粋であったなら、


肉を食べることはできない。


豚がベルトコンベアに乗って、殺されるの順番を待っているときの


その顔を知っていたら、肉は食べれない。


競馬を見ることは出来ない。


馬が走って走って走って、骨折して、


そして、殺されるときの、


その顔を知っていたなら、競馬は見れない。


人が、苦しんで、涙を流すとき、


うわべの言葉など、かけてやることもできない。


純粋さとは、


世の中の、あらゆることと、かみ合わない。


まっすぐに、生きるとは、あちこちにぶつかるということ。


ばかを承知で、ばかであること、


それが純粋性なのかもしれない。














親愛なる、しまださんのブログ を読んで、コメントしようと思ったのですが、


長くなりそうなので、ここに書くことにしました。


眠り、夢、目覚め、、、、そして存在。


これは以前から、私にとっても、深く興味をそそられるテーマでした。


私は、「真理」 「悟り」 「目覚め」 に惹かれて、


無空庵と出会ったというより、


「変性意識とは何であるか!!?」 


というところから、めぐりめぐって、最終的にここへたどりついたという経緯があります。


この、眠りと、目覚めと、夢が混ざったような意識。


この意識に魅せられました。


ここに、「癒しの鍵」「幸福の鍵」が潜んでいる、と自分の中で仮定したのです。


もう、8年くらい前になります。


そして、あらゆることを実践して、検証していくことになるのですが、


これについては、改めて書いていきます。


話がそれそうなので。



さて、しまださんは、目覚めから、眠りに移行する時間、


「在る」を通過すると、おっしゃっていました。


一方、私は、


「マインド」を通過していました。(past tenseです)


昼間は、マインドに翻弄されることもなく、


幸福感や、楽しさや、軽さや、自由を感じる毎日でしたが、


夜ベッドに入り、目が覚めている状態から、眠りまでの時間、


つまり、頭が寝ぼけている時間、


さらには、夢を見ているとき、


そして、眠りから目覚めのとき、


そのとき、私は、決まって、マインドに占領されていました。


ベッドのなかだけ、悲しみや、困ったことや、辛い思いが私にやって来るのです。

(先日の、無空さんとの出来事のときは、昼間も凹みました~)


昼間が天国で、夜はその逆。


まるでそんな、体験を長らくしていました。


顕在意識の領域では、浄化が進んでいても、


潜在意識の領域では、まだリリースするべきいろいろなものが残っている


そのように解釈していました。


昔の体験や、根深いマインドのパターンなどです。


しまださんは、そこをクリアしていると思われます。スゴイです!


師・無空さんにも、「寝ているときは、在るになれなくて…」と言っていました。


しかし、ここ2ヶ月ほどで、変化してきました。


夜のマインドが、消えていったのです。


夜中に辛い思いをしなくなりました。寝起きもすっきりです。


そして、なぜか、夜中の2時~3時に、目が覚めているような、夢見心地な意識になり、


突然の気づきがやって来るようになりました。


真我からの直知がそこで起こります。


そんな寝ぼけた頭では、考えられないことが頭に浮かぶのです。


メッセージが降りてくる、と言った方が、かっこいいかもです^^


これは、どういうことなのでしょうか。


しまださんの通過する「在る・真我」と関係がありそうです。何でしょう?


顕在意識、潜在意識、宇宙意識…。


意識の世界はおもしろいです。


これから、また考察していきたいと思います。
























セッションをありがとうございました。

続いて、根深いパターンの浄化が起きました。

それはまるで、

秋の日、落ち葉が舞い、


風に吹かれて、木の枝に最後まで残っていた、一枚の葉が飛んでいくようでありました。

そして、私の内側に、温かいものを残していってくれました。

それが愛なのを知っています。

もっと私は、やわらかく、軽く、透明になりました。

人々の内側に、同じものがあるのを感じます。

それを知っているのは、どれほどの安堵でしょうか。

どれほどの喜びでしょうか。

心から、私と時を過ごしてくれた人々へ

私と一緒に時を過ごしてくれる存在へ、

感謝せずにはいられません。

ありがとうございました。




春になり、庭にウサギをたくさん見かけるようになりました。


ピーターラビットと同じ種類の、はねるとシッポの裏に、


真っ白の綿毛をつけているかのような、コットンテールラビット。


茶色の小さなウサギ。



そしていつも思い出します。


私の子供たち。


以前、ミシガンに住んでいたときに、


野生動物の赤ちゃんを保護して、育て、


森に返す、ボランティアをしていました。


まだ、目も開いていない、親が事故死などいろいろな事情で育てられなくなった、


生まれて数日のコットンテールラビットの赤ちゃんを


自分の家でたくさん育てました。


お母さんの乳首とは、似てるようで全く違う、ゴムの小さな小さな哺乳瓶の先から、


ミルクを飲ませることは、気が遠くなるほど、大変なことでした。


何度も、何度も、ゴムを口に運び、くわえてくれるのを待つ。


ミルクを口にたらしてあげて、


何度も、何度も、何度も、日がくれるまで。


手のひらの五分の一にも満たない、小さな、か弱い子を、


こわれないよう、やさしく、やさしくそっと抱きながら。


ただひたすら、忍耐強く。


すると、少しずつ、ミルクを飲んでくれるようになるのです。


チュッチュッチュ、と。


本当に、可愛い。


ミルクは30分おきにあげるので、私はどこにも出かけず、ずっとその子たちのそばにいました。


やがて、目を開き、私のことを母親だと思ってくれます。


いつも、どこにでも、私の後を追いかけてきて、


雷などがなると、一目散に私のもとに逃げてきます。


二週間ほどたち、草が食べれるようになると、私の役目は終わり、


森に返してあげます。


みんな、元気に森の奥深くに跳ねて、消えていきました。



ウサギを見ると、そのときの、


温かい気持ちがよみがえります。


本当に食べてしまいたいほど、かわいい、赤ちゃんを育てたこと。


そして、みんなが、森に帰っていったこと。


あの思い出は、私のなかの、宝物です。





ガンガジのテレコンファレンスに月一回、参加しています。


無空庵のセッションと、同時期に、始めました。


ウェブキャスト上にガンガジが表れ、一緒に瞑想して、お話をして、


質問者と電話でつながり、みなさんの質問や話を聞くスタイルです。


コンピューター上でのサットサン。


それから、いろいろな質問を投げかけられます。


前回は、


「あなたは、何を受け入れ、何を拒絶しますか?」 でした。



毎回、参加者の身の上話を聞くことになります。


理由は人それぞれ、いろいろなことで、苦悩しています。


病気のこと。お金のこと。リレーションシップのこと。身近な人の死。など。



マインドに巻き込まれた人を前にして(電話ですが)


ガンガジは、


そこからインナーピースへ、静寂へ、真我へ、その絶対的存在へと


目覚めさせ、マインドの解放へと導きます。


それは、まるでマジックのようです。


やさしく、穏やかに、抵抗させず。


それは、ただ美しい、としかいい様がありません。


たった15分くらいのことですが、


ひとつの波が過ぎていくかのように、人々の心は静まっていきます。


そして、内なる平和を見出すのです。


みるみる、人が癒されていくの何度も聞いてきました。


会話が始まる前から、何かが起きているのかもしれません。


絶対の信頼関係が築かれている。。



そして、いつも、参加者の


I love you Gangaji.


という言葉で、話は終わりになります。


まるで、美しい愛のショーです。