私は結婚して子供ができた。
 私がこの仕事を続けられたので、家族は不自由のない生活をすることができた。私はせめて自分の家族には、私の仕事を勉強して理解できるようになってほしかった。しかし、家族の誰もそれを勉強しようなんていう気持ちは頭から持っていなかった。
 私は年取ってその仕事を引退した。石積みのことも人々の心の中から遠ざかっていたようであった。私はその仕事をしなくなっても、石切の練習だけは欠かさなかった。
 ある日、見知らぬ連中に声をかけられた。

「お礼を渡すから、石切と石積みを実際にやってみて見せてくれ」

 私は気が向かなかった。私は自分の欲得で石の仕事をやったことがなかったし、考えたこともなかった。私はきっぱりと断った。何度も依頼を受けたが、その答えは変わらなかった。その連中が私の側にいる限り、私は地面に横になって知らんぷりをしていた。後で妻がこれを知って怒り狂って怒鳴った。

「馬鹿だねえ!」「石切なんて、しょっちゅうやっていたことじゃないか」「見せてやれば、たっぷりと礼がもらえたのに」「いつから、そんなぐうたらな亭主になったんだい!」


 私は何を言われても自分の気持ちを変える気持ちは全くなかった。どんなに説明しても理解してもらえないことはわかっていたので、何を言われてもじっと耐えていた。
 寄る年波には勝てず、私はこの世界から旅立つことになった。あの石積みの仲間と別れてからというもの、私と心が通じ合う人には全く会うことができなかった。

『何でこんな簡単なことがわからないのだろう』『なぜ、わかろうとしないのだろう』『何で自分の特になることしか考えないのだろう』『みんな逆の方を向いている・・』
 私はたいへん悲しかった。

 下の方で家族が私のまわりに集まって泣いていた。
「父さんには何もして上げられなかった・・」「父さんの言いたかったこと、もっとよく真剣に聞いておけばよかった・・」「私よりも先に行かないでおくれ」
 息子たちと妻の声が聞こえた。

 私は案内役の人の指示に従った。
「ところで、あの石積みの仲間の人たちはどこに?」
「ああ、あの人たちはこちらの世界にはいないんです」
「まだなんですね」「そのうち会えますよね」
「いえ、あの方たちはあのとき、こことは全く別の世界にご自分の意思で行かれましたが、それはこことはまるっきり違うところですので、もうこちらにいらっしゃることはないと思われます」
「もう死ぬことはないということですか」
「その世界がこことは違う世界であるということ以外、私たちにもよくわからないところなんです」
「・・・・」

 私はあのときみんなと一緒に行っていればよかったかなあと思った。
「あのとき一緒に行っていれば・・」
「でもあなたはまだ行かないはずです」
「私にはまだその資格がないのですか?」
「そういう理由ではないのですが、あなたにはまだ大事なときにすることがあるはずです」
「じゃあ、それが終われば仲間のところへ行けますかね」
「私には、そこまでわかりません」

 
私はそのことを聞いてから、なぜか心が落ち着いてきた。

                     ― 完 ―


「前生のおもいで」はこれで終わりです。長いことお読みいただきましてありがとうございました。瞑想のヒント、神と共に生きるということのヒント、
共同創造へのヒントが満載でした。


 ここで紹介した志摩川さんの「前生のおもいで」は全体の1/10にも満たず、他にも志摩川さんが(ほぼ確実に)宮沢賢治らしき人に魂で(…らしき人の死の前後に)しばし合体した「おもいで」もあるので、いつか機会があればご紹介したいと思うのですが、何せ他人の文書なのでこれ以上の無断引用はどうも気が引けてしまいます。2013年3月31日に無事、志摩川さんと繋がり、掲載に関して許諾を得ました。 


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