今年ほど、師走の、歳末の、大晦日の実感がない

年もなかった気がします。

それでも、それらしく、やらねばなことは山積みで、

日々本当にめいっぱいでゆとりが全然なく、身体も

心も全くついて行けていないのに、動くしかなく、

うまく休めず・・そんな毎日で・・。


更新が滞り、すっかりご無沙汰してしまい、ご心配を

お掛けして本当にすみません。


大晦日に長々と書くのもナンセンスなので、ざっくり

近況を。

(と言いつつ、ざっくりまとめても、すでに長くなりそう)


まず、母の骨折した両手首は、おかげさまで着実に

良くなっています。

月1回の診察と週2~3回のリハビリ通院は続いている

し、日常の中でまだまだしてはいけないこと、なかなか

難しいこともありますが。


でももう、週6日、仕事に行っています。

私が再三止めるのも聞かず、入院中の、「退院したら

せめて週2日はお休みしようね」という約束もあっさり

無かったことにされ、挙げ句、仕事で疲れてイライラ

して、

「仕事で喋ってるんだから、家では喋るのも嫌」

などと今朝も言われてしまう始末。


そんな母に、怒りを覚えたり、落胆したりも相変わらず。

ストレスで調子を崩してしまうこともしばしばで、やっぱり

私たち母子は、違い過ぎるのだな、ミスマッチなのだな、

と、最近また、痛感しています。

大怪我を負った経験、そこから得た教訓を今後に生かさ

ねば、本当にただの骨折り損になってしまうのにね・・。


一方、私は。

12/12の診察で、肝機能は正常値に戻ったものの(血小板

は相変わらず低い、少ない。10万とかそれ位。でもそれは

治療前からのことなので、元々のもののよう。今のところ

まだ特に心配はないようだけど・・)、肝心の血中hCGの値が

128121と、1ヶ月でたった7しか下がっておらず、次回

(1/9)も数値が横ばいならば、その日に再度、抗がん剤を

筋肉注射することに。


これは、応えました。

ここにきて、100台まで数値が下がって、また抗がん剤を

打つということは、余り考えていなかったので。


注射の痛みや副作用は、つらくないのです。

もちろん、強いお薬で、今ある卵子などにもダメージを

与えてしまうものだから、打たないで済むなら、打ちたくは

ないけれど。


つらいのは、最後に抗がん剤を使ってから、半年、妊娠が

出来ないこと。

当然その期日は、注射の終了のタイミングと同時に、どん

どん先に延びて行ってしまうので、とにかくそれが、つらい。


一応、10月の初旬に注射が1度終わっていたので、そこから

の計算なら、5月くらいからは、気持ちと身体が整えば、また

妊活は出来るな・・と考えていたので。

1月にまた注射になると、それは8月くらいまで、延びてしまう。

そうすると、38歳がもう目の前になってしまうのです。

同時に、妊娠そのものの確率、お子が無事に生まれてくれる

確率も、更に更に、ぐんぐん下がって行ってしまうので・・。

もちろん、これも統計上の、数値的な意味ではあるけれど。


だからね、本当に、下の世代の子たちに伝えたい、皆さん

にも伝えて行って欲しいと、入院中からずっと思っていたのは・・


子供をもつもたないはもちろん個人の自由だし、その時期も、

もちろん自由。

ただ、妊娠や出産について学び考えておくこと、それと選択肢

可能性を広げておけるために、自分の身体を整えておくこと

は、20代や10代からでも、ぜひ始めておいて欲しいな、という

ことで。

特に、2人以上お子が欲しい方は、第一子は、できたら30歳

前後までに産んでおくとよいかもね、と。

2人目以降で不妊治療中、という声も、身近でもよく聴くので。


人生にもしもはないけれど、もし1度だけ過去に戻れるのなら、

私自身も、20歳前後の私に伝えたい。

もし私が今、20代か、せめて30代前半だったら、妊娠組織が

おりてくるのを待つのも、もう少し、辛くなかったと思う。 あと

少しは、ゆとりをもって待ってあげられていたと思うから。

子宮外妊娠自体も、起こらなかったかも知れないし・・。


そう、妊娠組織の位置も、全く変わっていませんでした。

胎のう(と言っていいのかな)は、まだ2.1センチ位、あって。


12日の診察には旦那さんも付き添ってくれて、初めて超音波

(エコー)の画像も診てもらったのだけど。

旦那さんが先生に、

「(この状況が続くことが)結構つらいみたいなんですよね」

と話してくれて。

(そういうの、私は余り訴えられていなかったので、有り難かった)


それを受けて先生からは、

「もし今の状況がどうしてもつらいということなら、ソウハ手術→

子宮穿孔(子宮に穴があいてしまうこと)→緊急開腹手術の

リスクも覚悟の上で、オペする選択もありますが・・。

またこちら側(医師団)でも方法を検討してみます」

とのことでした。

「とにかく稀な症例なので・・」

とも改めて言われた。

聴くと、先生自身、他の部位や、同じ間質部でもオペの経験は

あるけれど、抗がん剤のみで治療する症例は、私が初めてだ

そうで・・。


1回1回が、その後を大きく左右する賭けを伴う選択だなぁ、と。

例えば、9月の時点で最初から開腹手術を選んでいたら、今頃

もう妊活を再開できていたかも知れなかった。

でも、妊娠そのものが難しくなっていた可能性もあった。

ここから先も同じ。

今とこれから、どの治療法を選ぶかで、微妙に未来が変わって

ゆく。

注射をしたから確実におりてきてくれるというものでもないし。

待つだけ待って結局手術、ということも、今の状態だと十分に

あり得ると思う・・。

なら、今オペしてしまう・・?

それは、最後には、私が選ぶしかないこと。

本当の心身の痛みも、最後の最後のところでは、私だけで

抱えるしかないこと。


年内におりてきてくれる奇跡は、起きなかった。

せめて、1/9までに数値が下がっていてくれたらよいのだけど、

数値の低下と組織がはがれ落ちることはイコール、というか

連動しているものなので・・

今のところ、出血は一切ないので、気配はありません・・。

ただ、最近、微弱だけれど、子宮右側にじりじり、チリチリとした

痛みをしばしば感じはするのだけれど。

それがはがれる前兆なのか、自然吸収時に起こる痛みなのか。


どうしたって、そんな風に、お腹のこと、お子のことを意識せず

には過ごせない毎日なので・・苦しいですね、とても。

暮れの実感がないのも、意識が他のどこにも向かえないから

なのだろうな・・と感じています。


ウツも、また少しずつ重くなってきている気がする。

とても不安定、アンバランスです。


これも、入院中からずっと想っていたことだけれど・・


短い時間しか一緒に居られなかったけれど(でもまだ一緒、

なのだけれど・・)、お子が教えてくれたことは、ほんとうに沢山、

あって。

でも、その中でも、1番のメッセージ、お子が命を懸けて届けに

来てくれたメッセージは、何なのだろう、と・・。


それは、もしかしたら、


私には、心身ともに、妊娠・出産・育児に耐えるのは難しいの

かも知れないよ

だから、子供の居ない人生を真剣に考えたほうがいいよ


ということ、なのかな、って・・。

ただセンチになっているのではなく、冷静に、というか・・。


今も試され続けているのかも知れないね、気持ちの強さを。

こういうことがあっても、それでも子供が欲しい!と頑張り

続けられるのかを・・。


そう言えば、12/18に久々にグループホーム時代のお仲間

4人で集まったのだけど。

私以外の3人のお姉さま(40代~70代)に、口々に、

「割り切って、子供の居ない人生を考えたら?」

と言われてしまったのも、つらかったな。

皆さんお子さんが居て、お子さんやお孫ちゃんのお話を

嬉々としてされつつの流れでもあったから、余計に。

うち1人は看護師さんなので、今の難しい、きつい治療を

含め、私の身体を心配してくれての発言だったのだけどね。

割り切って、手術をしてしまうのもいいんじゃない?って。


うーん・・やっぱり長くなってしまったね・・。


心配してメール等をくれたお友達、本当にありがとう。

全然お返事できてなくて、本当にごめんなさい。


今年1年、見守ってくれた沢山の人に、想いに、心からの

感謝を。


来年、また一緒に、穏やかで楽しい年にしたいね。

そして、来年こそ、逢えたら嬉しいね。


さて、今からさっとお風呂に入り、買ってきた&頂いた品々

(と言っても少し)をプチお重2つに詰めたいと思います。

心静かに、今年はアパートで1人で年越しもいいかな、

とも思ったのだけど、やっぱり実家で。

(旦那さん、年またぎで泊まり勤務なので。本当にいつも

ご苦労さま・・涙)


ずっと前にも書いたけれど・・


よいお年を、って、いい言葉だよね。

心の込もった「よいお年を」は、胸に沁みすぎて、涙が

出てしまう・・。

日本語って、やっぱりいいなぁ。


沢山、たくさん、ありがとう。


どうぞ、どうぞ、よいお年を。



恋は終わらないずっと / MISIA