夏と言えば、、
「お化け」ですよね?
でも、、
今日のお話は、
お化けじゃなくて、、
「妖怪」のお話
その妖怪は、
「子泣きじじい」
げげげの鬼太郎で
有名になった妖怪
一日の山仕事を終えて
夕方に帰ろうとすると、、
何処かからともなく
赤ん坊姿のおじいさんが
目の前に現れて、、
「おんぶしてくれ!」
って話しかけてくる
親切心からか、、
「よっしゃ!
おんぶしたるか!!」
なんて、、
簡単におんぶしてしまうと
次第に背中のおじいさんは
だんだんと重くなり
最後には、、、
自分自身が
潰されてしまう位の
重さになってしまう
だから、、、
「今持っている背負い縄の
左と右の長さが違うん
おんぶしたいんけど
してあげられんくて、、」
と、嘘をついて
その場所から逃げ帰って
来なくてはいけない
そう言われているそうです。
この「子泣きじじい」
心の中にも現れてくるみたい
ですが、、
何かがちょっと違う
心に現れる時は、、
相手を苦しめる為に
現れるのではなく
姿かたちも、、
おじいさんではなくて
「気持ち」や「言葉」に
変えて現れます
ここにある一組の恋人が
居るとします
付き合いだした二人は、
まだ手探りな状態
相手に対する気持ちや
二人だけの思い出も
まだまだ数える程度
そんな手探りな二人でも、、
夜が来てまた朝が来て、、
一日一日と時間を重ねるほど
気持ちも思いでも、、
重ねた時間に比例して
増えて行く事となります
相手が好きなのだから、、
時間と共につのる思いが
増えて行くのは
当然と言えば当然の事
当然ついでに言えば、、
その思いを
相手に伝えたいって、、
誰しもが考えますよね?
自分なら、、、
なおさら考えてしまいます(汗
伝える自分は、
伝えたい気持ちで一杯
受けとめる相手が
今、受けとめられるのか?
なんて考える余裕さえ
ないほどです
頭に浮かぶ事と言えば
自分の中で芽生えた気持ちを
一つでも多く伝えたい
そればかりに
心を奪われてしまいます
確かに一つ一つは、
重さも感じられないほどに
軽い事ばかりなのかも
しれませんね
気持ちだから、、
「重さなんて
ある訳ないじゃん!
例え有ったとしても
大した事ないよ」
そう考えますよね?
そうですね、、、
自分の中で気持ちを
大切にしまっている時には
重さは感じられるほど
ではないのでしょうね
ですが、、
その気持ちを
相手に伝えた時に、
その思いの深さが
形をかえて、、、
初めて気持ちが
重さを持つ事になります
どんなに軽い気持ちでも
積もり重なる事で、
重さを持つ事になります
その気持ちを
受け取る相手は、、、
気持ちの内容よりも
受け取った時の重さを
一番最初に感じてしまいます
感じてしまうから、、
「自分では持ちきれない」
って考える人は、、
その相手の気持ちを受けとめる
以前に拒絶してしまいます
「気持ちが重いよ、、」
そんな台詞は、、
こんな場面で
使われるのでしょうね
逆に、、
「これ位なら大丈夫」
って考える人が、、
その相手の気持ちを
受けとめる事が出来る
そんな気がします
この受けとめる相手が
最初に感じる事こそが
「気持ち」の重さ
また、、
「言葉」にも
言葉自身の重さがあります
例えば、、
「気持ちを受けとめる」
言葉にすると
何文字の言葉
恋愛でもよく口説き文句に
使われる事が多いですよね
聞き慣れた口説き文句でも、、
口説く側は、
使い慣れた言葉で、、
あまりにも使い慣れた為に
言葉自体の重さを
感じる事もなく
自分の元から相手へと
言葉を届けてしまう
自分には使い慣れた言葉で
言葉の重さを感じる事がなくても
その言葉がひとたび
自分の元を離れれば
「言葉」は、、、
本来あるべき言葉の重さを
取り戻す事になります
そして、、
その本来の重さを
相手の心へ届けます
こんな時には、、
言葉を届ける側と
受けとめる側に
感じる重さの違いが
出て来てしまいますよね?
その違いが二人の関係を
ギクシャクさせる原因になります
気のきいた口説き文句も、、
TVドラマの真似をして
時と場合を考えないのではなく
次からは、、
自分の使う言葉本来の重さを、、、
少しは考えて使う事を
お勧めします(笑
「気持ち」や「言葉」
普段、何気なく口にして
相手に届けていますよね?
でも、、
相手はその何気なく
口にして受け取った
「気持ち」や「言葉」で、 、、
喜びや悲しみ
安心したり不安になったりと
その時々の自分の気持ちを
揺り動かされてしまいます
じゃあ、、
「気持ち」や「言葉」
「それから重さを取り除いて
届ければ良いじゃん!
そうすれば、、
問題は解決するのでは、、」
そう考えてしまいますよね?
確かにそうですよね
重ささえなければ、、、
受けとめる側ももっと、、
沢山の気持ちや言葉を
受けとめる事も出来ますよね
確かに一理あります
一理ありますがでも、、
大きな問題が一つありました
重さのない
「気持ち」や「言葉」は、
ちょっとした風でさえ
その身をさらわれて
相手の心まで
届く事が出来ません
やはり、、
「気持ち」や「言葉」には、
ある程度の重さは必要
その重さがあるからこそ
ちゃんと届けたい
相手の心に
とどく事が出来る
のでしょうね
受けとめる相手も
重さを感じるから、、
心に感情が芽生えたり
重さを感じるから、、
相手の存在を確認できる
自分はそう考えています
気持ちを伝える事って
毎日の生活の中で
誰しもが何気なくしている事
なんですよね
でも、、
その何気なくしている
一つ一つの事こそ、、
本当はちゃんと
考えなくてはいけない事
受けとめる側だってそう
ちゃんと受けとめる為には、、
その気持ちの重さを
しっかりと感じて
その上で受けとめる
必要がある気がします
「気持ち」や「言葉」って
形が無い物ですよね?
形がない物ですが、、
重さがあるって事は、
確かに存在するって事
目には見えない物だけど
「ちゃんと、、
ここに居るよ」って事
それは、、
自分と相手の二人の間だけ
かもしれない、、
それでも、、
確かに存在しているって事
面と向かって届けられた
「気持ち」や「言葉」なら、、
目の前の相手に触れて
感じる事が出来る
でも、、
電話やメールで届けられた時は
触れる事が出来ないけど、、
それでも感じる事
の出来る重さがある
その重さが、、
触れる事が出来ない
自分を支えてくれる事
気持ちが見えなくなって、
自分を見失いそうな時に、、
その重さで、、、
自分自身を確認できる
かも知れない
相手を感じる事が出来る
のかもしれない
心の中に現れる
「子泣きじじい」は、
不安と喜びと、、
色々な事に囲まれて
生活している私たちを
影から支えてくれていた
なんて気が付きませんでした
「子泣きじじい」
自己主張もする事も少なく
謙虚で頑張り屋さん
初めて知りました(感謝
自分は、、
この重さを感じる事が好き
この重さを伝える事が好き
好きな事に囲まれて生活している今を、、
そして、、
重さを感じる自分と
その重さを伝えてくれる相手を
いつまでも変わらずに
大切にしたいって思います。
「お化け」ですよね?
でも、、
今日のお話は、
お化けじゃなくて、、
「妖怪」のお話
その妖怪は、
「子泣きじじい」
げげげの鬼太郎で
有名になった妖怪
一日の山仕事を終えて
夕方に帰ろうとすると、、
何処かからともなく
赤ん坊姿のおじいさんが
目の前に現れて、、
「おんぶしてくれ!」
って話しかけてくる
親切心からか、、
「よっしゃ!
おんぶしたるか!!」
なんて、、
簡単におんぶしてしまうと
次第に背中のおじいさんは
だんだんと重くなり
最後には、、、
自分自身が
潰されてしまう位の
重さになってしまう
だから、、、
「今持っている背負い縄の
左と右の長さが違うん
おんぶしたいんけど
してあげられんくて、、」
と、嘘をついて
その場所から逃げ帰って
来なくてはいけない
そう言われているそうです。
この「子泣きじじい」
心の中にも現れてくるみたい
ですが、、
何かがちょっと違う
心に現れる時は、、
相手を苦しめる為に
現れるのではなく
姿かたちも、、
おじいさんではなくて
「気持ち」や「言葉」に
変えて現れます
ここにある一組の恋人が
居るとします
付き合いだした二人は、
まだ手探りな状態
相手に対する気持ちや
二人だけの思い出も
まだまだ数える程度
そんな手探りな二人でも、、
夜が来てまた朝が来て、、
一日一日と時間を重ねるほど
気持ちも思いでも、、
重ねた時間に比例して
増えて行く事となります
相手が好きなのだから、、
時間と共につのる思いが
増えて行くのは
当然と言えば当然の事
当然ついでに言えば、、
その思いを
相手に伝えたいって、、
誰しもが考えますよね?
自分なら、、、
なおさら考えてしまいます(汗
伝える自分は、
伝えたい気持ちで一杯
受けとめる相手が
今、受けとめられるのか?
なんて考える余裕さえ
ないほどです
頭に浮かぶ事と言えば
自分の中で芽生えた気持ちを
一つでも多く伝えたい
そればかりに
心を奪われてしまいます
確かに一つ一つは、
重さも感じられないほどに
軽い事ばかりなのかも
しれませんね
気持ちだから、、
「重さなんて
ある訳ないじゃん!
例え有ったとしても
大した事ないよ」
そう考えますよね?
そうですね、、、
自分の中で気持ちを
大切にしまっている時には
重さは感じられるほど
ではないのでしょうね
ですが、、
その気持ちを
相手に伝えた時に、
その思いの深さが
形をかえて、、、
初めて気持ちが
重さを持つ事になります
どんなに軽い気持ちでも
積もり重なる事で、
重さを持つ事になります
その気持ちを
受け取る相手は、、、
気持ちの内容よりも
受け取った時の重さを
一番最初に感じてしまいます
感じてしまうから、、
「自分では持ちきれない」
って考える人は、、
その相手の気持ちを受けとめる
以前に拒絶してしまいます
「気持ちが重いよ、、」
そんな台詞は、、
こんな場面で
使われるのでしょうね
逆に、、
「これ位なら大丈夫」
って考える人が、、
その相手の気持ちを
受けとめる事が出来る
そんな気がします
この受けとめる相手が
最初に感じる事こそが
「気持ち」の重さ
また、、
「言葉」にも
言葉自身の重さがあります
例えば、、
「気持ちを受けとめる」
言葉にすると
何文字の言葉
恋愛でもよく口説き文句に
使われる事が多いですよね
聞き慣れた口説き文句でも、、
口説く側は、
使い慣れた言葉で、、
あまりにも使い慣れた為に
言葉自体の重さを
感じる事もなく
自分の元から相手へと
言葉を届けてしまう
自分には使い慣れた言葉で
言葉の重さを感じる事がなくても
その言葉がひとたび
自分の元を離れれば
「言葉」は、、、
本来あるべき言葉の重さを
取り戻す事になります
そして、、
その本来の重さを
相手の心へ届けます
こんな時には、、
言葉を届ける側と
受けとめる側に
感じる重さの違いが
出て来てしまいますよね?
その違いが二人の関係を
ギクシャクさせる原因になります
気のきいた口説き文句も、、
TVドラマの真似をして
時と場合を考えないのではなく
次からは、、
自分の使う言葉本来の重さを、、、
少しは考えて使う事を
お勧めします(笑
「気持ち」や「言葉」
普段、何気なく口にして
相手に届けていますよね?
でも、、
相手はその何気なく
口にして受け取った
「気持ち」や「言葉」で、 、、
喜びや悲しみ
安心したり不安になったりと
その時々の自分の気持ちを
揺り動かされてしまいます
じゃあ、、
「気持ち」や「言葉」
「それから重さを取り除いて
届ければ良いじゃん!
そうすれば、、
問題は解決するのでは、、」
そう考えてしまいますよね?
確かにそうですよね
重ささえなければ、、、
受けとめる側ももっと、、
沢山の気持ちや言葉を
受けとめる事も出来ますよね
確かに一理あります
一理ありますがでも、、
大きな問題が一つありました
重さのない
「気持ち」や「言葉」は、
ちょっとした風でさえ
その身をさらわれて
相手の心まで
届く事が出来ません
やはり、、
「気持ち」や「言葉」には、
ある程度の重さは必要
その重さがあるからこそ
ちゃんと届けたい
相手の心に
とどく事が出来る
のでしょうね
受けとめる相手も
重さを感じるから、、
心に感情が芽生えたり
重さを感じるから、、
相手の存在を確認できる
自分はそう考えています
気持ちを伝える事って
毎日の生活の中で
誰しもが何気なくしている事
なんですよね
でも、、
その何気なくしている
一つ一つの事こそ、、
本当はちゃんと
考えなくてはいけない事
受けとめる側だってそう
ちゃんと受けとめる為には、、
その気持ちの重さを
しっかりと感じて
その上で受けとめる
必要がある気がします
「気持ち」や「言葉」って
形が無い物ですよね?
形がない物ですが、、
重さがあるって事は、
確かに存在するって事
目には見えない物だけど
「ちゃんと、、
ここに居るよ」って事
それは、、
自分と相手の二人の間だけ
かもしれない、、
それでも、、
確かに存在しているって事
面と向かって届けられた
「気持ち」や「言葉」なら、、
目の前の相手に触れて
感じる事が出来る
でも、、
電話やメールで届けられた時は
触れる事が出来ないけど、、
それでも感じる事
の出来る重さがある
その重さが、、
触れる事が出来ない
自分を支えてくれる事
気持ちが見えなくなって、
自分を見失いそうな時に、、
その重さで、、、
自分自身を確認できる
かも知れない
相手を感じる事が出来る
のかもしれない
心の中に現れる
「子泣きじじい」は、
不安と喜びと、、
色々な事に囲まれて
生活している私たちを
影から支えてくれていた
なんて気が付きませんでした
「子泣きじじい」
自己主張もする事も少なく
謙虚で頑張り屋さん
初めて知りました(感謝
自分は、、
この重さを感じる事が好き
この重さを伝える事が好き
好きな事に囲まれて生活している今を、、
そして、、
重さを感じる自分と
その重さを伝えてくれる相手を
いつまでも変わらずに
大切にしたいって思います。