夏と言えば、、

「お化け」ですよね?

でも、、

今日のお話は、
お化けじゃなくて、、

「妖怪」のお話

その妖怪は、

「子泣きじじい」

げげげの鬼太郎で
有名になった妖怪

一日の山仕事を終えて
夕方に帰ろうとすると、、

何処かからともなく

赤ん坊姿のおじいさんが
目の前に現れて、、

「おんぶしてくれ!」

って話しかけてくる

親切心からか、、

「よっしゃ!
 おんぶしたるか!!」

なんて、、

簡単におんぶしてしまうと
次第に背中のおじいさんは

だんだんと重くなり

最後には、、、

自分自身が
潰されてしまう位の
重さになってしまう

だから、、、

「今持っている背負い縄の
 左と右の長さが違うん
  
 おんぶしたいんけど
 してあげられんくて、、」

と、嘘をついて

その場所から逃げ帰って
来なくてはいけない

そう言われているそうです。

この「子泣きじじい」
心の中にも現れてくるみたい

ですが、、

何かがちょっと違う
心に現れる時は、、

相手を苦しめる為に
現れるのではなく

姿かたちも、、

おじいさんではなくて
「気持ち」や「言葉」に
変えて現れます

ここにある一組の恋人が
居るとします

付き合いだした二人は、
まだ手探りな状態

相手に対する気持ちや
二人だけの思い出も

まだまだ数える程度

そんな手探りな二人でも、、

夜が来てまた朝が来て、、
一日一日と時間を重ねるほど

気持ちも思いでも、、

重ねた時間に比例して
増えて行く事となります

相手が好きなのだから、、

時間と共につのる思いが
増えて行くのは

当然と言えば当然の事
当然ついでに言えば、、

その思いを
相手に伝えたいって、、

誰しもが考えますよね?

自分なら、、、
なおさら考えてしまいます(汗

伝える自分は、
伝えたい気持ちで一杯

受けとめる相手が
今、受けとめられるのか?

なんて考える余裕さえ
ないほどです

頭に浮かぶ事と言えば

自分の中で芽生えた気持ちを
一つでも多く伝えたい

そればかりに
心を奪われてしまいます

確かに一つ一つは、
重さも感じられないほどに

軽い事ばかりなのかも
しれませんね

気持ちだから、、

「重さなんて
 ある訳ないじゃん!
 
 例え有ったとしても
 大した事ないよ」

そう考えますよね?

そうですね、、、

自分の中で気持ちを
大切にしまっている時には

重さは感じられるほど
ではないのでしょうね

ですが、、

その気持ちを
相手に伝えた時に、

その思いの深さが
形をかえて、、、

初めて気持ちが
重さを持つ事になります

どんなに軽い気持ちでも

積もり重なる事で、
重さを持つ事になります

その気持ちを
受け取る相手は、、、

気持ちの内容よりも
受け取った時の重さを

一番最初に感じてしまいます

感じてしまうから、、

「自分では持ちきれない」
って考える人は、、

その相手の気持ちを受けとめる
以前に拒絶してしまいます

「気持ちが重いよ、、」
そんな台詞は、、

こんな場面で
使われるのでしょうね

逆に、、

「これ位なら大丈夫」
って考える人が、、

その相手の気持ちを
受けとめる事が出来る

そんな気がします

この受けとめる相手が
最初に感じる事こそが

「気持ち」の重さ

また、、

「言葉」にも
言葉自身の重さがあります

例えば、、

「気持ちを受けとめる」

言葉にすると
何文字の言葉

恋愛でもよく口説き文句に
使われる事が多いですよね

聞き慣れた口説き文句でも、、

口説く側は、
使い慣れた言葉で、、

あまりにも使い慣れた為に

言葉自体の重さを
感じる事もなく

自分の元から相手へと
言葉を届けてしまう

自分には使い慣れた言葉で
言葉の重さを感じる事がなくても

その言葉がひとたび
自分の元を離れれば

「言葉」は、、、

本来あるべき言葉の重さを
取り戻す事になります

そして、、

その本来の重さを
相手の心へ届けます

こんな時には、、

言葉を届ける側と
受けとめる側に

感じる重さの違いが
出て来てしまいますよね?

その違いが二人の関係を
ギクシャクさせる原因になります

気のきいた口説き文句も、、

TVドラマの真似をして
時と場合を考えないのではなく

次からは、、
自分の使う言葉本来の重さを、、、

少しは考えて使う事を
お勧めします(笑

「気持ち」や「言葉」

普段、何気なく口にして
相手に届けていますよね?

でも、、

相手はその何気なく
口にして受け取った

「気持ち」や「言葉」で、 、、

喜びや悲しみ
安心したり不安になったりと

その時々の自分の気持ちを
揺り動かされてしまいます

じゃあ、、

「気持ち」や「言葉」

「それから重さを取り除いて
 届ければ良いじゃん!

 そうすれば、、
 問題は解決するのでは、、」

そう考えてしまいますよね?

確かにそうですよね
重ささえなければ、、、

受けとめる側ももっと、、

沢山の気持ちや言葉を
受けとめる事も出来ますよね

確かに一理あります

一理ありますがでも、、

大きな問題が一つありました

重さのない
「気持ち」や「言葉」は、

ちょっとした風でさえ
その身をさらわれて

相手の心まで
届く事が出来ません

やはり、、

「気持ち」や「言葉」には、
ある程度の重さは必要

その重さがあるからこそ

ちゃんと届けたい
相手の心に

とどく事が出来る
のでしょうね

受けとめる相手も
重さを感じるから、、

心に感情が芽生えたり
重さを感じるから、、

相手の存在を確認できる
自分はそう考えています

気持ちを伝える事って

毎日の生活の中で
誰しもが何気なくしている事

なんですよね

でも、、

その何気なくしている
一つ一つの事こそ、、

本当はちゃんと
考えなくてはいけない事

受けとめる側だってそう
ちゃんと受けとめる為には、、

その気持ちの重さを
しっかりと感じて

その上で受けとめる
必要がある気がします

「気持ち」や「言葉」って
形が無い物ですよね?

形がない物ですが、、

重さがあるって事は、
確かに存在するって事

目には見えない物だけど

「ちゃんと、、
 ここに居るよ」って事

それは、、

自分と相手の二人の間だけ
かもしれない、、

それでも、、

確かに存在しているって事

面と向かって届けられた
「気持ち」や「言葉」なら、、

目の前の相手に触れて
感じる事が出来る

でも、、

電話やメールで届けられた時は
触れる事が出来ないけど、、

それでも感じる事
の出来る重さがある

その重さが、、

触れる事が出来ない
自分を支えてくれる事

気持ちが見えなくなって、
自分を見失いそうな時に、、

その重さで、、、

自分自身を確認できる
かも知れない

相手を感じる事が出来る
のかもしれない

心の中に現れる
「子泣きじじい」は、

不安と喜びと、、

色々な事に囲まれて
生活している私たちを

影から支えてくれていた
なんて気が付きませんでした

「子泣きじじい」

自己主張もする事も少なく
謙虚で頑張り屋さん

初めて知りました(感謝

自分は、、

この重さを感じる事が好き
この重さを伝える事が好き

好きな事に囲まれて生活している今を、、

そして、、

重さを感じる自分と
その重さを伝えてくれる相手を

いつまでも変わらずに
大切にしたいって思います。
対人関係の悩みを抱えてる人がいます。

その悩みを、抱えた人が
悩んだ先に偶然、誰かと出会う

「出会い」それが、、、

ブログかもしれないし、
友人の友人としてかもしれない、
バス停で偶然隣り合わせた人かもしれない、、

出合った結果として、

結婚するかもしれない、、
付き合うかもしれない、、
良き親友と呼べる間柄になるかもしれない、、

ここで、いつも自分は考えます。

その悩みがあるから、その出会いがあった
悩み苦しむ事がなければ、
今は違う時間を生活している二人かもしれない、、

時に、人は悩み苦しむ事でしか得られない事もあります。
知りえない事柄も感じられない事もたくさん在ります。

悩むことを拒絶するのではなく、受け入れそこから、
何かを得る事が必要ではないでしょうか?

その悩みが、貴方の心に人生に、
何かを吹き込んでくれる、、

必要なんだから、誰でも悩んだりするのだから、、
今を、精一杯悩み、そして、生きてください。

悩んだ結果、逃げる事を選択したのなら、
それもまた良いと思います。

ただ、どうせ逃げる事を選んだら、
地球の裏側まで逃げる様なそんな風に
今度は逃げる事を、考え頑張れば
良いのではないでしょうか?

そこから、また新しい何かが
きっと生まれ、出会いが訪れます。

悩む事、それは、、
新しい何かへの入り口かもしれません。


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今日、スーパーで買い物をしている時に
ふと、トマトを手に取り考えました。
決して、特売だから手に取ったのではありません。

「トマトは、どうして赤いかな?」

そして、調べて見ました。

私達は、物に色が付いていると考えています。

トマトが赤いのも、
空が青いのも、、
野山の緑色も、、

全てその物が元から、色を持っていると
そう、感じ考えていました。
しかし、実際は違うみたいです。

この事を知るために、まずは、
太陽について考える必要があるみたいです。

太陽は、光線を地球に降り注いでいます。
俗に、「太陽光線」とでも言うのでしょうか、、

この光線自体に、色は無いみたいです。
しかし、子供の頃、「プリズムの実験」をした日を、
思い返してみてください。

このプリズムに、太陽光線を通してみると、
無色に感じていた光線が、虹の様な光に分かれます。
これを、「スペクトル」と呼ぶそうです。

この「スペクトル」の元である光の波を、
「波長」と云います。
色が、赤から紫へと移るにつれて、
だんだんその波長も短くなって行きます。

目に見える光線である「可視光線」は、
大体この範囲の中にあります。

「光の三原色」、、
可視光線の中の「赤」「緑」「青」は、
特別に、こう呼ばれています

目に見えない光線は、
赤より波長の長い赤外線、
紫より波長の短い紫外線などです。

この波長と呼ばれ、今、プリズムで分解してみた
太陽光線は、私達の生活をするこの街に降り注いでいます。

光線なので、家や人、花に草木に、
様々な物に降り注ぎます。

では、話は元に戻りましょう。

何故、トマトは赤いのでしょうか?

トマトに含まれる「リコピン」と呼ばれる
成分が、赤い波長以外の光を吸収し、
赤い波長のみを跳ね返しているから
トマトは赤く見えるのだそうです。

他の様々な野菜、植物、色々な物それぞれが、
固有の光の反射、吸収をしてそのもの独自の色を
形作っているそうです。

さて、この事もまた、
人間関系に当てはまるのでは、、
そう思い考えて見ました。

自分を「トマト」に、
家族や友人、恋人、、
また、その他の生活をする上で関わる人達
全て同じ「太陽」と、、、

そう考えて見ました。

太陽である「家族」「恋人」「その他の人」も、
皆、最初は自分に対して同じ光を注いでいます。

太陽なのだから当然です。
先程、調べて勉強したばかりですよね?

しかし、受けてである私が、
その光を、同じ様に返しているのでしょうか?

スーパーで売られていた、あのトマトの様に、
相手により、返す光を選ん出ませんか?

相手は、受ける光が今度は限られた光なので、
その光の中から、もう一度、考え選んで、
そして、貴方にまた光を返して来ます。

少し、分かり難いので例をあげてみます。

初対面で、誰かと会う、、
相手は、貴方にどんな人なんだろう?
と、思い注目をします。

貴方は、「良い人そうだな」と感じ、
好意的な態度を返したとします。

好意的な態度で返したので、
相手も好意的な態度で返す。

どうですか?今回は、分かり易かったですか?

さて、私達は、相手に嫌な態度を取られると、
まず、相手を責める事を考えがちですよね。

ここで、この「太陽とトマト」を、
思い出してみて下さい。

相手が嫌な態度だから、その受けた印象から、
相手への態度を決めてしまう、、

でも、「太陽とトマト」の関係を覚えた
貴方は、あえて、好意的な態度をしてみる、、

最初は、相手は「どうして?」と、
懐疑的になり、さらに嫌な態度をするかもしれません。

でも、いつかは、貴方の放つ優しい光により、
相手も今までと違う優しい光を返して来る事でしょう。

相手を変え様と思うなら、
まずは内なる自分の心を、
見つめなおしてみてください。

遠からずそれが、人間関係を円滑にする
一番の近道に感じます。


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今日は、生活の中で忘れがちな事を、
思い返して見たいと思います。

「人は、自分の置かれた状況で何かを判断する」

言わずもがな、誰もが知っていることですよね。

当たり前に過ぎて行く毎日を、
本当に当たり前に感じていませんか?

普段、何気なく考えて通り過ぎていく日々の中で、
誰かが自分に対して、何か行動を起す、、
それは、生活をしていく上で、必ず起こる状況です。

しかし、幾度と無く繰り返される状況なら、
同じ事の繰り返しに、自分の中で
当然の状況と、感じてしまいますよね。

では本当に、当然の状況と言えるのでしょうか?

何か例をだして考えて見ましょう。

月末の給料日、紙のお金を取り出した後に
給料袋から、すまなそうに最後に顔を出した10円、、、

貴方は、どう感じますか?

私なら、いつもそばに居る家族に会った様に、

「おう!そこに居たんだ、、」

位にしか何も感じないでしょう。

しかし、寒い冬の日に、身体を温めようとして、
自動販売機で、飲み物を買う、、

しかし、何と10円足りない、、、

こんな時、もし、、
ポケットの片隅に忘れ去られてた10円に
出会えたとしたら、貴方はどう感じますか?

私なら、生き別れた兄弟にめぐり合えた
そんな喜びに包まれるでしょう。

同じ10円なのに、感じ方が違う、、

まあ、例題が余りにもお粗末なのは抜きにして、
状況による変化で同じ価値しかない物を、
ある時は、感謝の気持ちをあらわにし、、
またある時は、何気なく当たり前の様に受け入れる、、

私達は、日々の生活の中で、
この10円の様に、通り過ぎてる事は無いでしょうか?

仕事から帰れば、迎えてくれる家族、、
休日のいつもの場所で、待っててくれる恋人、、
失敗をした時に、教え諭してくれる上司や先生、、

当たり前の様に、未来永劫続くかの如く感じる事や、
聞き飽きて逆に、疎ましい事もありますよね?

仕事が終わり、扉を開けてもそこには誰も居ない、、
休日、いつも場所には、風が舞っているだけ、、
失敗をしても、失敗した事さえ分からない、、

こんな風に考えて、振り返ってみたとしたら、、
貴方は、どう感じますか?

全てがとまでは云えないにしても、
今までと違う景色が見えて来ないでしょうか?

「幸せは、自分の心がきめる」

自分は、この相田みつをさんの言葉が好きです。

何か壁に突き当たったり、家族と喧嘩した時は、
よく思い出します。

今は、辛く感じる壁も、些細な事で喧嘩した事でさえ、
辛く感じれる自分が居る事、喧嘩できる家族が居る事が、
幸せなのかもしれない、、

と、思い返し考えます。

自分の心が決める幸せなら、
当たり前の毎日の中でさえ、幸せと感じる事も、
見つけられる気がしませんか?

見落としがちな小さな幸せ、
見つけてあげて下さい。


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鏡は、姿を反転して投影してると、、
つい最近まで思っていました。

左右は、反転して、
どうして、上下は反転しないんだろう?
そう、感じていました。

貴方は、どう思っていましたか?

先日、いつもの様に本屋で立ち読みをしていると、
とある本にその答えが、掲載されてました。

「鏡は、左右反転しているのではなく、
前後を、反転して投影している」
との事でした。

人はそれを、左右反転していると、
感覚が錯覚を起すそうです。

鏡は、それ自体では、ただ在るがままを、
在るがままに投影する、、、

しかし、人はそれを、
まるで、鏡がそうしたかの様に、
錯覚を起してしまう、、、

極めて、曖昧な感覚の持ち主みたいです。

私達は、その曖昧な感覚で、
色々な事を、感じ決定する事を繰り返してます。

ここで、1つ考えた事がありました。

もしかしたら、この鏡の様に、
自分の感覚の事を、他の事に置き換えて
考えてしまっている事は無いだろうか?

いつも、不機嫌な態度で接してくる人、
嫌味みばかり言う様な上司、、

自分に対して、様々な態度を示す方達が居ますよね?

人は、自分の気持ちを抑圧すると、
その抑圧された気持ちが逃げ場を求めて、
自分の予期しない所で出てきてしまうみたいです。

もしかしたら、貴方は、自分の姿を
その人の中に、見ているのではないでしょうか?

例えば、結婚して、些細な事で
よく大きな喧嘩をする夫婦が居ます。

それは、相手が悪いのではなく、
貴方の心が、無意識に最愛の人に映った
自分に対して、喧嘩を吹っ掛けている
とも考えられないでしょうか?

喧嘩自体が、決して悪いとは思いません。
喧嘩をすることにより、本音で語れることもあります。

しかし今、誰かが貴方に対して何らかの態度を示す、、
それは、無意識の貴方自身そのものかもしれません。

「人の振り見て、我が振り直せ、、」

とは、そんな事から来てるのでしょうか?


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仕事、、

年金問題で、とある大学の先生が話していました。

政治家は、仕事にみあった年金をもらう必要があると、 、

さてさて、政治家の先生が行う仕事と、
私達の暮らしを支えている様々な仕事、、、
何が違うのでしょうか?

ふと、考えてしまいました。

政治・行政も私達の暮らしを支える必要な仕事です。

しかし、食べ物を作り提供する仕事、
また、衣服を作り販売する仕事や、
様々なサービスを提供する仕事だって、

どれも、無くてはならない
必要な仕事では、ないでしょうか?

政治・行政を、行う人のみが特別扱いされる
何か違う気がしないでしょうか?

国の赤字が増えたから、増税すると短絡的な意見を
政治家の人が、真剣に話している、、

新聞などで、最近は良く見ることが増えましたよね?

増税をすることにより、一時は国の収益は増えますが、
中長期的に見て、果たしてそれが最良の選択なのかと
疑問に思えます。

自分は、消費税等が増税になれば、
買いたくても物が買えない事が増えてきます。

また、何かを買うより、「将来の為」と
貯蓄に自分の給料を回そうと思うでしょう。

購買しなければ、市場にお金が回らなくなりますよね?
中学か高校の、たしか授業で習ったはずです。

さらに、企業も、販売利益の減少から設備投資が出来ずに、
生産性が落ちていく、、
そう授業で、教わりましたよね。

生産性が落ちれば、利益を現状と同じ程度
確保するために、原価にコストを上乗せして、
定価を決めるでしょうし、、
また、従業員に掛かる経費を削減しようと考えるでしょう。

リストラ・給与の減額・サービス残業と、
増税によるシワ寄せは、いつも最下層の人々に掛かります。

最下層の人々は、それでも生活の為に、
身体を酷使して働かなくてはならない。

疲れ果てれば、休日も出かける意欲が無くなり、
観光スポット等にも、お金が落ちる事が減るでしょう。

また、定価が上がれば、購買意欲が減り、
従業員の給与が減れば、購買に回るお金も減る

スパイラル状に、市場が小さくなっていくのは、
誰もが承知の事と思います。

小さな市場に、どの国の投資家が、
資金を投資しようと考えるのでしょうか?

貴方なら、投資対象の候補に考えますか?

投資が無ければ、さらに、
企業の資金調達も困難になる気がします。

さて、話は、最初の年金問題に戻ります。

政治家は、自分の年金を物価スライド型にして、
国民の年金は物価に合わせてスライドしない方式を
考えてるそうです。

何か違う気がしてきませんか?

まず、国がある前に国民があり、個々の家族・生活が
あるのではないでしょうか?

国を家族に例えるなら、
家族である人々を困らせる、、
そんな、親を尊敬できるでしょうか?

本当に、家族である国民を考え立ち上がる
政治家も、中には居るとは思います。
ですが、パフォーマンスにしてる政治屋が
多いのも事実です。

自分の身を削るような、政治方針を唱える事を、
票稼ぎのパフォーマンスに
終わらせないで欲しいと思います。

人は、一度上を向くと、足元を見る事を
忘れがちになります。
しかし、全ての原点はその足元に
あるのではないでしょうか?

貴方達の足元には、
家族である国民が居る、、

今一度、自分は何処に足を着いて
仕事をしてるのか?
政治・行政をする方は、考えても良いと思います。

そうすれば、何が今、一番求められてるのか
見えて来るのではないでしょうか?


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昨日、「死」について書いたので、
今日は、「生」について書いて見たいと思います。

自分が思う所の「生」とは、、、

それは、「1人になる事を恐れない」
そんな、生活をする事と考えています。

人は、決して1人では生きて行けないと思います。

だからこそ、あえて、
1人で何かをする気持ちを持つ事は、
必要なのでは、ないのでしょうか?

貴方は、この事をどう考えますか?

1人で何かをする事は、

「失敗したらどうしよう、、」
「皆は、自分をどんな風に思うだろう、、」
「本当は、間違った選択をしてるのでは、、、」

様々な気持ちが、私達の行く手を阻む事でしょう。

だから、誰かを頼り、共に行動しようとする。
それも、決して悪い事では無いと思います。
生活をしていく上で、必要な処世術ですよね。

しかし、物事の歯車が上手く回転している時は、
良いのですが、思う様な成果が出ない時、
そんな時、貴方はどう考えるのでしょうか?

「人の云う事を聞いたから、、、」
「自分は、ちゃんとやってたけど、、」

そんな風に、自分を正当化してはいないでしょうか?

失敗をする事は、何かをする上で
必ず付いて回る事です。

でも、失敗をした現実から、

「恥ずかしいから、、」
「自分のプライドが許せないから、、」

と、本音では逃げてはいないですか?

色々な理由で、自分を正当化して
本質を見ようとしないのでは、
そこから何も得る事が出来ない。

そんな風に、私は思います。

「自分が、何かをする」
そう考えるだけで行動に、
責任感が生まれますよね。

また、失敗しても言い訳が出来ないので、
失敗を、次に繋げようと考え、努力をしませんか?

何事においてもそれは、当てはまる気がします。

仕事においても、日々の生活においても、
繰り返しが無く、日々刻々と変わる生活を、
精一杯、頑張ろうとしないでしょうか?

人と何かを共にする事も、必ずあります。

しかし、気持ちの上で、
相手に依存した状態で、
本当に何かが出来るのでしょうか?

ここで、質問があります。

「貴方は、誰の為に生活してますか?」

毎日の生活は、誰の為でなく貴方の為に在ります。

自分に言い訳のしない
そんな、生活を私と共に、
少しずつで良いですから、頑張りましょう。


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今日、ラジオから、「死」についての
ニュースが流れていました。

小さい子供の大半は、
「死んでも、生き返る事がある」と、
本気で考えてるとの事でした。

原因は、TVや雑誌の、「九死に一生」等の番組や、
心霊体験等の記事による所が多いと、
そう話してました。

もし、誰かに「死」について聞かれたら、
貴方は何て答えますか?

死は、決して怖くない。
また、何かに生まれ変わるんだよ
って、答えますか?

死んだら、神様が居て
良い事をした人は、天国に、、
悪い事をした人は、地獄に、、
と、話して聞かせるのでしょうか?

それとも、何も無い「無」の世界へ
行くんだよ
とでも、答えますか?

自分は、現場に向かうトラックの中で、
朝の渋滞の列が続く道路の上で、
いっぱい考えて、考えて見ました。

個人的な考えですが、自分も子供達と一緒で、
生き返りはしなくても、
死ぬ事はないと思っています。

自分が、心に思い続ける限り自分の心の中で、
自分と一緒に、最愛の人も年を重ねて行くと思っています。

でも、現実には居ないんですよね?

嬉しい事があって、分かち合いたい時も、
悲しい事があって、共に泣いて欲しい時も、、

最愛の人は、もう居ません。

現実には居ない、心に住む人を
思い考え、そして、愛し、
生活する日々も、素敵な事だと思います。

ですが、、、

「仕事も手につかない」
「勉強もする気になれない」
「自分も愛する人の元に行きたい」

そんな、自分の生活が狂うほどに思う事は、
自分は、少し違う気がします。

最愛の人は、自分が居なくなった後で、
自分の為に生活を狂わせた貴方を
見たらどう思うでしょうか?

心に、開いた穴を埋める事は難しいと思います。
一生掛かっても埋まらないかも知れない。

でも今この瞬間を、貴方は生きている。

貴方が生きているから、、、
貴方の最愛の人もまた、
貴方の心の中で生き続ける事が出来る。

それを、忘れないで欲しいと思います。

また、いつかもし、、、

貴方の心を埋めてくれる
そんな、誰かが現れた時は、
どうぞ、前に進む勇気も持ち合わせて下さい。


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昔、TVの中のヒーローは、強くてかっこよくて、
何でも出来るスーパーマンでした。

だから、ヒーローは、何でも出来る人、、
そう、自分の中で考えてました。

人々を、悪者や地球の危機から救うヒーロー、
何があっても、負けない心と立ち向かう勇気、、、

あこがれてヒーローグッズを、身にまとい
部屋を外をと、駆けずり回った日を、今でも覚えています。

身にまとうだけで、自分はTVの中のヒーローと
同じ気分になれるそんな時期を過ごしてました。

しかし、中学・高校になると少し、
子供の頃とは考え方が違って来ました。
この時期の自分は、今、思い返すと、
力が全てで、力こそが正義と思う時期でした。

気持ちだけじゃヒーローとは云えない、
力があるから、出来ることがあるんだ。
そう、考える様になりました。

剣道に空手と、力を求める事ばかりしてた
そんな記憶が蘇って来ました。

時は、今に移ります。
今の自分はどうなんだろう?

昔の様に、少し遅く起きた日曜の朝、
TVの中では昔と変わらぬヒーローが
人々を救う為に、頑張っています。

ですが、今はもう、ヒーローなんて居ない事も
TVの中は作り話なんだって事も知ってます。

考え方は、変わりながらも、
心に思ってきたヒーローは、
もう、自分の中には居ませんでした。

「ヒーローは、現実には居ない」
そう考える自分がそこには居ました。

そう感じてから数日が過ぎた日の夕方、
仕事で現場から帰る時に、
目の前の薬局で、おじいさんが倒れてました。

そのおじいさんを、薬局のおばさん二人が、
抱き起こそうとしてる、、
でも、年配の女性では持ち上げられない
そんなふうに見て取れました。

自分は、トラックを横に止めて
降りておじいさんを抱き起こしました。

おじいさんを薬局の中にあるシートに座らせて、
そして、車に戻ろうとした時に、先ほどの薬局のおばさんが
ありがとうの言葉にそえて、飲み物を差し出してくれました。

自分は、その飲み物を受け取りながら、軽く会釈をして、
車に戻りそのまま、その場を走り去りました。

その時にふっと、思った事があります。

偶然、通りかかり、助け起した自分と、
TVの中のヒーローがダブって感じる事が出来ました。

このおばさんやおじさんからしたら、
もしかしたら、この時だけは、
自分はヒーローと言えるのではないか?
そう、考えてしまったからです。

けっして、大きな事ではないけれど、
人に話したら笑われちゃうかもしれない、
沢山の人々を助けられないかもしれない、

ヒーローは、自分の心が作り出した虚像かもしれない。

でも、目の前の人だけを救うそんなヒーローに、
期間限定で、対象者も限定したヒーローなら、
誰でもなれる気がした。

「誰もがちょっとした行動で、なれるんだ」
ってそう思いました。

ちっぽけで弱々しくても、
色々悩みや不安を抱えてたって、
それでも出来る事がある、
出来ることがあるなら始めて見るべきだと思う。

いつかもし貴方が、結婚をして、子供が産まれたら、、

自分達が小さい頃、感じた様に貴方の子供にとって
お父さんは、何でも出来る憧れのヒーローです。
お母さんは、全てを包んでくれる憧れのヒーローです。

子供に礼儀・躾を教える事も大事ですが、
子供の夢であるヒーローを、
お父さん・お母さんが、育んで見せてあげてください。
子供は、言葉ではなく、貴方の背中を見て育つものです。

良い事をしようとすると、笑う人が居ます。

ですが、その人も本当は笑いながら、
良い事をする・出来る貴方を、
羨ましく思っています。
出来ない自分を、認めたくない為に、
笑う事で、気持ちのバランスを取っています。

そんな人でさえ、貴方の行動を見てれば、
いつか変わり、賛同してくれるでしょう。

だから、どうぞ、笑われても諦めず、
貴方だけのヒーローを目指して頑張ってください。


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「プライド」って聞くと、
みんなはどう感じるんだろう?

自分にも多かれ少なかれ、
これは仕事で誰にも負けないって思う事がある。

また、仕事の質では誰にも負けないって思う気持ちから、
仕事で仲間の力を借りずに一人でしようとする事もある。

自分は、職人なので仕事は見て覚えるものと、
昔から教わって来た。
だからなのか、覚えるためには怒られても、
親方の仕事を覚えようと必至で
見よう見真似で頑張ったりもした。

そのつらい時期を乗り越えたから、
プライドが生まれるんだと思う。

プライドは、何事をするのでも必要な事だとは思う。
自分が、頑張ってきた証だから、、

でも、自分の経験から言えば、

「プライドは、必要な時には
捨てる事が出来ないといけない」って思う。

「プライドを取るか?もう一方を取るか?」
の様などちらを取るかの二者択一に迫られた時に、
プライドと比べる事が、自分にとってどれほど必要か?
これを考えた時にもし、迷うようなら
迷わずに、プライドは捨てるべきだと思う。

プライドを捨てる事に抵抗があるのも分かります。
自分の過去を否定してる気がしますよね?

でも、何も考えずプライドに固持するより、
考えてプライドを捨てる事で必要な何かを得るのは、
心に豊かさを運んできます。

そんな時に卑屈になる必要は、ないと思う。
胸をはって、そう、、

「自分の為に今は、プライドを捨てたんだ」

と、思ってください。

いつか、自分の選択が間違ってなかったと思える日が、
きっと訪れるでしょうから、、

さーて、自分も、頑張ってみようかな、、、
偉そうに、プログに書いちゃったしね(笑


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