この大きな編集画面。

あの頃を思い出す。

 

お気に入りの店のキャストと、DMでやりとりをして怒られたものだった。

だから、キャストの方も捨てアカウントを持っていて、そのアカウントとアメンバーになったものだ。

限定記事なんか書いたものさ。

あの子のためだけの。

LINEがまだなくて、メールでやりとりしたものさ。マイミクになるのは気恥ずかしくてね。

それも今は昔。

 

もう、僕は、コンカフェ業界でもインターネット業界でも老害と成り果てたみたい。

例えば、自分の家の近く以外に大きなバイパスを通して、大したことのない田舎の地価をあげたあげく、近隣に排ガスを撒き散らし、自宅近くはそのようにならないように配慮する政治家みたいに。

 

僕だって、コンカフェ界のフィクサーになってみたかった。インターネット界のフィクサーになってみたかった。

でも、もう無理みたい。

映画LEONでマチルダは言う。

「おとなになっても人生は辛い?」と。

僕にはレオンの気持ちが良く分かる。

きっと言ってしまうさ。可愛く、年端もいかない女の子にだって。アンニュイな表情で。

「ああ」と。

 

確かにあの頃は楽しかった。

コンカフェに来ている周りの客よりも僕は若くて、そして度胸があった。

金を使う度胸が。

そして、田舎で鍛えたコミュニケーションスキルがあった。

東京に出てくるために使ったコミュニケーションスキル。

出し惜しみしていたその残りを好きなキャストに費やした。

 

あの種の店では、基本的に店以外でのコミュニケーションができない「前提」があった。

だからこそ、どれだけの「想い」を伝えられるかに、全てがかかっていた。

推し、ガチ恋。

「好き」にグラデーションをつけて、本気でないと装っている客が大半だった。

それは、あの街特有のコミュニケーション・プロトコル。

そうすることで、彼らは僕らは、彼女らは互いに傷つくことを回避した。

 

放課後の教室、告白してごめんなさいと言われたあの頃とは違うのだ。

チョコを受け取ってもらえなかったあの頃とは違うのだ。

僕らの青春は、アキハバラでなされた。

僕らは特殊なヒエラルキーの中で同一階層を保持した。

 

つまり、モテ男になれなかった連中と、自分に自信がありながら、しかし、社会全体の中では中の上になることを無意識で忌避した臆病で繊細な女の子の集まり。

それがアキハバラだった。

 

しかし、同一性を持つコミュニティの中での異質さ。

つまり、その中で、弱気に「推し」などという言葉を使わずとも、女の子と遊べる連中と、

そして、コミュニティの中での人気者の女の子というのは目立つものである。

同じであるという前提の中でのヒーロー、ヒロインは言いようがない優越感と、そして、孤独感をも味わうものである。

 

僕らは同一であるが故に深層で憎み合っている。

好きなキャストと懇意の客がいれば、ミサイルよ落ちろ、彼にだけと思うものである。

そして、大して可愛くもないと思えるのに愛嬌や強引さだけで人気のキャストに大して、早く化けの皮よ剥がれろと思うものである。

 

ああ、つまり何が言いたいかって、落とし物()をした日常はひどく退屈で、少しあの頃みたいな刺激がほしいなって思うということなのだ。

まあ、もう起き抜けにホテルのラウンジで泣きたくはないけれども。