去年の 俺は絶好調・・・・・凄いね=====此処まで回復していたんだ。

退院時は 100mも歩けなかった此の俺が 此処まで回復していたとは 

主治医の赤嶺も さぞやビックリだろうね?>

 

そして丸々一年。現在はこの日を境に 俺の体調は 下り坂・・・・・

マタマタ 筋力低下の始まり始まり・・・・・・

肝機能検査の検査数値は 今日の温度計みたいに ぐんぐん快方に向かってうなぎのぼり。

其れに 反比例するかのように 筋力はマタマタ下降気味?・・・・なんでこうなるの?。

考えられる事はやはり此の筋力低下は 肝硬変に由来するものではない。と云う事。

可笑しいだろう。・・・どうして 他の原因を考えないんだろう。

確かに 肝硬変が 悪化して重篤な状態に成れば 蛋白の 合成が追いつかなくなり

極度の筋力低下は 起こるらしい・・・・

処が 俺の 筋力低下は 肝臓の検査数値が 良くなるにつれて 悪化を続けている。

本当に其の原因は 肝硬変だけの症状なんだろうか。納得いかない 俺。意志の伝達(笑い)

 

それも 一旦は回復しつつあるものの あるところまで回復したら 又悪化に 方向転換?。

肝臓専門医でも 此の症状は解らないんだろうか?。(現在の主治医は肝臓専門医)

こうなってくると 何のために 俺が転院したのかわからなくなってくる?。

もしかして 転院して 主治医が 変われば 見立ても変わり 新たな治療方法が見つかるかも知れないとの 俺の淡い期待も 大はずれの様な気配になってきている。

此れが 本当に進歩した現代の医療制度なのか?・・・手抜きやってんじゃない?。(主観)?。

 

其れはそれとして その後此の日の登頂成功から2ヶ月余りで 肝硬変の悪化による肝細胞癌の告知。何だか出来すぎレースみたいだね?。(主観)

どうなってんだろう?。 疑い深い 俺はもう医師への感謝どころか恨みすら 感じているよ。

 

 

さて今月も後一日。二月の日にちが 何時もより数日少ないのは知ってるけど

閏年じゃ無いときは 28日で 終わりなんだね~。不思議な気持ち~?。面白い?。

 

今月の体調測定==昨日の泌尿器科の診察では 検尿では 混濁尿も無く 細菌感染も無く 白血球の増加も無く 異常なし?。尿に細菌が混入すると 其れを退治する為 白血球の増加が見られるそうだ。(担当医の受け売り)。

体重 55,3k 服を着たままなので 目安だけど 俺にとっては良好だ?。

寝起き==昨夜は随分夜更かしたようだが トイレに起きることも快眠・・・優秀だ・・・・

目覚めると 相変らずの 指先の強張り?。現在は 指先に限定して 起こっている。

指先だけが 痺れ感?。握力 極めて弱い?。

足腰には 痺れ感は無いものの 立ち上がるときの感じでは 幾分減退を感じる。

何だか上半身の 筋力は 衰えていないようだが 下半身だけはあれだけ歩いて 食事の管理をしているのに此の状況は何んとも不満だ?。

昨日本渡市内を 散策した為 有る程度の筋肉痛は仕方ない所なのかも知れない。

只 こんな様に歩きすぎたような時の筋肉痛は 想定内なのだが その後の回復の度合いが何だか満足のいくものでは無さそうだ?。

 

やはりこのままでは 去年のこの時のような 体調まで改善するのは難しそうだ?。

何か 方針を 変えてみないことには 新しい道は開けないのかも知れない?。

 

新しく方針を 変える?・・・・どんな風に・・・・

肝硬変の治療を続けながら 肝細胞癌の変化に 怯えながら どんな方向が一番良いのだろうか?。難しい問題だ?。

 

全て薬剤を変更するか。それとも病院ごと変更するか?。

病院を 変えてもね~。シッカリ原因の特定をしてくれたら良いのだろうが?・・・・

原因が 又アルコール性肝硬変なら 時間の 無駄使いだよね~。

でも 今ならどんな病気が隠されているとしても それなりの 体力がある内なら どんな治療でも耐えられそうなんだけどな~・・・・悩める数日。

但し 肝細胞癌の手術と 抗がん剤だけは使う心算は無いよ。

(俺の知る限りの 癌に侵された患者さん達。手術をしても 抗がん剤治療をしても 少しだけ延命に成功したとしても 其の経過は悲惨そのもの・・・・其れよりも 与えられた命を精一杯生きる方にしました)。

 

肝硬変だって 肝癌だってそんなに悲観するものではないよ。

キキ キリンさんが生前よく言ってたよ。癌だって明日死ぬ訳じゃない。逆に残された時間を有効に使えるんだから 幸福なんだってさー。

物事は当人の考えようだよ・・・・長い道のり 精一杯生きようぜ?。・・・アドレナリンを求めて

 

と云う事で 何か新しい方針を 捜して 今日もまた一日が 終わりそうです。UMAくんラブムキー