My Campus Life in my Empty Canvas

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こんにちはー。現在慶應SFCに通っている大学生です。公私ともにいろんなことが起こる毎日は面白いですね。そんな日々を気が向いたときに綴っています。

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今から何キロやせたら、ちょうどいい? ブログネタ:今から何キロやせたら、ちょうどいい? 参加中



なんかよく無駄にペタつけてくる広告の日記みたいな題名ですね。笑

でも内容は普通の日記です。ニコニコ



てことで本題へ。

僕は今の体重がちょうどいいです。

ほんとちょうどいいです。

まぁできるならあと2~3キロやせた方が数字の見栄えは良くなるかな。笑

でもそんな感じです。



いつかの日記でも書いたと思うけど、

この体重に至るまではほんとぶーちゃんでぶーちゃんで仕方がありませんでした。ぶーぶー



よくある「受験太り」ってやつですね。



高校の時というかもともと痩身で、

体重もそこまで重すぎず、むしろちょっとガリって感じでした。



ところがどっこいしょ。

受験を迎えて部活をやめたらまず数キロ脂ちゃんが乗っかってきて、

それからちょくちょく体重は増えていきました。

そして受験期にはストレスがたまって、ご飯を食べる時がストレス発散の時間となってしまいました。ラーメン

これって本当に残念かつ終わってると思うんですよね。笑



そんなわけで高校3年生の夏と比較して、

受験が終わったころは僕の顔はパンパンに膨れたくらいに太ってました。

そしてジーンズや他のズボンも入らず、

極め付けには肉割れを起こすっていう見た目上大変痛々しい現象を引き起こしてしまいました。笑

かつては組めた脚も、脚が太くなりすぎて組むことができず、

眼鏡をかけてニコって笑うとほっぺたのお肉で眼鏡が動きました。



Les Misérables...



ほんと無情でしたよ。

受験ってこんなに太るものなのかって。



結局何キロ太ったかというと、



なんと…



+11kg。



まさかこんな数字を見るとはって思うくらい太ってしまいましたね。叫び

あーおそろしやおそろしやドクロ



でも、せっかく受験も終わったことだしってことで、

人生史上初の本格ダイエットに取り組みました。



ダイエットを始めるにあたって、

無駄に走ったり動きたくないなぁっていうか、

もう少し肉が落ちてから本格的な運動をした方が筋肉の脂肪の燃焼もスムーズにいくと思ったので、

まずは筋トレと朝バナナダイエットを始めました。



筋トレは均等にいろんな個所をえっほえっほかるーくやっただけですね。

腹筋、背筋、腕立て、ペットボトルダンベル、スクワット、つまさき上下、百均で売ってる握力…

それぞれ10~30、50くらいやってました。毎日ってわけじゃないけど。笑



まぁこだわったのは朝バナナですね。バナナ



確か森久美子がなにかの番組で朝バナナダイエットをやってたんで、

それに乗じて僕もやりました。笑



方法は至ってシンプル。



朝起きます。

一通り身支度します。

食卓着きます。



食卓にはバナナと常温の水。

水は常温がポイントらしい。

夏とかだと冷たい水を飲みたくなるけど、それじゃかえって寝起きの胃袋には良くないらしく、

逆にあったかい水もバナナの能力を引き下げてしまうらしい。

バナナの成分を体にたっぷり吸収してもらうには、常温の水がベストなのです。

なので常温の水です。



バナナどれくらい食べていいのって思うかもしれないけど、

モリクミがやってたやり方ではいくら食べても良いようです。

僕もそれを信じて一回の食事で大きいサイズのを4本くらい食べてました。

そうしないと昼まで持たないんで…笑



そんな感じでパクパク食べたらもう朝ご飯はそれでおしまい。

7時に食べたとしたら11、12時までは何も食べちゃいけません。

ちょっとこの4時間が辛いけど。あせる

たまーに日本食の、あたたかいご飯に味噌汁、焼き魚に納豆とかが無性に食べたくなるけど。笑

痩せるまでここは我慢です。メラメラ



そんな感じで割と真剣にダイエットを続けて、

2週間くらいしたころに体重計にのったら、

なんと-6kg!!クラッカー

えー!!って思って、こんな落ちるもんなのかって思いましたね。

朝バナナダイエットには朝バナナ以外の食事制限は何もかける必要がないので、

半信半疑になりながらも昼ごはんと晩御飯はきっちり食べてました。笑おにぎり

モリクミは番組で焼き肉にお酒も飲んでましたね。笑



疑いながらも、

案外このダイエット方は外れてなかったですね。

6kg落ちてからだと体もだいぶ動きやすくなったので、

朝バナナを続けながら、それからランニングやテニスを始めてぐいぐい落として行きました。

そして結果、-12kgと1キロキャッシュバック。笑

2~3か月かかりましたかね。一気に落ちてからの落ち幅は必然的に小さくなるんで。

でも、初のダイエットで大成功を収めることができました。

それからはリバウンドもなく、規則正しい生活に気をつけて、

現在の体重をキープしてます。



ダイエットをやってきて、

よく動かないダイエットってあると思うけど、

確かにそれはそれで効果あってやせたとしても、

リバウンドしちゃう可能性って高いと思うんですよね。

そうした時にあると心強いのが、脂肪を燃やしてくれる筋にくんです。笑



筋肉。笑



女性でも筋トレやっても劇的にマッチョ(ハムの様な逞しい腕に板チョコの如き腹筋。笑)になる人はホント少数だと思います。

男性女性ほとんどの人が軽く「ちょっとしまったかな?」って思う程度です。

むしろ女優さんとかはあのほっそいからだキープのためにジムに通うって良く聞きますよね。

だから、

軽度でもいいんで筋トレも合わせて行うと効果が大きいと思います。



余分な脂肪が比較的多い人はするする落ちてって、

もともと痩身な人がダイエットやってもあんま落ちないかもしれません。

まぁそれぞれの体調事情なんか知らないんで、笑

そうなると、ダイエットの効果には個人差があると言わざるを得ません。

そんなわけで聞こえが悪いかもしれませんが、

この日記見た人は参考程度にって感じで。パー



Neo-m



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ショックな時に自分の中で鳴り響く擬音 ブログネタ:ショックな時に自分の中で鳴り響く擬音 参加中




本当にショックを受けたときって、



目の前が真っ暗になって、

それから白黒になります。



よくマンガとかでは、「ガーン」や「ガビーン」とかってあるけど、

実際そんな状況に陥ったらそんなのんきな音聞こえないですね。叫び



実際に体験したときは、

これはまいった、本当にショックだって思った時は、

何も聞こえませんでした。



無音の世界です。



頭の中でそれを理解することで精一杯で、

「えっ?」ていうquestionがずっと長く響いている感じですね。



そんな状況の時って何も擬音は聞こえなくて、

ただ徒に無音の世界でした。



ただ、

軽いショックの場合は、いろんな音が鳴り響きますね。笑

ざっと挙げると、

「うっそでしょー!?」(擬音じゃないけど笑)「ゴーン」「うひょー!」(擬音?笑)…

まぁこんなところでしょうかね。

一部擬音に対して疑問を感じるけど…。



anyway,



ショックを受けたときってあんま覚えてないですね。

ただ、ほんまもんのショックは何も響きません。

無音です。



…本物のショックを受けると、そこは無音の世界でした…。



だめだ。しっくりこない。笑

「トンネルを抜けると、そこは白銀の世界でした。」

をモジるのって難しいですね~。笑



まぁこんな感じに適当にのんきに過ごしているんで、

あまりショックな場面には出会わないですかね。笑



Neo-m



ペタしてね
受験の思い出 ブログネタ:受験の思い出 参加中





受験は懐かしいですね。

一番思い入れがあったのが高校受験の時。

あれは忘れられない思い出ですね。



僕は中学の時はワ○アカとかサ○ックスとかに通ってなく、

地元のちんまりとした塾に通ってました。



そこの先生は僕が中学の時点で多分60くらいなんだろうけど、

体がとっても太くて、

怒る時はマジで怒鳴って竹刀で叩いて、時には殴ってくるんですよ。



グーで。グー



それにおびえていた僕はとにかく怒られまいとして良い子でいたけど、

たまにおしゃべりが高じて怒鳴られた友達はその勢いでグーで殴られて、

ベソかいてましたね。

そして口から血が流れてました。



ひえー叫び



ホント先生がキレたあの空気の緊張感はヤバかったです。

体がアツくなって、ワキからは冷たい汗が流れるんですよね。怒られるの聞いてるときでも。笑



でも、こんなことやったら体罰どころじゃ済まないって騒ぎたてる親御さんがいるご時勢なのに、

その先生はその道を貫いて僕たちを育ててくれて、

そして僕たちも親も何も文句言わずについて行きました。

確かに怖かったけど、

あの先生は教えることにとてもパッションがあって、

親の金で塾に来れていることを忘れるな!!って怒る時は必ず言ってたんです。

宿題の量もハンパないけど、

とにかく量をこなしたことで自信がついて、

おかげで学校のテストでは学年で1位を取ることもできました。

他の友達もほとんど学年上位にいました。

あとその先生は、

ポカリとかなんか飲み物を飲むときの喉のゴクッゴクッって音が別の部屋にいてもわかるくらい大きくて、

あと加齢臭に気にしてていつも石鹸のいいにおいがしてたんです。笑

またその時に出始めたMP3にもお金をかけてましたね。

こだわるとこはこだわって、カッコイイ大人でしたね。



まぁそんな環境で勉強してきて、

僕は高校受験では3校受けて結果全勝でした。

でも厳密にいえば3勝1敗かな。ひらめき電球

大手塾組は早稲田やら慶應やら、青学やら立教やら受けてたけど、

ああいう学校の問題って解き方があるんだけどとっても難しくて、

そういう訓練を受けてない普通の地元塾組が受けるようなところではなかったんですよね。

だから僕は私立にすべりどめとチャレンジ校を一つずつ、

そして都立高校を受験しました。



最初の受験は滑り止めの私立高校でした。

そこの特進コースに受験して、

集団で面接を受けて、

帰ってきました。

その学校はとにかく遠かったのを今でも覚えています。

池袋から乗り換えって感じで、

ぜったい他受かってやるってその時思いましたね。

数日後に合格の書類が届いて、

学費全額免除になったら考えてやるとは思ってたけど、

それもついてこなかったので、即座にその学校へ行くことはやめようと決心しました。笑



そしてその次の受験は都立高校の推薦入試でした。

その時はその学校が第一志望だったので、

がっちがちに緊張して、

がっちがちがっちがちってくらいに緊張して、笑

どうしようもなかったのを覚えています。

小論文もろくに良い解答を書けず、

面接ではあやふやな解答連発という無残すぎる受験でした。

だって、「では初めにこれまでどこか受験しましたか?」って聞かれて、

ここは何も言わない方がいい!!ってなんか判断しちゃって、

「いいえ。」

って答えたんだけど、

逆に怪しまれるかなとか、リサーチされてたら大変だって思って、

「○○高校受けました!」

って元気に答えちゃったんですよ。笑

それでもうしどろもどろになって、

あれよあれよという間に終わりました。

終わった瞬間にオワッタことを悟りました。笑



そういうわけで合格発表も行ったけど、

やはり奇跡は起こらず不合格。



でもここでまた今度こそ受かってやるって燃えました。メラメラ



そして次はチャレンジ私立校の受験です。

○大の付属を受けたんです。丸にはMARCHのどれかが入ります。ニコニコ

問題の感触というか傾向が、普通の勉強をしてきた人にも取り組めるような形だったので、

受からなくもないけど、ホント受かったらラッキーって感じで受けたんです。



受験本番に教室の監督が大学生かそこの高校生だったのですが、

その人たちがとても大人っぽく見えて、その時すっごいこの学校通いたいって思ったんですよね。

でもテストの合間にトイレ行って話聞いてたら、

大手塾の早稲田受ける組や慶應受ける組がここを滑り止め感覚で受けてるんで、

それで一気にテンションガタ落ち。

こんな奴らにかなうわけないもんね。

この学校の問題に一生懸命取り組んでるのに、上位校組はちょちょいのちょいで解けるんだから。

まぁそんな感じでまた教室に戻ったのですが、

その瞬間にふと1階に置いてあった菓子パンの自販機を思い出して、

ここに受かったらこれが毎日食べれる!!っていう安易な考えでモチベーションがすごい上がって、

そのまま乗り切ることができました。笑

その当時に菓子パン自販機って結構珍しくて、

「おぉハイテクだなぁ。」って思ったんですよね。ハンバーガー



そしてここの合格発表はWebで見ました。

受かってたら嬉しいけど、落ちてたらそこまで行った電車賃が無駄だって思って。笑

ドキドキになりながらインターネットで合否を確認。

定員300人の枠にうまく入れたかなーって思ってみてたら、

なんと発見!!

うぉっしゃーって思って合格者番号一覧の下を見たら、

「以上500名。」って。

500?

どうも毎年合格しても蹴る人が多すぎて、

いつもは380くらいだったんだけど、今年は500まで広げてたんですと。

だからきっとそのおかげでなんとか引っかかったんだなぁって思いますね。

でもホント嬉しかった!音譜



そして最後は本命の都立高校です。

一度落ちてるからもうなんかふっきれた感じで、

試験全体がすっごいスムーズに進みました。

この年の英語の試験の長文が過去最長だったんですけど、

それにもなんか見直しもせずにヒーヒーしながらもすらすら解けました。

その時はなんかサイヤ人てきなあのポウポウしたものが出てる気がして、

とにかく落ちる気がしなかったんですね。

ホント不思議でした。

これで落ちたらこの学校は見る目がないって、

それくらいの勢いでした。

自分何様だ?笑



そんなわけで、

合格発表のボードにも無事自分の名前を発見。

合格した人のみが入れる校内へ足を踏み入れ、

在校生に「おめでとうございます!!」って入り口からも吹き抜けからも叫んでもらって、

本当に幸せでした。

そして合格証を手にしたときに、

自分はこの学校に認められた人間なんだって思って、

すべての神経が感動していたのをいまだに覚えています。

まさに夢のひと時です。



ですがここからが葛藤の始まりとなりました。



ちょうどその年に姉の大学受験だったのですが、

姉は受験に超軽い意気込みで臨んで結果は惨敗。

3月の頭でしたので、2次募集の準備をしていたところでした。

それを見ていた僕は大学付属に行った方がいいのか、

それとも本命の公立高校に行った方がいいのか、

ずっと迷ってました。



都立高校の合格発表直後に中学へ戻って受験報告をしなければならないのですが、

先生に「じゃあ君はここに進学で良いんですね。」って言われた時に、

「いいえ。まだ考えています。」って答えました。

でもそしたら学年主任の先生に、「っじゃあ君はどうしてここを受けたんだ!!」って怒鳴られて、

その時にすごい泣くのをこらえていたのを覚えています。

本当に迷っていたんだし、

自分でもどうしようもないくらい迷ってたんです。

報告が終わった後に担任の先生も一緒に部屋を出て、

僕を慰めてくれて、

その時に糸がぷつっと切れた感じがして、

ついに涙がぶわって溢れてしまいました。

学級委員もやっててみんなの受験を応援している側だったのに、

こんな恥ずかしいところ見せられないって思ってたけど、

それでも涙は止まりませんでした。



都立高校の発表からその答えを出すまでの猶予が確か3日。

その間にずっとぐらぐらぐらぐら揺れてました。

両校のパンフレットを見たり、

合格証の紙質を無駄にチェックしたり、笑

いっそのこと両校に通おうかと本気で考えていました。



そして2日目の時に学校で担任の先生にも話したら。

今はなにをやりたいの?どっちが好きな?のって聞かれて、

その時に初めて気づかされました。

これから何をやりたいか、何になるのかは分からないけど、

今僕が好きなのは世界を見ることだって、

英語をもっとうまくなって世界に行くことだって、

気付きました。

最後に背中を押してもらったおかげで、惜しみながらも私立高校は蹴ることを決めて、

本命の都立高校へ入学願を提出しに行きました。

そして憧れの制服のサイズも測ってきました。



これで僕の受験は終わったんだ。



そう心から安心したひと時でしたね。



仮に蹴った私大学付属の高校に行ったにしても、

その3年間がどう進んでいたかは分かりません。



でも僕は胸を張って、その公立高校へ通って本当に良かったということができます。



いろんな価値観を持つ友達を学校だけでなく世界に持つこともできたし、

今でも頻繁に遊ぶ心からオープンになれる親友もたくさんできたし、

いろんな勉強や経験を積むことができました。

まさに人生最大の転換期であり、

この選択は僕にとって最高のファインプレーでもあります。



そして今ではかけがえのない思い出として僕の高校時代は深く心に残っており、

たまに電車で通り過ぎる時にみる「母校」の校舎に刻まれた高校の名前を見て、

幸せな思い出にすこしばかり浸ってます。



だからそう思うと、

あの時に最後の背中を押してくれた先生、

そして一歩を踏み出した自分に、

心から感謝申し上げたい。



Thank you.



Neo-m



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