珍しくオリジナルの百合だよ。香りをテーマにした、多分ファンタジーものだよ。

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人里から少し離れた森の中。
陽光が燦々と降り注ぎ、それを受けた緑はキラキラと銀の星を放っている。
木漏れ日の間を縫うように突き進めば、そこには可憐な少女が経営する香水屋があった。
程よい感覚で樹木が生えているにも関わらず、まるでそのためだけに木々が除けたような、ぽっかりと穴が開いている中心にそれは存在した。
全体的に球体を思わせるような造りで、本体は柔らかいクリーム色、屋根は薄いピンク色で、それに同化するように設えられた軒先テントの下部のフレームは緩く波打っている。
ころん、としているせいか、頭の中で桜色のマカロンが無意識に浮かんだ。

「いらっしゃいませ」

カラン、と控えめにベルが鳴る。
すると自分と入れ替わりで中から黒のスーツをかっちりと着こなしたダンディーな男性が出てきた。すれ違いざまに鼻を刺激した香りはすうっと鼻奥まで通り、その爽やかさが印象的だった。
残り香に気を取られ、思わず彼の背中を視線で追いかけるも、紳士は気づかず颯爽と去っていった。

「今の方、とても爽やかな香りだったでしょ?」

一瞬振り返ってしまったのがバレたのか、己の思考の的を射るような言葉が飛んできた。
唐突に話しかけられたこともあいまって、どきりと心臓が過剰に反応する。
今度こそ店内へ目を向けるとカウンターに声の主らしき少女が立っていた。その透き通った高い声から想像するまんまの容姿をしていた。

「はい、だいぶ、その、印象的な香りでしたね」
「あの人、政治家志望らしくて、今度の選挙のために、って調合していったのよ。でも私からすればちょっと爽やかすぎて、そうね、刺激が強すぎるかも」

でもそれがあの人の望みだから、と彼女は濁すように笑みを浮かべた。
確かにだいぶ刺激的だった。ちょっといきすぎた刺激で、もしあの人の演説を間近で聞いていたら鼻が痛くなるどころか、体調不良にまで繋がりそうだ、と心の内で正直に思ってしまった。

ここの店は珍しく訪れる客層に偏りがないという噂がある。というのも、他の香水店とは異なった特徴があるからだろう。
先程の男性も良い例で、爽やかでスキッとした香りではあるが、何の香りかと訊かれればはっきりとは答えられない。ただ、「胃に到達するほど痛いぐらいの爽やかな香り」としか表せないのである。
そう、このように特徴というのは、ミントやスミレなどといった決まった香りがないということ。これが理由の一つであり、また最大の理由である。
個人経営のカフェに置いてあったパンフレット曰く、本人の体臭を基に作られているらしい。それが人を問わず足を運ぶという、異彩を放つ所以なのである。

そのわりには店内は静かで、ちょうど今なんか自分一人しかいないのが不思議だ。

「ようこそ御越しくださいました。私の名前はファム」
「わっ、私はローリエ…です」
「そう。ローリエ、あなたは何を目的としてここへ来たの?」

端から聞いたらおかしな質問だろうが、多分これは「何を願うか」を問われている。
普通の香水でも目的別に、今日は甘いのを使おう、今日は爽やかなものをつけよう、など使い分ける人はいるだろう。これはそれと似ている。ただし、この普通の心持ち程度の作用よりも倍以上、いや、抜群に効果をもたらしてしまうのだ。
先程の男性は「選挙のために」とここの香水を求めた。さらにより強い効果も求めた。これだけでつけていない時と比べ聴衆の集客力は、得票数は圧倒的に違いをみせるだろう。
願いを叶えてしまうなんて、まるで魔法だ。いや、本当に魔法なのだ。ここの店は。
私の住む国には普遍的にちらほらと魔法は存在しているし、なんといったってパンフレットの見出しは「魔法の香水を作り出す少女」。住所は「銀葉森をはいってすぐ」。

「私は、そうですね……」

実はさほど大きな野望はなかった。政治家のように「票を集めたいから」とか「大会で一位を狙いたいから」などドーピング的作用は求めていなかった。

「人に良い印象を与えたいですね」
「わかったわ。ちょっとあなたのにおいを確認させてもらうわね」


クリーム色の重たい巻き毛がふわりと揺れた。毛先からは花の様な芳香と実際花びらが飛び散ったような錯覚を覚える。目の奥がチカチカした。
瞬間、ドッ、と心臓が大きく鼓動を打つ。矢で心臓の中心をも射られた勢いで、刹那息が詰まった。

「ふうん…ベースはこんな感じなのね…あら?」

どうかした?と大きな瞳に覗き込まれる。最初ほどではないものの、再びドクッと波打った。

(なんだこれ、なんだこれなんだこれ……!?)

彼女が少しでも動く度に、ふわりと妖しい香りが鼻腔をくすぐる。いや、動かなくても、近くにいるとただでさえ心音がおかしい。入店時より明らかにトクトクと浅く速く刻んでいて、それがとても歯がゆくて、軽く苛立ちを覚える。かと思えば、今までに経験したことのない正体不明な心地良さも感じるので、なんとも不思議な感覚だ。
彼女はどんな効果のある香水をつけているのだろう。

「いっいえ、あの、」
「あなた、名前の通りすうっとした香りが似合うにおいをしてるわねー。見た目もボーイッシュだし、ぴったりね。私、とっても好きよ、あなたのにおい」

すんすん、と首筋を嗅がれる。

(やめろっ…、やめてくれ…っ!)

相手が相手であれば勘違いしそうな言葉と甘くて不思議な香りのせいで、鼓動は更に加速するし、胸のくすぐったさと微量の苛立ちとで、脳の処理落ち、今にも心臓が張り裂けてしまいそうだ。しかも張り裂けても張り裂けても終わりは見えず、心臓がいくつあっても足りそうにない。
この感情はなんなんだろう。

(息を吸う度肺がかゆいような、あまったるくて頭がくらくらするような……でも、)

感情が乱されてどちらかというと不調になるのに、ずっとこの香りを嗅いでいたい、と思った。
離れてほしい、離れてほしくない、もっと近づいてほしい、など胸の内で矛盾が湧き上がる。それもまた自分の身体のはずなのにうまく理解ができなくて、不調は更に悪化するのだった。

「どうする?私のオススメだと爽やかベースが良いと思うんだけど…もし甘みを足したいならそれも可愛くてアリだと思うわ」

人の気も知らず彼女は人懐こい笑みを浮かべて話を続ける。ああ、可愛いなあ、とぼんやりと見蕩れた。

「はい…、人にモテそうな、爽やかベースで、お願いします」
「モテそうな…ね、ふふっ、本音はそれなのね?わかったわ、じゃあちょっと…媚薬のようなものも入れてあげようかしら、なんて」

冗談よ、と彼女は碧い目を細めた。そのあとも何か話しかけているようだったが、私はある言葉に打ち落とされていたので右から左へと、心ここにあらずの状態だった。
媚薬。そうか媚薬だ。私は確信した。彼女の放っている香りは媚薬なのだ。それが万人受けするものなのか、あるいは何故か私だけに効果を発揮しているのか。見たところ私と入れ違いになった紳士は何ともなさそうだったので、彼女の妖しい香気に当てられずにすんだのだろう。

(だとしたら余計に、なんで私が……?)

余計にわからなかった。混迷している中で、ただわかっていたことは、

(おなか、すいた)

そっと腹に手を当てる。
結局、目の前で起こっていたにも関わらずどういう工程か、ちゃんと見ることもなく私は店を出た。
相変わらず呆然としていた身に青い空は眩しかった。
店をあとにしても飢餓感が癒えることはなかったので、とりあえず甘くて美味しいと評判の洋菓子店で、毒々しいピンクのマカロンを購入し、即座に喰らいついたのだった。

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*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆あとがき*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
百合だよ。珍しくオリジナルだよ。
(多分)ボーイッシュ少女×媚薬ふりまくあまふわ女の子の百合だよ。
続けば続くよ。