後述するが、このゲームはポケモンの楽しさをほとんど理解していない開発が作ったゲームである。
なぜ、開発元はゲーフリなのにここまでポケモンの武器を理解していないのか、はなはだ疑問である。
まずは『アルセウス』の悪い点から。
①ゲーム性が単調すぎる
これが最大にしてすべての元凶。アクションゲーム、もっといえばゲームなんだから
ゲーム性が面白ければストーリーが薄くたってビジュアルがそこそこであったって
一生遊び続けられる。しかし、このタイトルはゲーム性が手抜きの一言に尽きる。
一生ポケモンを捕まえるだけ。
ポケモンというコンテンツは確かにこれまでも捕まえるというアクションに重きを置いてきた。
しかしそれは、ユーザーが「捕まえたい」という意思から自発的に捕まえていたものだった。
例えばかわいいから、かっこいいから捕まえたい。ほかにも、図鑑を埋めたいから捕まえたい。
図鑑に関してはアルセウスに近しいところがあると思われるかもしれないが、全くの別物。
つまり、従来作品であれば「エンドコンテンツ」だった捕獲というアクションをストーリーに落とし込み、強制している。
さらに、手抜きをごまかすために、同じポケモンを何度も捕まえる必要があるという仕様。
(まるでセブンの底上げお弁当みたい)
ポケモンが売れている理由は、一体一体にある個性豊かなビジュアルのポケモンを育成でき、その結果としてバトルに勝利することで達成感や優越感に浸れる。
そうでなくても、ポケモンのビジュアルを観ているだけでもいいという人もいると思う。
上記がポケモンの人気の理由の大半であると思うのだが、アルセウスにはなぜかこの要素を全て無視し、開発の自己満足を押し付けられているようなゲーム性になっている。
誰が厳選以外でムックルを15回も捕まえたいのか。
②ストーリーが終わっている
これは賛否両論ある部分だと思うので、軽く流してほしい部分ではあるが
ポケモンにおけるストーリーは基本個性豊かなキャラクターとセットになっている。
例えば、剣盾でいえば圧倒的な強さを見せつけてくれるチャンピオンのダンデや、自撮りが大好きなイケメンのキバナ。ダンデの弟でともに成長してくれるライバルのポップ。
少し思い起こすだけでわくわくするようなキャラクターが大勢いた。
しかし、今作アルセウスではそのわくわくが少ない。
ないとは言わないが、非常に少ないのである。
例えば、カイやセキ、博士や先輩(選ばなかった方の性別の主人公)はかなり愛着が持てる。
しかしそれでも今までのタイトルから比べたら接点が少ない。
これ以上にひどいのが、上記の4人以外の有象無象である。
例えば、キングやクイーンの前座のためだけに作られたキャラクターが何人かいる。
…マジで記憶に残っていない。ただ、その有象無象のほとんどが最初は(適当な理由もなく)敵対しており、ウザかったということだけ覚えている。
何がわくわくするというのか。
実はこの②ストーリーが終わっている ということも、実は①ゲーム性が単調すぎる ということにつながってくる。最初に書いてある通り、①が元凶なのだ。
つまりどういうことか。
ゲーム性は「とりあえずいろいろなところにポケモンを配置してあるから、同じポケモンを何度も捕まえて図鑑を完成・団員ランクを上げてね!」という、単調な作業である。
つまりこの作業中にストーリーの介入の余地がないのである。
逆かもしれない。ストーリーを作るのが面倒だから、作業ゲーにすることによってストーリーの介入の余地をなくした、という面もあるだろう。
◎まとめ
本当に手抜きがひどいゲームだった。
どこまで手を抜くことができるか、というチャレンジだったのかもしれない。
そう考えると、アクションに舵を切ったのも、手抜きするためだったのではないか、と勘繰ってしまう。
先述したことも踏まえ、私が考えるポケモンの良さは
①一体一体にある個性豊かなビジュアルのポケモンの存在
②お気に入りのポケモンを育成し、その結果としてバトルに勝利することで達成感を味わえる
③奥の深い対戦要素(タイプ一致・タイプ相性・3値・特性・技の効果等)
④個性的で魅力的なキャラクター
他にも、いろんな人がいろんないい点を挙げると思う。
ただしかし、『アルセウス』には少なくとも上記の良さはほとんど消えていた。
もし万が一、手抜きでこのタイトルを作っておらず、全力で作っているのであれば
開発元であるゲーフリが最もポケモンに関して理解できていないのではないか。
ポケモンというコンテンツを創り出したことに関しては素直に尊敬に値するが
ゲーム性への向き合い方に関しては、救えないレベルだと感じてしまう。