軍艦橋立差出の軍艦郵便です。

 

タウンスヴィル ⇒ KOBE 1906年5月21日 ⇒ 陸奥・福岡 5月24日

 

閉嚢交換局として神戸局が指定されているので、KOBEの消印が押印されています。

この手紙は、4月25日タウンスヴィルの書き込みから、1906年4月25日にタウンスヴィルで記され、その後差出されたと考えられます。

ちなみに、アジア歴史資料センターのHPで公開されている軍艦橋立の航海航泊予定表では、タウンスヴィルには、4月24日午前に到着し、4月28日午前に出発する予定とされています。

 

軍艦郵便なので、寄港地の現地郵便局に持ち込まれ、そこから日本に向けて船で逓送されたと考えられますが、今回は、この逓送経路を調べてみました。

国立国会図書館デジタルコレクションで『海商通報』という雑誌が公開されています。

『海商通報』の汽船発着表によると、当時濠洲線として八幡丸、日光丸、熊野丸の3汽船が運行しており、このうち、日光丸は、4月30日にタウンスヴィルを出発し、5月20日に長崎を経由して、5月22日に神戸に到着したことが分かります。

4月30日にタウンスヴィル出発であれば、4月25日に記されたこの手紙が日光丸で運ばれることは十分にあり得そうです。

でも、KOBE局の消印は5月21日なので、すべての経路を日光丸で逓送したとすると、つじつまが合いません。

 

そこで、この手紙は途中で日光丸から降ろされ、ほかの方法で運ばれたと考えました。

明治39年(1906年)4月発行の時刻表によると、日光丸は長崎に5月21日午前に到着するようです。

長崎を午前11時20分に出発する汽車で神戸まで逓送されたとすると、翌日の午後4時36分に神戸に到着しますので、5月20日午前に日光丸から降ろされたこの手紙は、同日午前11時20分に長崎発の汽車に乗り、5月21日午後4時36分に神戸に到着し、その後、KOBE局で5月21日の消印が押印されたと考えました。

ちなみに、長崎を午後一番に出発する汽車で神戸まで運ばれたとしても、神戸には5月21日中に到着します。

 

八幡丸、日光丸、熊野丸は、日本郵船株式会社の汽船ですが、当時オーストラリア・日本間を運航していた外国籍の汽船も調べてみました。

当時のオーストラリアの新聞広告によると、WILLEHAD、PRINZ WALDEMAR、PRINZ SIGISMUNDの3汽船がシドニー・横浜間を運航していたようですが、WILLEHADは4月14日シドニー発、PRINZ WALDEMARは5月12日シドニー発、PRINZ SIGISMUNDは6月9日シドニー発で、どれも4月25日にタウンスヴィルで記されたこの手紙を5月21日にKOBE局に運ぶことはできないと思います。

 

《逓送経路のまとめ》

❶タウンスヴィル 4月30日発 ⇒ 長崎 5月20日着 日光丸による逓送

❷長崎 5月20日発 ⇒ 神戸 5月21日着 汽車による逓送

 

ほかの可能性もあるかもしれませんが、うまく説明できるので、今回はこれでよしとします。