皆さん、こんにちは。まるがおです。
前回は、私のサコサコの魂が薄暗い海域に彷徨い出るのを未然に防止し、ランニング的暗夜行路に連れ戻したところまでお話しました。
今回はその続きです。
昨年11月のつくばマラソンは、ランニングへの取り組みを変える潮目となりました。
結果だけ見れば、それは決して散々だったという訳ではなく、むしろ走り込めなかった割には健闘した方だと思います。
しかしながら、それを走り終えた後に、私の中にふつふつと情けなさが湧いてきました。
な・さ・け・な・い。
私は山にこもって、修行に明け暮れる崇高な禅宗の僧ではありません。
ランニングを通して自らに痛みを課し、それを克服することで、自己を鍛錬しているわけではありません。
ましてや、ランニングに伴う痛みを完全に克服することにより、括目して世界を広く見渡す能力を獲得し、心に悩みのある世人に対して、天上からその解決の糸口を見つけ、泰然自若の構えでその人に寄り添う存在になることを目指しているわけではない。決して。
でも、どんな理由があれ、走ることによって生ずる痛みや苦しみは、自ずと倒すべき相手となります。
きっと倒すことなどできないでしょうけど、そいつらとかっぷり四つに組んだ時から勝負は始まるのです。
勝てない相手ではある。でも、負けないことはできる。のではないか。
32キロで歩いてしまったとき、私はこの痛みと苦しさに寄り切られました。
完全に負けました。悔しさが沸き上がりました。
もっと粘れたのではないか、と私は内省をしました。がっしりと組んだままで、たじろがず、引かず、相手を制することはできなかったのか。
私は自身の情けなさを強く感じ、恥じ、このまま終わらせるわけにはいかないと思ったのです。
それは、私以外の誰も感じることのできない、小さな火でした。
私の中で頼りなく灯ったその小さな青白い火は、日追うごとに少しずつ大きくなり、やがて大きな反逆の炎となりました。
誰も知ることのない、体の内に燃える紅蓮の炎。
メラメラメラ。メル・メラ・メロ。
つくばマラソンが終わり、次のターゲットが愛媛マラソンとなりました。
その時点でまだ、2か月半の時間がありました。
私が最初に取り組んだのは、やはり長距離走です。クリームシチューとパクチーくらい苦手です。
でもこれをやらなければ、また悔しい思い、情けない思いを味わうことになる。
土俵の内で嘲笑するランニング的苦痛大魔王を睨みつけ、中指を立てながら退散することになる。それはもう御免です。
つくばマラソンを含め、過去のフルマラソンのレース結果を振り返えると(振り返るまでもなく)、すべて後半、28キロから32キロの辺りで失速し、ほぼ戦闘不能状態となっています。
最後まで快走し、コーヒーで黄色くなった歯をニカっと見せながら、自慢の丸顔をさらに丸くして、余裕のガッツポーズをかましてゴールラインを跨ぐ。
そんなことはまず無理だけれど、少なくとも、この戦闘不能状態を回避できないだろうか。
レース結果やGPSウォッチで計測した詳細なデータを見ると、走り始めてだいたい2時間半前後でこの戦闘不能状態が引き起こされていることに気づきました。
そこで私は、ペースは一切気にせず、むしろいつも走っているよりもずっと遅いペースで、長時間を走って体力つけようと考えました。
つまり、LSDトレーニングをしようと考えたわけです。
LSDとは、ロング・スロー・ディスタンスの頭文字をとったもの。
つまり、長い距離を長時間かけてゆっくりと走るというものです。
私は以前、このLSDは何度かやってみたのですが、ゆっくり走るのが苦手だったので、長続きしませんでした。
しかし、苦手だからやらない、という理屈は紅蓮の炎が燃やし尽くします。やるしかない。
最初は2時間のLSDから始めました。ペースはできるだけゆっくり。
走ってみて、だいたい1キロ7分半くらいが私の超ゆっくりスピードだったので、7分半よりも速くならないように気をつけながら、2時間を走りました。
2時間くらいなら、案外苦も無くいけました。その後は少しずつ時間を延ばし、週に1回のペースでやり続けます。
2時間15分、2時間半、3時間、と。
さすがに3時間も走ると、最後は脚が重くなります。
きついのですが、目標とするサブ3.5では3時間を超えて走り続ける必要があるため、これにいくらか慣れる必要があります。
このようなLSDを12月から1月上旬くらいまで毎週続けました。
そして年の瀬、12月の下旬に、荒川の河川敷のいつもの練習場で、一人で30キロ走を実施しました。
私にとって30キロ走は、もっとも苦手なトレーニングメニューです。
それまで、最後までまともに走り切れたことは一度もありませんでした。
様子を見ながら走ろうと、レースペースよりも遅い1キロ5分15秒くらいのペースで実施しました。
恐る恐る走り続け、25キロを過ぎてからは脚が重くなりましたが、不安に反して最後まで失速することなく、むしろペースアップをして走り終えることができました。
LSDの効果を実感し、トレーニングの方向性が間違っていなかったことを確認できました。
サブ3.5に大きく近づいた瞬間でした。
そして愛媛マラソンの3週間前、1月の下旬に埼玉の彩湖で行われた「彩湖ハートフルマラソン」の30キロの部門に出場しました。
このレースがマラソンに向けた最後の関門。卒業試験のようなものです。
レースペースである4分40秒で走り切ることがこの日のミッションでした。
このペースで最後まで走り切れれば、タイムは2時間20分になります。これがターゲットタイム。
正直なところ、あまり自信はなかったのですが、12月の30キロ走の成功イメージが心の大きな支えになりました。
そのお陰もあり、ペースはその時よりも30秒以上速かったものの、終始落ち着いて淡々と走ることができました。
やはり最後はキツくなりましたが、何とか脚は持ち、またペースアップをしてゴール。
目標としていた2時間20分よりも2分ほど早いタイムでした。大きな収穫を得ました。
この日は日中もあまり気温が上がらず、6度くらいの寒い日でした。
しかも10キロ過ぎから雨が降り出し、風も吹き、ゴール後は手がかじかんで、なかなかシューズの紐がほどけませんでした。
硬く結んだ靴紐に悪態をつきながらも、その時完全に不快ではなかったのは、心に確かな達成感と嬉しさが溢れていたからだと思います。
達成感は、私の自信を確実に大きく、強くしました。
それが胸の中にくべられたとき、反逆の業火は、その勢いをさらに増したのです。
それから3週間後。愛媛マラソンのスタート地点は、同じように小雨が降っていました。
今シーズンのレースは雨が多い。
そのスタート地点で、私は、彩湖の30キロを思い出しました。手にごわごわとした、あのかじかんだ感触を感じました。
いける。絶対にいける。ここで絶対に決めてやる。
胸の内で、私は静かに、しかしとてつもなく強く、激しく、反逆の炎を燃やしていました。