第6問:自分の写真を見て「こんな顔だったっけ?」と何故思うのか
【体験】
人は1日のうちにどの位自分の顔を見ているのでしょう。鏡で見る場合、延べ時間としては普段お化粧をする女性の方が圧倒的に長いでしょうが、回数としては男性もそれ程少なくはないと思われます。このように人は多くの場合、鏡を使って自分というものを認識しています。
かく言うわたしも1日に10回近く鏡で自分の顔を見てると思います。ナルシストではありませんが、顔色とか髪型とかを見たり、なんとなくパシパシと頬を叩いて気合を入れたりしています。そんな具合に自分の顔がどんなものか毎日確認しています。次第に老けていくことだけは分かりますが、あまり変わり映えしないものです。
ある時友人が写メールを送ってきました。いつの間に撮られたのか分かりませんが、わたしがPCに向かっている様子を左斜め前から写したものでした。「こっそり撮ってゴメンネ」みたいな文が付いてました。友人は遊び心で撮ったものでしたが、わたしには少々衝撃的でした。いつも鏡で見る自分とはかなり違うのです。良いとか悪いとかではなく、単純に「自分てこんな顔だったっけ?」と思わず顔をさすりました。確かにそんな顔だったようには思うのですが、目とか鼻とかのパーツは同じでもレイアウトに少々違和感があったように思います。無理やり例えれば、もし自分に双子の兄弟がいたらこんな感じなんだろうなと。
家に帰り、比較的最近の記念写真や、パスポート、運転免許証の写真を改めて見てみました。うーん、それぞれ微妙に違うのですが、鏡の中の自分よりも送られてきた写メールの方に近いような気がします。
鏡の中の自分、写真の中の自分。どちらがより正しい自分を映し出しているのでしょうか?いや、両方とも違うのかもしれません。本当の自分とは..妙に気になります。
【検証】
まず前提として確認しておきたい大事なことがあります。それは、自分の生身の姿を自分の目で見ることは永遠に不可能だということです。鏡にしろ、写真にしろ、映像にしろ、何らかの媒体を通した状態で見ることになります。臨死体験をし自分の姿を外から見たという方がいるそうですが、現実的には意識不明の状態であったはずなので一先ず除外させて頂きます。
では通常自分だと思っている顔とはどういうものかというと、一番回数の多い鏡の中に映った自分だと思われます。
何故かと言いますと、ただ回数が多いということ以上に、自分を認識しようとする意識が一番高い時であり、また自分が他人からどう見えているかに注意が行く場面だからなのです。顔形にダメ出しをし、もうちょっと笑顔にしようとか髪の乱れなどを直し、「これで良し!」と自らOKを出している状態です。
しかしそれが虚像であることはすぐにお分かりになるでしょう。鏡に映った時点で既に左右逆転しているのです。
パーツは一緒でもレイアウトは違うのです。人の顔は正確な左右対称には出来ていません。前髪を左右どちらかに流している場合はさらに違う印象になるでしょう。鏡の中のあなたは、もう既にあなたそのものではないのです。
話を鏡から離しましょう。
人は社会的な生き物です。他人の目を気にするのは当然のことです。しかしそれ以上に気にしているのは、他の人の姿形、言動です。人は社会の輪の中にいる以上、自分が一番快適に感じるよう、常に周囲に気を配り自分がどう振舞うべきかをコントロールしています。社会の輪の中におかれた人は、輪の変動により動かされます。これを自意識の他律化現象と呼びます。
この状態で取られたわたしの姿が、【体験】で記した写メールの中のわたしなのです。旅の記念写真、パスポート、免許証などのいずれもが、この他律化された状態でのわたしだったのです。
【結論】
自分の写真を見て違和感を覚えるのは、自分だと思っている鏡の中の人物、つまり自律状態の自分を本物だと認識しているためです。それも左右逆転してる自分です。
しかしより客観的なのは、他律化した時の人物、つまり写メールされた自分の方です。
どちらを本当の自分とするかは、難問です。答えは十人十色でしょう。皆さんご自身の判断にお任せするしかありません。
【追記】
「人の振り見て我が振り直せ」
とはよく言ったもんです。
あなたが見ているその人の姿は、その人自身には見えていないのです。そしてその逆もまた真なのです。
まぁどんな姿を見られたっていいじゃないですか。あなたを見ているその人だって、自分のことが分かっていないのですから。わたしそうは思います。
人は1日のうちにどの位自分の顔を見ているのでしょう。鏡で見る場合、延べ時間としては普段お化粧をする女性の方が圧倒的に長いでしょうが、回数としては男性もそれ程少なくはないと思われます。このように人は多くの場合、鏡を使って自分というものを認識しています。
かく言うわたしも1日に10回近く鏡で自分の顔を見てると思います。ナルシストではありませんが、顔色とか髪型とかを見たり、なんとなくパシパシと頬を叩いて気合を入れたりしています。そんな具合に自分の顔がどんなものか毎日確認しています。次第に老けていくことだけは分かりますが、あまり変わり映えしないものです。
ある時友人が写メールを送ってきました。いつの間に撮られたのか分かりませんが、わたしがPCに向かっている様子を左斜め前から写したものでした。「こっそり撮ってゴメンネ」みたいな文が付いてました。友人は遊び心で撮ったものでしたが、わたしには少々衝撃的でした。いつも鏡で見る自分とはかなり違うのです。良いとか悪いとかではなく、単純に「自分てこんな顔だったっけ?」と思わず顔をさすりました。確かにそんな顔だったようには思うのですが、目とか鼻とかのパーツは同じでもレイアウトに少々違和感があったように思います。無理やり例えれば、もし自分に双子の兄弟がいたらこんな感じなんだろうなと。
家に帰り、比較的最近の記念写真や、パスポート、運転免許証の写真を改めて見てみました。うーん、それぞれ微妙に違うのですが、鏡の中の自分よりも送られてきた写メールの方に近いような気がします。
鏡の中の自分、写真の中の自分。どちらがより正しい自分を映し出しているのでしょうか?いや、両方とも違うのかもしれません。本当の自分とは..妙に気になります。
【検証】
まず前提として確認しておきたい大事なことがあります。それは、自分の生身の姿を自分の目で見ることは永遠に不可能だということです。鏡にしろ、写真にしろ、映像にしろ、何らかの媒体を通した状態で見ることになります。臨死体験をし自分の姿を外から見たという方がいるそうですが、現実的には意識不明の状態であったはずなので一先ず除外させて頂きます。
では通常自分だと思っている顔とはどういうものかというと、一番回数の多い鏡の中に映った自分だと思われます。
何故かと言いますと、ただ回数が多いということ以上に、自分を認識しようとする意識が一番高い時であり、また自分が他人からどう見えているかに注意が行く場面だからなのです。顔形にダメ出しをし、もうちょっと笑顔にしようとか髪の乱れなどを直し、「これで良し!」と自らOKを出している状態です。
しかしそれが虚像であることはすぐにお分かりになるでしょう。鏡に映った時点で既に左右逆転しているのです。
パーツは一緒でもレイアウトは違うのです。人の顔は正確な左右対称には出来ていません。前髪を左右どちらかに流している場合はさらに違う印象になるでしょう。鏡の中のあなたは、もう既にあなたそのものではないのです。
話を鏡から離しましょう。
人は社会的な生き物です。他人の目を気にするのは当然のことです。しかしそれ以上に気にしているのは、他の人の姿形、言動です。人は社会の輪の中にいる以上、自分が一番快適に感じるよう、常に周囲に気を配り自分がどう振舞うべきかをコントロールしています。社会の輪の中におかれた人は、輪の変動により動かされます。これを自意識の他律化現象と呼びます。
この状態で取られたわたしの姿が、【体験】で記した写メールの中のわたしなのです。旅の記念写真、パスポート、免許証などのいずれもが、この他律化された状態でのわたしだったのです。
【結論】
自分の写真を見て違和感を覚えるのは、自分だと思っている鏡の中の人物、つまり自律状態の自分を本物だと認識しているためです。それも左右逆転してる自分です。
しかしより客観的なのは、他律化した時の人物、つまり写メールされた自分の方です。
どちらを本当の自分とするかは、難問です。答えは十人十色でしょう。皆さんご自身の判断にお任せするしかありません。
【追記】
「人の振り見て我が振り直せ」
とはよく言ったもんです。
あなたが見ているその人の姿は、その人自身には見えていないのです。そしてその逆もまた真なのです。
まぁどんな姿を見られたっていいじゃないですか。あなたを見ているその人だって、自分のことが分かっていないのですから。わたしそうは思います。