第1問-耳の掃除をして大きな垢が取れると何故感動するのか | モリタのトリビア的疑問100の考察

第1問-耳の掃除をして大きな垢が取れると何故感動するのか

(体験)                      
 あなたはカサカサ垢ですか、ベトベト垢ですか。日本人での割合は9:1だそうです。わたしは少数派の方です。
 ベトベト垢は耳かきでは取りにくいので綿棒を使います。綿棒の先から1センチちょっとのところを握って、耳の中をホジホジします。大抵はたいした手応えもなく綿棒が少し黄色くなるだけ。でも収穫を求めて2週間以上掃除をサボり勝負をかけます。うまく溜まってくれるとしっかりとした手応えが指先に伝わります。少しだけ痛みが伴うこともありますが、そんなことはおかまい無しで作業を続行します。
 すると茶色がかった黄色い固まりが綿棒にくっついてボロンと出て来ます。大きさ1~2mm。そんな時はおぉーっと小歓声を上げてしまい、ついでに家族に見せて回ります(まずほとんど嫌がられますが)。
 しばし固まりを眺め色を確かめ、綿棒の先でツンツンして粘り具合を確かめます。ええ感じの弾力です。感動です。
 カサカサ派の方はどう掃除してるんでしょうか。コメントでどうぞ。ちなみに我が家ではわたし以外皆カサカサ派ですが、いい大人が互いに掃除し合ってます。わたしはその仲間には入れてもらえません。

(検証)
 まず耳掃除前の心構えが他の部位(鼻、へそなど)の場合と違います。自分で垢が溜まってる様子が分かりません。鏡を使ってもまず見えることはないですね。耳鼻科にあるようなファイバースコープを耳掃除の為に買ったなんて人はまさか居ないでしょう。“体験”で記したようにうまく溜まってくれてるかどうかは掃除してみないと分かりません。そこに見えざるものを探すという冒険心探究心が生じます。この気持ちは、人間の動物としての本能です。
 次に掃除のテクニック習得に妙味があります。見えないところを掃除するわけですから、手先ならぬ指先の繊細なテクニックが必要とされます。ベト派の場合指先で握っている綿棒の部分を中心にグルッと棒先を耳奥の壁に沿うように回転させます。ここでわずかなグニョとした感触をピピッと感じ取れるような指先の修練が必要です。そのテクニックを身に付けていくと収穫時の達成感が増します。さらに技術向上への意欲も湧くことでしょう。
 そして収穫物を眺めたり突付いてみたりして鑑賞する、まったりしたひと時を味わいます。ティッシュペーパーの上にころがっている茶黄色い物体を、ただのカスだとは思えません。今さっきまで自分の体の一部だったのですから。別にほっといても悪さをするものでもなく、ただ耳奥に一生懸命へばり付いてただけの健気なやつです。我が身から産み出されたのだと思うと愛着も湧きますし、この後はゴミ箱に捨てるしかないと気付けば一抹の寂しさも感じざるを得ない。そんな心境になります。

(結論)
 耳掃除で大きな垢が取れると感動するのは、人が生まれながら持っている冒険心・探究心をかき立てられ、また経験と工夫により習得した技術により、自分の可愛い分身を産み出すことに達成感が得られること。一方すぐに別れなければならない定められた運命を寂しがることによるものだと、本考察では結論付けます。

(追記)
 ここまで読んで頂いて、あぁなるほどと感じた方、あなたベトベト派ですね?
 何言ってんのと感じた方、主流のカサカサ派でしょう。
 どうお感じなっても結構です。なにせここに書いたことは所詮“どうでもいいこと”なんですから。

ブログ主"trivialquestion" 敬白