第18話 妹のエルマが攫われた! やっと姿を現した巨大石油メジャーっていうお話



 もうすぐ冬がくる。春休み前の僕と、今の僕とではまるで別人だと思う。「井上由里って名前の女の子でもある」のが、一番違うところだけど・・・

 穏剣の飛距離は200倍速で300mに延び、100mの距離では戦車の20mmの装甲板をなんなく貫いた。これならニューモーゼルの有効射程距離より長い。僕は練習を積み重ね、300mで50cmの的の中心に40%を当てられるまでになっていた。
 それから静竜。これまで30mが限界だった「必殺距離」を50mまで伸ばすことを中心に練習を繰り返した。20mの距離に24mm厚コンパネ板を立てて、そこにペンキで的を描いたものを打ち抜く演習を繰り返していたけど、しだいに威力が増してきていて、最近ではコンパネ2枚重ねを射抜けるようになっている。これなら拳銃弾並み、いやそれ以上の破壊力だ。

 僕は新しい武器も研究所に発注してあった。「メリケンサック改」だ。
 アメ横のナイフの店に寄ったとき、ガラスケースの中にメリケンサックというのがあった。握って拳の補強に使うもののようだった。
「双子の武器としていいかも」
 そう考えた僕は、これの改良版を発注した。正拳突きの時、拳の前面を覆うハイパーチタン&ステンレス合金の板が生身の拳を守る。さらに中指のあたりから突き出るように、ハイス鋼(ハイスピード鋼)と酸化チタン・窒化タングステンの合金製のコーン型突起をねじいれられるようにした。これで殴れば、相手のダメージは致死的になる。
 
 適当な練習台がなかったので、近くの羽根木公園の松林に入り、太い幹の松の前に立った。
 メリケンサック改を両手にはめる。呼吸を整え、正拳突きくりだす。
「ドン!」という衝撃音が僕の耳に伝わった。
 松の幹に突起が食い込んでいた。かなりの威力だ。次に50倍速にする。威力は50×1.5=75倍になるのかな?
 息を整え、腰を落とし、突く。
「バキャ!」という音がした。手に伝わる衝撃は逆に軽くなった。しかし、松の太い幹は突いたところからふたつに断ち切れていた。拳が松の幹の向こう側に達していたのだ。
(すげー!)

「すっごーい!」
 絵美か莉実のどちらかが感嘆の声を上げた。
「そこのケースに同じのが入ってるから、二人ともはめて試してみれば?」
「うん!」
「あら、軽いのね」
 ふたりは右手のこぶしに米サック改をはめ、正剛流の正拳突きの型を演じた。様になっていた。
「あっちの木でやってみて」
 僕がスピード・アイにして突き出すのと比べる方がおかしいけど、それでも二人の突きは恐ろしいほどの威力があった。コーンはその全体を幹にのめり込ませていた。
「これ、左手にはめて練習するわ」
「左手? どうして?」
「右手は桜丸かワルサ―PPKを持っていたいのよ」
「なーる・・・でもこれはめたままでも銃は握れそうよ」
「・・・うーん、そうかー。刀握るのも銃を握るのもできなくはないわね。そうね、これ付けたままでいかに正確に撃てるか、刀を使えるかを練習する方がいいかな」
 新しいおもちゃをもらった子供のように、ふたりは熱心にあーでもこーでもやりながら、松の幹を穴だらけにしていた。

 僕は双子から離れて、別の松の幹を叩いた。50倍速だ。
「バン!」という音とともに幹に大穴があいた。
 松の上部がゆっくりとこちら側に倒れ始めていた。僕はその場を左に寄って離れた。その場にいたら、松の大木の下敷きになる。
「こりゃ50倍速じゃ早すぎるな」
 いったんリアルタイムアイに戻して、松の巨木が倒れるのを見ていたが、今度は10倍速でやってみることにした。
「ガシュ!」
 10倍速の正拳突きは、米サックの突起の根本まで幹に食い込み、拳板が幹の表面から5mmほどを破壊して止まっていた。
(これくらいで充分だな)
 僕はこの米サックの改良型を「犀角」と命名した。
 それからしばらく、僕たちは林の中で松の木を相手に犀角の威力のテストに没頭していた。

 フランスから帰国し、米軍の付属病院で外傷を、日本の大学病院で眼を診てもらいなおしたけど、莉実のケガは肋骨2本の骨折だけだと診断された。その骨折もすでに完治している。
 ちょっと治りが早すぎる気がするけど、絵美に言わせると「私たち特異体質なの。怪我してもいつもすっごく治りが早いのよ」ということだった。
 莉実がこう言った。
「由美ちゃん、私の被弾した場所、知ってるよね」
「うん。しっかり確認したから」
「・・・」
「なによ莉実。赤くなってないでちゃんとお話ししなさい」
「うん。それで恥骨のところに当たったのがあったの、覚えてる?」
「うん。恥毛の生え際、だよね」
「やだもう、しっかり見すぎ!」
「で、それがどうかしたの?」
「あれから私の視覚、やっぱり変なのよ」
「? 変ってどういうふうに?」
「いつもじゃないけど、人が何重かにダブって見えるんだ」
「・・・」
「普通の人はほとんどそのままなんだけど、ダイ、いえ由里ちゃんはよくダブルの」
「ふーん。それはなかなか興味深いお話ね」
「え? 変だと思わないの?」
「ちょっと思い当たることがあるからね」
「そう・・・」
「で、それと恥骨の関係は?」
「あ、そうだ。あそこのアザだけ、まだ色が戻らないのよ。紫色からだんだん赤くなっていって、いまは薄めの青。それにそこが変な感じなの」
「変、ねえ・・・莉実。それ内臓かどこかで、すごく明るい光の輪がグルグル回ってるって感じじゃない?」
「そ、そう! そうなの! ダ、由里ちゃん、どうしてわかるの?」
「やっぱりね。あれから莉実の眼、色が変わったこと、自分で気づいてる?」
「え? そうなの? 絵美、そうなの?」
「うん、気にするかなと思ったから言わなかったけど、莉実の眼、ときどき金色とか銀色とかに変わるのよ」
「金・・・ねえダイちゃん。私どうなってるの?!」
「まあ、落着きなって。それ、僕は別の場所で起きてるんだ」
「あー。ダイちゃんになってるぞー」
「あーもう、めんどくさいなあ! 私はいま3つは回ってるのよ」
「みっつ? ねえねえ、なんなのそれって?」
「チャクラ」
「チャクラ? あの、ヨガの本に出てくるあれ?」
「そうさ。インドのヨーガ・スートラに出てくるチャクラは6個。もっと時代が下がると7つ。それが次々と開花していくと、最後にはニルヴァーナに到達できる。これがチャクラ」
「なによニルヴァーナって?」
「イギリスのロックグループ!」
「そうだけど、違うんだ。漢字で書けば『涅槃』。人間が進化していって最終的に到達するステージ、ってこと」
「ちょっと由里ちゃん。それってあなたが論文書いてたヤツでしょ?」
「うん。ケンブリッジ大とスタンフォード大はその論文で僕に博士号をくれるって言ってる」
「ねえねえ。私の眼の話と関係あるのそれ?」
 莉実がじれったそうに僕の両腕を掴んで揺さぶった。

 どうやら莉実はパリのアパルトマンで銃撃を受けたショックで、チャクラのひとつが回り始めたようなんだ。場所から考えるとシュワディシュターナ・チャクラ。男女とも陰部付近に存在すると考えらえているチャクラだ。

「莉実ちゃん。あなたには今日からひとつ新しい訓練というか修行をやってもらうわね」
「?」
「ちょっとバルコニーに出ましょ」

 僕は双子をマンションの部屋からルーフ・バルコニーに連れ出した。ルーフ・バルコニーは根の浅い植栽が植えられた、広々とした屋上庭園となっている。床には本物の洋芝が敷き詰められている。
 僕ははだしのまま芝生を歩いた。双子もまねしてはだしのままついてきた。
「あとで買ってきてあげるけど、この芝生の上にヨガマットを敷いて、こうやって・・・」 
 僕はその場で三角倒立をした。
「こうやって安定させて、と・・・うん、これでいい」
「なにそれ。それもヨガ?」
「うん、そうだよ。このまま、可能な限り三角倒立しているんだ」
「どれくらい?」
「僕は、いえ私は一晩このまま寝てたこともあるわよ」
「えー! ありえなくなーい?」
「こら、ちゃんとした日本語しゃべれ!」
「はーい。でもそれ、何に効くの?」
「効く、かあ。ちょっと違うな。何が、どこがステップアップするの? って聞くのが正しい・・・と思う」

 さっきから盛んに僕に食って掛かってるのは絵美の方だった。莉実は真剣な表情で僕の顔をじーっと見つめている。
「分かったわ。私やってみる」
「え? そうなの? わかんないなあ」
 絵美にはピンとこいないらしいが、当人の莉実が何かを感じているのは確かだった。
「そう。さすがにこんなのは簡単なんだね。どう、安定してる?」
 僕は見事な三角倒立をしている莉実に尋ねた。
「うん。これ、気持ちいいね」
「そうでしょ? 私が眠っちゃうの、わかるでしょ? じゃあ、呼吸だけど・・・」
 僕は逆立ちの莉実、結跏趺坐の絵美のふたりに、本格的な丹田呼吸法を教えた。
 
 この莉実に起きている現象は、僕にもよくわかっているわけではなかったけど、人間の多重構造に関係すると思う。西洋医学、科学では全く説明できないし、その存在すら認められていないけど、古代からインドでは「人間は多重構造である」という見方をしている。

 人間は物質=肉体で出来ている。その中に「自我」がある。ここまでは西洋医学、科学と同じ。しかし、ヨガやアーユル・ヴェーダの根本的な「人間存在の分析」によると、人間は肉体を覆うように「エーテル体」という存在があり、さらにそれを覆う「メンタル体」、「アストラル体」という存在で多重に構成されている、と説明している。
 この「物質界の肉体」以外の構成物は普通の、つまり「物質界に縛られすぎている」人間には、見えない。感じられない。「物質界」の追及に終始する西洋の科学、哲学では、古代インド人が見つけ出したこの「精妙体」は認識することすらできないのだ。

 チャクラは物質界の肉体の中には存在しないといわれる。エーテル体、もしくはメンタル体のひとつの「器官」なのだという。これが開花、つまり働き始めると、それは物質界の肉体にも影響を与える。僕の場合は、木から落っこちたことによって、いくつかのチャクラが回りはじめ、BIGという超人的性能力が発現したのだとソニアは解釈した。
 さらに、僕が小さいころから叔父に鍛えられてきた静剛流古武術では、「丹田呼吸法」という特殊な腹式呼吸を日常生活レベルで出来るように毎日しごかれ、身についていた。これがヨガでいう「プラーナ(氣)」の通路を確立したらしい。他のチャクラもいくつか回り始めていて、これが「超アイ」の発現に繋がったのだと思う。

 莉実は銃撃のショックでひとつのチャクラが開花したようだ。それにより、人間の多重構造が見え始めているのだと思う。チャクラ開花の先輩の僕も、時々おかしなものを見たりするけど、莉実はかなり鮮明に見えるらしい。個人差が大きいのかな?
 チャクラの働きはまだまだよくわかっていないらしく、どのチャクラが開花すると、どういう変化が現れるかといった基本的な分析すら確立されていない。まして、複数が同時に回るとどうなるか? なんてのはどんな文献にも出てこない。

 しかしウパニシャッドや、ヨーガ・スートラ、ラーマーヤナなどの中に、「超人的な活躍をする英雄」が出てくるし、彼らの力はチャクラと結びつけて理解されている。そして仏教経典やバラモン経典にも、同様の記述が散見される。「理趣経」には、直接的ではないにしろ「セックスによるチャクラの発現」が解説されている。
 何はともあれ、莉実が何者かに成長(変身?)し始めているのは確かだった。僕はその成長を手助けしようと思ったのだ。


     *  *  *


 突如、僕の脳の一部に異常な感覚が走った。あの「超アイ=1000倍速」に切り替わる直前の感覚だった。僕は地面を転がり、視線をその異常感覚の向いている方向に向けた。
 男が林の中にうずくまり、両手を僕の方に突きだしていた。拳銃による狙撃だ。
 僕は100倍速に切り替えた。危険が迫り、オートマチックでスピード・アイに切り替わると例外なく1000倍速になってしまう。この時はその「予兆」が来たのであえて100倍にしてみたんだ。

男に駆け寄った。まさにトリガーを引き絞り始めたところだった。サイレンサーが付けられた大型オートマチック拳銃だ。銃口の狙う方向は、いままで僕が立っていた地点だ。こんな銃を持っているのは、プロの殺し屋だけだろう。

 男の背後に回り、犀角の突起の先端を男の後頭部に突きつけた時、リアルタイムに戻した。
「バスッ!」という押し殺したような発射音とともに「えっ!」という男の声がした。
「おとなしくしなさいね」
 僕は男の後頭部に犀角の突起を押しつけながら、のんびりした口調で言った。
「ど、どうして・・・」
「どうしてあの場所から私の姿が消えて、自分の後ろにいるんだ? ってことかしら? それは内緒! で、この状態をどうするつもり? 見てたんでしょ? 私の拳の威力。あんたのアタマを一瞬で粉々にするのって、チョー簡単なのよ」
「・・・」
 男の頭の中の混乱が、手に取るようにわかった。

「あんたの組織のヒットマンは、バラバラに動いているようね。情報の伝達が遅いわよ。私は銃撃では殺せないってこと、伝わってないんだ。こないだは高速ライフルで狙撃されたのよ。時速1000km以上の弾速だったわね。それでもそのライフル弾をよけたのよ私。あんたのそのニューワルサーの弾なんて、ヒヨコが歩いてくるくらいにしか見えないの。それで私を殺そうなんて、笑っちゃうわ」
「・・・殺せ!」
 男がくぐもった声で言った。日本人だけど、アメリカで訓練を受けている殺し屋らしい。この程度のヒットマンだったら、尋問、拷問で新しい情報が引き出せるとは思えない。殺しても無意味だし。
 僕は男の後ろから前に回った。拳銃を掴む。男はあっさりと手を離した。
「帰っていいわよ」
「え? なんだって?」
「帰っていいって言ったの。あんたみたいな雑魚を殺してもしかたないし、その筋に引き渡して拷問しても、新しい情報なんて出てこないでしょ。だから無益な殺生はやめておくことにしたの」
「ううう。こいつ・・・」
 それなりの訓練を受けてきたんだろうな。格闘技には自信があるんだろう。男の体から、それまでとは違う気が吹き出してきた。

「いいわよ。相手してあげるわ」
 僕はスタスタと、すこし広くなっている場所に歩いていった。振り向くと男が立ち上がってすごい目つきで僕をにらんでいた。
「早くしてよ。あんたみたいな雑魚に時間を使うのはもったいのよ」
 思い切り侮辱してやった。

 男が飛び込んできた。相当の使い手だとわかる。いきなり後ろ回し蹴り。僕がステイでアタマを後ろにスライドさせた鼻先を、空気が焦げるくらいのスピードでかかとが通り抜けていった。
(うーん、どうしよう? 油断すると命取りになるなあ。じゃあ、2倍速だ)
 僕はリアルタイムでもこの男に勝つ自信はあったけど、それが「油断」というか「慢心」というものだろうと思ったのだ。実際、2倍速で、いい闘いになった。

 静剛流の技を次々と繰り出し、男を叩いてゆく。約15秒、闘いが続いた。
 男が白目をむいて前のめりに倒れていった。
「どう? 気が付いた?」
 僕は男の背中にドンと飛び乗った。靴の下で、男が蘇生して動いたのがわかる。
「このまま、アタマを蹴り潰してもいいのよ」
「・・・わかった。降参だ。おれの負けだ」
「当たり前でしょ。私がどれだけの力を持っているかくらいは教えてもらってるんでしょ? 一人で何千人もの武装集団と戦ってきて、いつも勝ち残ってきたのよ。あんたと遊んであげたのは、体を動かすためだけ。帰ってジャクソン・モバイルのバカ連中に報告しなさい。東洋の魔女はとんでもなく強いって」
「・・・わかった」
 男の背中の筋肉が緩むのがわかった。殺されないことを確信した証拠だ。
 僕は男の後頭部に軽く蹴りを入れた。またぞろ逆襲しようとしてくるのは目に見えているし、それも面倒だったからね。
 見ると絵美莉実のふたりが静かに僕と男を見ていた。こんな雑魚に僕がやられるわけはないと確信しきった表情だ。

「ずいぶん遊んでたわね」
「静剛流の基本の型を全部やろうと思って」
「でも、どうしてジャクソンだと判ったの?」
「持ってた銃がアメリカ製の最新バージョン。いま欧米で悪魔・魔女に手を出してくる理由があるのはシェブールかジャクソン・モバイルだけ。シェブールはアズナブールとは絡んでなかった。ジャクソンのフェレは僕に捕まって、CIAで尋問中。報復する理由があるのは、あるいは捕虜交換したいのはジャクソンだけ」
「なーる!」
 僕たちはマウンテンバイクを停めた公園の入り口にもどり、マンションに帰った。

(やっぱり超アイの1000倍速になる直前に危険を察知できるようになったみたいだな。これはすごい進歩だなあ)
 僕は自分の成長を実感していた。危険が迫ったとき、1000倍速に切り替わればその危険を避けられる。しかし、1000倍速はどれだけの時間継続するのかが分からない。2分続けばリアルタイムでは丸一日分に当たる時間を超スロースピードで過ぎる周囲の中で過ごさなければならない。退屈でやってられない。
 蜂の羽の振動がカラスの羽ばたきより遅く見えるし、電動丸ノコが出す木くずがゆっくりと舞い上がるくらい。ひとの首を断ち切っても、血が吹き出すまで1時間くらいの感覚だ。とにかく1000倍速はほとんど時が止まっているに等しい緩やかな流れなんだ。
 これは身を守るにはありがたいんだけど、そうなる寸前に察知できるとなれば、僕の行動も効率的になるってもんで、今回確認できたこの新しい感覚はすごい進歩というか、成長というか、ステップアップ、だった。

「・・・ということで、その男を無傷で解放したんだ」
「君がジャクソン・モバイルの名前を言ったのは、誘いだな?」
「そう。こうなったら向こうから仕掛けてくるのを誘った方が早そうなんだもん」
「そうだな。何人いるかわからんヒットマンを探し出すのは困難だ」
「国防省副長官のハリー・ブルースはどうなったの?」
「確実にスパイだと分かった人間は泳がすという方針どおりにしようと決まったとたん、拳銃で自殺した」
「あらら。ほんとに自殺?」
「まあ、暗殺だろうな」
「まだまだ根は深い、か・・・で、フランス・ジャクソンのフェレは?」
「あいつは食わせもんだな。支社長ってのも飾り物だったし、大した情報はなにも持っていそうにない。ただのイスラム過激派とのパイプ役だ」
「ジャクソン相手じゃ、米軍やCIAでも動きようがないよね」
「・・・」
「でも、僕の家族に付けた超音波発信機のトレースだけは絶対に怠らないでね」
「ああ。それは約束する。一人に6人のスタッフを付けて、交代制で監視している」
「了解。まあ、誘拐しても、僕の身柄の確保が目的なんだろうから、いきなり殺すことはしないと思う。あそこに隠せば、超音波発信機は見つからないだろうしね。所在地さえわかれば、僕が何とかできるから」
「しかし、ピカティニー・アーセナルの連中は奇抜なものを作ってくるな」
「あの発信機のこと?」
「ああ。隠す場所も場所なら、電波ではなくて超音波というのも・・・」
「普通の発信機なら、探知機使えばどこに隠そうが見つけられちゃうでしょ」
「やっぱりあれもダイの発案なのか?」
「うん、そうだよ」
「やっぱりスケベだな!」
「まるでママみたいだねー」
「で、ダイは本当にあのジャクソン・モバイルを相手に闘う気でいるのか?」
「そうさ。ジャクソンが仕掛けてきてるんだよ。こっちからじゃない。闘うしかないじゃない」
「うーむ。とんでもない事態だな」
「うん。米軍の全部隊を相手にする方が楽だと思うよ」
「あんまり年寄りをいじめないでほしいもんだ」
「あはは。ごめんね」
 
 狙撃者が僕の暗殺失敗をどう伝えたかはわからなかった。でも、僕と対峙して、無傷で帰ってきたあの男は、僕についてさんざん尋問されまくっただろうことは想像できた。
 

 エルマが誘拐された。くそっ! ロリコン野郎どもめ!
 うかつだった。今日エルマは定期試験で登校することは知っていた。マイクは厳重にガードしたようだけど、まさか教室に押し入って誘拐するとは思っていなかったらしい。確かにごつい米軍兵士が校舎内に立ち入るのはむつかしいだろう。敵は夕べのうちに校舎の屋上に忍び込み、あっという間にエルマを攫い、ヘリで拉致したという。

 僕は誘拐犯からの連絡を待ったりしなかった。場所は発信機で掴んでるから、いまごろは米軍の調査班が詳しく調べてるだろう。
エルマが攫われたということは、井上由里ではなく、ダイ・ミシマに対する挑戦状が叩きつけられたということだ。いまダイはLAにいるとか、井上由里とダイとの関係がどうのこうのは、僕の頭から完全に消えていた。だってジャクソン=ロベルト・アズナブールはダイが日本にいることを知っていたんだもん。

 僕は叔母の敦子も不在の道場に行き、ダイの服に着替えた。それから地下練習場に入り、戦闘服を着こむ。金庫と弾薬庫から持てるだけの武器、装備をミレーのリュックに詰め、地上に出た。
「由里ちゃん、私たちは?」
 事態をマイクから聞いたという双子がスマホに連絡してきた。
「いいからそっちでおとなしくしてろ!」
「・・・気をつけてね」
「あ、ごめん。だめだな、やっぱり怒りに我を忘れてる。もっと冷静になるよ。ありがと莉実。帰ったらキスしてあげるね」
「もう、ばか!」

 マイクが示したエルマの超音波発信機はジャクソン・モバイルの日本支社を示していた。大胆なことだ。大手町にある、東証1部上場の国際的企業の日本の本拠ビルに、誘拐した少女を連れ込んだのだ。
(宣戦布告ってやつか)
 僕はタクシーでそのビルに乗り付けた。外見はかまっていなかった。ありったけの武器・装備が入ったリュックを担いでいる。迷彩柄の戦闘服にヘルメット、腰のベルトには神威、静竜を差している。いかにも物騒な格好だった。

 1階ロビーはだれでも入れる。電車の改札口のようなセキュリティは飛び越えた。見ていたガードマンがあわてて走ってきた。僕はそれを無視し、エスカレーターを駆け上がって2階のビジネス棟エントランスを突っ切った。重厚なデスクの案内カウンターの前まで直進する。
「ジャクソンのトップに会いたい」
 3人並んだ受付の女性はいずれも美人だ。僕はその中の真ん中の女性に叫ぶように言った。
 しっぽが回りだしていたが、それを抑えるのはやめた。味方は多いほうがいい。
「え? あの、なんとおっしゃいました?」
「だから、ジャクソン・モバイルの日本支社長かアメリカ本社の誰かが来てるだろ? そいつに会いたいんだって言ってるんだよ」
「・・・少々お待ちください」
 普通なら、警備員を呼んで、アタマのおかしな少年をエントランスから放り出すだろう。しかし、僕の装備が物々しいせいか、あるいは剣幕があまりに迫力があったせいか、しっぽの効果か、その女性は警備ではなく、秘書室に繋いだようだった。

「・・・は、はい。わ、わかりました」
「どう? トップが会うって言ってるだろ?」
「はい。いま担当の者が参りますので、あちらでお待ちください」
 僕はちょっとイライラしていた。エルマ、怖い目に遭ってないといいけど。

「あの、三島様でしょうか?」
 頭の切れそうな顔をした日本人の男が、僕の座るソファの前に立った。見ると後ろには7、8人のスーツ姿のごつい体格のアメリカ人らしき男たちが、僕を焦点に遠巻きに弧を描くように立っている。
「やっと来たか。面倒なことを言わずに、トップのところに連れていけ」
「・・・はい、わかりました。こちらにどうぞ」
「このバカ面どもはここに残しておけ」
 僕がそう米語で言うと、男たちの中に怒りの塊が膨れ上がったのがわかった。
「ケガしたくなかったら、引っ込んでな」
「このガキが。調子に乗りおって」
 一人の男が一歩僕の方出た。僕は静竜の合金の筒でその男の側頭部を叩いた。リアルタイムでも、僕の打撃を避けられる人間は滅多にいないだろう。こめかみが棒状にへこんだ。
 男は声も上げずにロビーの床にくず折れた。残りの男たちが殺気だった。
「やめろ。この方にかまうんじゃない」
 僕に声を掛けた男が一括した。男たちの動きがピタっと止まる。たいしたもんだ。
「おまえら命拾いしたな。そいつはもう廃人だろう」

 僕が歩を進めると、男たちの弧陣がゆっくり左右に分かれた。頭に来ていたので100倍速ほどにして、神威でスラックスの真後ろのベルト、スラックス、トランクスをまとめて切り下げてやった。これで歩くこともできまい。
 リアルタイムに戻す。

(スピード・アイは出来るだけ低い倍率で戦うのがいいんだろうか? 破壊力優先で考えれば高倍率の方が威力はあるけど、それにばかり頼ってちゃ、僕の真の戦闘能力の向上にはマイナスになるんじゃないだろうか?)
 そんなことを考えながら、日本人の男の背後に付いていった。しばらくして「ああっ?」「わ!」「ガッ!」などという罵声が聞こえた。自分の下半身の無惨、というか、みっともない姿に気づいたんだろう。
 僕の前を行く男は、お供(ボディガード?)のアメリカ人たちが付いてこないので不審に思ったのだろう。振り返って立ち止まった。
「な、なんという・・・」
「あんたをどうこうしようってわけじゃないから、安心して案内しなよ」
「しかし、いつの間にあんな・・・」
「東洋の悪魔だからね、僕は。なんだって可能さ」
 男は無言でエレベーターに乗り込んだ。

 派手なエレベーターだった。箱の中にシャンデリアが下がっている。なんという悪趣味! 途中の階に止まるボタンはない。2階のエントランスホールから最上階の47階まで直通の、エグゼクティブ専用のエレベーターらしい。
「こちらへどうぞ」
 47階のエレベーターホールは50平米はあろうかという広さだった。所どころにアンティーク調のイスやソファが置かれ、寄せ木細工のコーヒーテーブルの上には、ハバナ産を示す焼き印の押された葉巻の木箱が置いてあった。ジャクソン・モバイルはキューバとも取引を続けているのを思い出した。
 僕はそのホールのエレベーター正面の、観音開きのマホガニー製ドアの中に招き入れられた。

「やあ、君に会うのは2回目だね」
 200平米ほどの広さのそこは、会議室らしかった。円卓が中心に置かれ、周りは30台くらいのデスクが取り囲んでいる。
 入り口近くで僕に声を掛けてきたのは、ソニアと行ったラスベガスのホテルでの会合で遭ったことのある男だった。たしか・・・

「エドワード・ジャクソン」
「ほう、よく覚えていたね。頭脳もずば抜けているとは聞いていたが」
 ソファにもう一人、男が座っていた。こいつの顔は見たことがない。30歳くらいか? やたらと長身でハンサムな、ハリウッドの昔の男優のような優男だ。マイクのよこした資料にも、ソニアの方からのデータにも名前だけが記された男だった。

「初めてお目にかかります。トーマス・ジャクソンと申します」
「・・・そう。あんたがジャクソン・モバイルの総帥か」
「いろいろご存じのようですね」
「そんな話はどうでもいい。エルマ、僕の妹を返せ」
「まあ、そんなに急ぐことはないですよ。エルマちゃんはふかふかの毛布にくるまってぐっすりお休みですから」
「薬を盛ったな」
「え?」
「エルマは規則正しいんだ。こんな時間に眠るわけがない」
「まあ、そういうことかもしれませんが、彼女が安全な場所にいて、髪の毛一本損なわれていないことは保証します。私が電話すれば、この場に連れてきますよ」
「直ちにそうしてもらおう。でなければ・・・」
「私を殺す。そうおっしゃりたいんでしょうが、せっかくいらしたんですから、私の話も聞いていただけませんか?」
「いいだろう。手短に話せ」
 僕は立ったままトーマスとエドワードに向かい合った。二人はイスとソファに腰を下ろした。

「あなたが異常な能力の持ち主であることは、かなり前から掴んでいました。しかし、その異常な能力というのが、セックスに関することに限定された情報でした」
「ふん。悪趣味な野郎だ」
「ソニアの愛人であるとか、あなたの性的能力に骨抜きになったソニアがイングリッシュ・ペトローリアムの株式を大量にあなたに譲渡したとか。しかし、そんなことは我々には無関係です。我々が興味を抱いたのは、あなたの精液が女性の生殖器系の病気を治すのではないかというレポートが上がってきてからです」
「そんなに前から僕のことを監視してたのか? ご苦労なこった」
「いえいえ。我々は調査機関を持っていません。必要な情報は世界中から集まってきますからね」
「まあ、そうだろうな。CIAでもモサドでも、KGBからでも」
「まあ、そういうことですね」
「それで?」
「そのBIG the boy、つまりあなたには、もう一つ、異常な能力があるのではないかという報告が上がり始めました」
「・・・」
「どういう仕組み、能力なのか、それは今でも解明できていませんが、どう分析しても、あなたが時間を自由にできるとしか考えられない動きをしているのです」
「は! 国連安保理の中国並みだな」
 僕の茶化しも無視して、トーマスは話を続けた。

「相当数の動画を集めました。あなたはご自分の能力をあまり隠さずに、というか、自慢げに披露されています」
「子供っぽくて悪かったね。でも、僕は⒘歳の高校生なんだぜ。子供そのものさ」
「あはは。とんでもない子供がいたものです。世界史の中で、一人で1000人単位の兵士を殺した戦士というのはどこにも例がないでしょうね」

「僕がやったという証拠でもあるのか?」
「そんな見え透いた証拠を残すあなたではないでしょう。残っているのは状況証拠ばかり。証言を取れる状態の生き残りも、ただ『気づいたらやられていた』とか、『目の前から消えた』とかの証言しか出てこない」
「なあ。いったいあんたは何が欲しいんだ? 僕の何が知りたい? 僕をどうしたい? いきなり狙撃してきたり、妹を誘拐したり、全く脈絡がない」

 トーマスは立ち上がり、部屋の隅のデスクの上に置かれたPCをいじった。正面の白い壁に画像の投影が始まった。トーマスがよく通る声で解説をつける。
「これはあなたがその剣で監視カメラを壊すシーンだ。最初は普通の、といっても相当早いが、まあ『人間の』動きだと言っていいでしょう。しかしこのあと」
 画面では、僕の姿がぶれ始めていた。20倍速、そして100倍速にUPしたときの映像だった。

「何度見ても、どんなに検査しても、カメラの異常ではなかった。写っている人間の動きがいきなり何十倍にもスピードアップしたという結論しか出てこないのですよ」
「・・・それで?」
「まさに東洋の悪魔。いや、失礼。我々はこの現象が現実に起こせるのかどうかを、フィジカルの専門家、物理学者を何人も集めて分析させたのです。その結論はごく短時間で出ました。『この次元の現象ではない』。つまり、時間軸の制限を超えられる超能力者。そういう結論でした。あのやらせ動画『タイムコントロールBOX』は、あれはあなたのいたずらでしょう。ばかな赤い国が安保理に持ち出したのは信じられませんでしたよ」
 トーマスは本当に笑っていた。

「バカかおまえら。堂々巡りしてるだけじゃないか。意味ないだろ? その点、エリクソンは賢いな。自分に理解できない現象は考えない。どう利用できるか、僕に何をさせられるか。それだけだったよ」
「やはりエリクソンは、あなたを使っているのですね?」
「失礼な奴だな。僕はエリクソンに使われているわけじゃない。結果的にエリクソンに有利な状況となるとしても、僕自身がやるべきだと判断したミッションしか受けてないよ」

 ぐだぐだトーマスの話に付き合っていたのは、マイクの差し向けた探査部隊がエルマの正確な現在位置を僕に送ってくるまでの時間稼ぎに過ぎなかった。
「さて時間切れだ。エルマを連れて帰るからね。もう二度と会うことはないだろう。グッドラック!」
「え? あ、私の話はまだ終わってないぞ。君の妹は、私が無事で、かつ指示を出さなければ命はない」
「そうかい。じゃあ、殺すように指示しな。その瞬間におまえはこうなる」
 僕はまだソファにすわったままのエドワードに近づいた。
「えっ!」
 エドワードが恐怖の表情に変わるのを見ながら、100倍速に切り替えた。神威を抜き、正面から降り下ろす。エドワードは頭のてっぺんから股間まで、きれいに両断された。吹き出す血がかからない位置まで移動し、リアルタイムに戻した。

 エドワードの二つの断面から噴き出す血液は噴水のようだった。トーマスが大きく目をむきながら見ている。
「お気の毒さま。いつもならこうやって相手の弱点を握りながら交渉ともいえないようなごり押しが成功してきてるんだろうね。その成功パターンが僕に通用すると考えたあんたが世間知らずだったということさ。たったいま、エルマが地下3階にいるって連絡が入った。阻止できるものならしてみな。まず最初にお前を半分にしてやる。冗談ではないのは、あれを見ればわかるな」

 僕は固まっているトーマスをそのままにして500倍速にUPし、インカムから得た情報を元に、地下3階に向かった。ちょっと計算したけど、あの直通エレベーターを使うより、非常階段を下った方が早そうだった。
 探査部隊はビルの縦方向の位置探査に成功していた。エルマはB3にいる。そして今は平面図上の所在地の確定に入っているだろう。
 家族全員が身につけている発信機もピカティニー・アーセナル製だ。実は避妊リングに仕込んであるんだ。全裸に剥かれて身体検査されても、普通の電波発信機ではないし、隠し場所がそれだから、まず発見されないだろうと踏んでいた。ただし、その装着は全員が僕にやらせた。まあ、しかたないよね。
 ジャクソンの2兄弟がロリコンでも、エルマの膣の中まで調べることはしなかったようだ。

 僕はB2で非常階段の扉を開く瞬間に、いったんリアルタイムに戻していたのを再び500倍速にした。ゆっくりと開いてゆくドアから覗くと、廊下には誰もいない。トーマスがB3の方に人員を動かしたんだろうか?
 非常階段のドアを閉めて、階段を駆け降りる。

 案の定、途中から自動小銃の銃撃が始まった。しかし、ドアから腕だけを出して引き金を引くのは3人が限度であり、恐怖からか、顔を出さないでの乱射だから、弾道が狭い範囲にしか広がらない。ひゅーん、という感じで飛んでいく銃弾を横目で見ながら、B3への階段を下りた。

 突き出ている6本の腕をマシンガンの銃身もろとも切り落とす。それから階段室の出口から飛び出した。
 廊下には15、6人の武装集団とスーツ姿の10人ほどがいた。僕は彼らの間を、神威を振るいながら駆け抜ける。振り向かなかったけど、半数は胴体が上下に両断されたと思う。

 情報が届いた。エルマが監禁されているのはB3階北側角の部屋、給水機械室だ。
 その部屋の前に立った。ドアノブに手を掛ける。イヤな予感というか、感覚がした。いきなり1000倍速に切り替わった。僕は思いきりドアを開けた。ワイヤーが切れるのがわかった。
(爆発物を仕掛けているんだ)

 僕はそれにかまわず奥のベッドに走り、眠ったように目を閉じているパジャマ姿のエルマを抱き上げて部屋を出た。出る寸前、爆発が始まったのがわかった。閃光が小さく噴き出したからだ。僕はエルマを抱えたまま、もと来た非常階段を駆け上がった。1階のドアはロックされていなかった。肩で押し開け、廊下を走り、裏口から出る。

 目の前に以前会ったことのあるマイクの部下の情報将校が、10人ほどの武装した米軍兵と立っていた。リアルタイムに戻した瞬間、グアンという衝撃音と揺れを感じた。
 いきなり目の前に現れた僕を見て、将校は一瞬たじろいだようだったが、マイクから僕のことを教えられている筈だ。

「ありがとう。位置情報は助かったよ。エルマを基地に連れていって、どんな薬物を飲まされているか検査して。マイクによろしく。すぐに連絡入れるからね。それからこのビル、屋上にヘリが停まってなかった?」
「ええ。1機エンジンを切った民間ヘリがいます」
「じゃあ、指示を出して、そのヘリが飛び立てないようにして」
「イエス、サー・・・でも、どうやるんですか?」
「米軍のヘリをその民間機の真上でホバリングさせるのさ」
「なるほど。それならどうがんばっても飛び立てませんね」
 彼はニコッとほほえんで敬礼し、エルマを抱き抱えて去った。
 さて、都心で大虐殺、といくか。

 僕は左手に神威、右手にモーゼルを握った。今出てきた裏口には、煙が立ちこめ始めていた。地下3階の爆発は派手だったけど、ビル自体には致命傷を与えるほどの威力はなかったようだ。僕がいつも使うプラスチック爆弾の破壊力がすごすぎるのかも。

 僕の姿を見つけて、こちらに走ってくる男は容赦なく切り捨てた。コツンと刃の先端を額や目に突き刺すだけだ。ほとんど血は出ない。カウンターになって、刃が頭蓋骨を突き抜けることもあったが、おおむね脳に5cmから10cmくらい入り込んだところで止めることに成功した。これくらい浅くないと、引き抜くのに抵抗が出る。
 あの直通エレベーターにたどり着くまでに7、8人を刺した。そうだ、こいつら、さっきズボンを切り落としてやった連中じゃん。バカは死ななきゃ治らないんだな。かわいそうに。

 直通エレベータはRF階に箱があることを表示していた。ボタンを押す。箱が降りてくる間に、日本人警備員がおそるおそるといった表情で顔を出した。
「な、なにぃ~! このガキがあれをやったってのか?」
「は、はい。そう見えました」
 警備員の後ろには、同じ制服を着た若い男がふるえながら立っていた。腰が引けている。

「おい、坊や。そのエレベーターは偉い人専用なんだ。乗れないんだよおまえは」
「トーマス・ジャクソンのバカが僕を待っててもかい」
「トーマス? だれだそいつは」
「主任、このビルというか、ジャクソン本社の社長ですよ。きのう来日して最上階に泊まってた」
「あ!」
 そこでエレベーターが到着した。

「じゃあ、さよなら。トーマスに言っておくよ。そっちの若い方を主任にして、おっさんは惚けてるからクビにしなってね」
 呆然と見送る二人の警備員の顔がドアで遮られた。数少ないボタンのうちのうちのひとつ、RF階のボタンを押す。箱の中に置かれたソファでゆっくりとくつろぐ。神威を鞘に納め、腰の後ろに戻す。そしてモーゼルのホルスターを胸の前に下げる。デカすぎて脇には収まり切れないんだよね、マウザーって。

 屋上に着いた。
 Rマークの上に止まったままのヘリはそのローターを回していたが、真上に米軍ヘリがホバリングしているので、飛び立つことができずにいた。
 僕は100倍速にした。それからベルトから隠剣を取り出した。狙いを付けて、ローターの軸に投げる。3投目で軸が折れた。駒のように羽根が回りながらずれて床に落ちた。その勢いが止まらず、屋上から落下していった。下を通行している人に当たると即死だろうが、それは僕のせいじゃない。それにその方向の地上は公開空地だったはず。一面に柘植が植わってて、人はあんまり入り込んでないと思う。

 ヘリのドアを開けて、トーマスが降りてきた。ヘリのエンジンが切られた。米軍ヘリがゆっくり飛び去っていった。
「やあ。残念だったね。空中散歩はまたの機会にするんだね」
「おまえは本当の悪魔か?」
「なんだよ。失礼な物言いだな。育ちが悪いのかな?」
「うるさい! おまえ、そんな旧式な銃でどうする気だ? その銃で俺を撃つのか?」
「そうして欲しいの? じゃあ」

 僕はそう言うと、トーマスの右太股に1発撃ち込んだ。
 悲鳴を上げながらころげ回るトーマスのところに行き、僕は彼に言った。
「自殺する? あそこから飛び降りれば確実にぐしゃぐしゃの死体になれるよ。自殺した方が楽だと思うなあ。CIAの拷問なんて子供だましだけど、僕の拷問はひどいよ。絶対に自殺できないようにしてから、何週間もいたぶり続けるからね。殺してくれって哀願されても、殺したりしないからね。人間が味わう最高の苦痛を、何週間も耐えられるかい? ここは僕のホームグラウンドの東京なんだぜ。僕はゆったりくつろぎながら、おまえを破壊していくんだ。楽しみだなあ」
 
 トーマスはすすり泣いていた。
「許してくれ。助けて!」
「だめだな。僕の身内に手を出した奴は、その家族全員を抹殺してやる。ほら、舌を噛んで死ぬなら、今のうちだぜ。いまからおまえの歯を全部叩き折ってやるから」
「まて、待ってくれ! 何が望みだ? 何でも言うことをきく」
「バカかおまえ。仕掛けてきたのはおまえの方だろう。何が目的で僕や家族に手を出したんだ?」
 トーマスはすべて吐くことを約束した。
 携帯であの将校に電話して、ヘリを回してトーマスを回収させた。僕はゆっくり47階に降りる階段に向かった。


 銃撃された。忘れてた。このビルにはゴマンとジャクソン・モバイルの社員がいるんだった。だって日本支社の本拠ビルだもんね。

 1000倍速に切り替わることはなかった。自由になる最高スピード500倍速までで十分対応できると本能的に、あるいは超アイを起こす能力が判断したのだろう。最近はこういう進化を遂げている。
 僕は階段に回り込んだ。100倍速にし、ニューモーゼルを取り出して弾倉を確認して安全装置をはずす。撃っているのは4人のアメリカ人だった。一人の頭に1発ずつ撃ち込む。4発で制した。
 階段を降りると、踊り場に5、6人いるのが見えた。こいつらも1発ずつで倒す。いまで200mの遠距離で50cmにマーキングできるまでに腕を上げているんだ。こんな至近距離で耳や眉間をはずすわけがない。

 47階に着いた。屋上からここまでに30人ほどの武装グループがいた。しかし、47階には皆無だった。ソファの上で左右に分かれたエドワードの両断死体があるだけだ。
 僕は下に降りる階段を探した。面倒な内装の施されたドアがその非常階段の入り口だった。 
 マイクに電話する。

「このビルで、ジャクソンの私兵がいるとしたら、何階になる?」
「そうだな・・・まさかふつうに事務をやってるオフィス階にはいないだろうから・・・」
 マイクはデータベースと情報将校の赤外線探知機からの映像を見ているはずだった。
「どうも19階と20階が怪しいな。人数が多くて動きがはげしい」
「何人くらいいるの?」
「合わせて50人はいる」
「武装集団?」
「そのようだ」
「全部殺してしまうよ」
「ああ。しかたないだろうな。君の妹を誘拐したんだから」
 決まり。僕は非常階段を駆け降りた。

(これからは神威と犀角の出番だな)
 都心のど真ん中で銃撃戦を繰り広げるわけにもいかない。それにジャクソン一族に僕の恐ろしさを知らしめる必要がある。
 25階まで降りたところでマイクから無線連絡が入った。
「連中が階段を登り始めたぞ」
「わかった、ありがとう」
 100倍速に切り替えた。23階で先頭集団にぶつかる。剣と犀角で切り込んだ。

 頸を刎ね、後頭部を突き刺し、額に穴を空ける。
 いきなり現れた僕に銃を向けて乱射し始めるバカがいて、大混乱になりそうだったので、そいつら6人の両腕を切り落とした。
 あとの連中は突っ立っているだけだった。いやいや付き合わされているという表情だ。武装というより、スーツ姿で拳銃を握っている。日本人ばかりだ。20人はいる。
(社員が命令で無理やり拳銃を持たされたんだろうな)
 そう思ったので、殺したりするのはやめにした。拳銃から弾倉を抜き取り、ひとりずつ膝を犀角で突いて回る。まあ、何か月か松葉杖のお世話になる程度で済むだろう。

 そのまま階段を降りると、また武装集団にぶつかった。僕は持っていたモーゼルの弾倉20本を一本ずつ投げた。隠剣で鍛えたコントロールと、100倍速の時速数700kmの威力はすさまじい。弾倉が当たった場所は粉々に破壊される。自動小銃は破裂し、持っている人間の体をずたずたにする。体の一部に当たれば、そこは形がなくなる。

 20本のマガジンを投げ終えると、隠剣をバックルから抜き出し、投げた。二人を貫通すると3人目の体の中で止まった。どうやらこいつらは防弾ベストを着ているらしい。
 防弾ベストも進化している。FBIやNYPD、米軍のものよりこいつらの着ているほうが防弾性能が高そうだ。
 いい機会なので、僕は隠剣の性能テストをすることにした。100倍速、200倍速、500倍速とスピードを上げて投げる。それぞれ3人、5人と貫通する人間の数が増える。500倍速にする頃には、立っている武装姿がいなくなっていた。


 マイクに電話する。
「もう誰も上がってこないけど、社内の動きはどう?」
「ビルから逃げ出してくるのがたくさんいるけど、どうも館内放送で指示がでたらしい。そいつらは普通の社員に見える。ほとんどが日本人だ。アメリカ人は全員拘束している」
「じゃあ、もう僕に向かってくる人はいないってことかな?」
「まあ、そうだろう。そろそろ警察官が突入するようだ。ダイ、そこから逃げ出したほうがいいぞ」
「わかった。じゃあ後ほど」

 僕はゆっくり非常階段を下りていった。監視カメラのあるエレベーターは使えないと思っていたからだ。でも、降りながら考えた。
(面倒だなあ。僕の映像が残らなければいいんだから、エレベーターの監視カメラを壊せばいいか)

 僕は神威と犀角を仕舞い、モーゼルを手にした。23階で非常階段のスチールドアを開けた。廊下には誰もいない。見ると30mくらい先の天井に監視カメラがあった。それを撃ち抜く。廊下を走り、エレベータホールに入り、6台並んでいるエレベーターの下降ボタンを押す。
 1台来て、扉が開く。中のカメラを腕だけ伸ばして撃つ。3発目で当たった。乗り込んでB1のボタンを押す。
 エレベーターは2階にも止まらず地下1階で止まった。
 そーっと外を見る。誰もいない。監視カメラはっと・・・やはり廊下の天井にあった。それを撃つ。
 これで出ていけるんだけど、それをやれば警官隊の拳銃や狙撃銃の銃口が一斉に僕に向けられるだろう。
(確か地下2階からが駐車場だったな)

 僕はこのビルの図面を思い出していた。
 階段を降り、B2に出る。駐車場だった。警官があちこちにいる。僕は500倍速に切り替え、思い切り走った。車路を一気に地上階まで駆け上がる。

 パトカーや装甲車がごちゃごちゃ停まっている。それら車両の周りにはフル装備のSWATや警官がうようよいたが、彼らの間を走り抜けた。
 僕の姿は見えてないだろう。でも安心してスピードを落とすのはまずいだろうと思い、道路を渡りきって、 隣のビルの陰に入ってからリアルタイムに切り替えた。

 ものすごい数の警官たちが動き回っている。僕はゆっくり歩いて、運転手が見物にドアの外に出ているタクシーを見つけて乗り込む。
「走れる道を見つけて、半蔵門駅まで行って」
 全く違う路線の半蔵門線で東に向かった。錦糸町駅で降り、JRで西に戻る。
 のんびり電車で地下練習場のある駅まで行った。

「トーマスはどうしている?」
「基地の病院で太股の銃弾創を治療中だ」
「きっちり尋問してね。すべて話さなければ、僕に引き渡すって言えば、ちゃんと話すと思うよ」
「はは。よっぽど恐ろしい思いをしたんだろうな」
「さあね。じゃあ僕はニュースでも見るよ」
 スイートルームのソファに座り、TVをつける。どのチャンネルでも臨時ニュースを流していた。

「・・・このビルは世界的な総合商社として知られるジャクソン・モバイルの日本支社が所有しています。そのジャクソンで何が起こっているのでしょう?」

「多くの死傷者が出ている模様です。しかし、ジャクソン社員のうち、日本人の死傷者の数はまだ発表されておりませんが、運び出される中には見あたりません」

「屋上から落下してきたのは、やはりヘリコプターの回転翼だということです。10階のバルコニーで止まったのは不幸中の幸いというべきでしょう」

「ビル内で銃撃戦が行われたのは確かであるという情報が入っております。平日の都心のオフィスビル内で銃撃戦が繰り広げられたという事実は、衝撃をもって受け止められています」

「どうしてオフィスビルに大量の武装集団がいたのでしょうか? そして彼らが大勢殺され、かつその相手が誰であるか、襲撃者が何人いたのか、それらについての情報がまったく伝わって来ません」

「・・・では、あなたはビル内の監視カメラをチェックしていたんですね? 銃撃や戦闘の様子はどのように映っていました?」
「あの、それが全く映らなかったんです。銃が撃たれたのは非常階段と地下と屋上のようなんですが、そこには監視カメラは設置してないんです」

「一部情報によりますと、このビルの屋上に米軍のヘリが来ていたということです」

「ジャクソン・モバイルという会社は、われわれ日本人にはあまりなじみのない名前ですが、世界の主要石油採掘会社の一つであり、その系列会社は日本にも数多く存在しており・・・」

「進入した犯人の特定がなされるのは時間の問題でしょう。多くの薬莢が残されているもようです」

「この数カ月の間に、同様の大量殺人事件が3件起きています。いずれも被害者側の遺体のみが残されており、襲撃側は死体や負傷者を一人も残していないことから、仲間が負傷者を連れ帰っていると考えられており、殺戮の数からすれば、襲撃者集団は20から30人程度のグループではないかと思われます。米軍のグリーンベレー、あるいは海兵隊の指導者でもあった軍事評論家の小関徹氏によれば、どれだけ訓練を受けた優秀な狙撃手であっても、接近戦では一人で10人を殺すのが限界だということでした。今回を含めた一連の大量虐殺事件の平均的死亡者数は297人ですから、この20から30人という数字になります」

 30人分の働きしかできないか・・・なんか情けないなあ。そう思っているところにソニアからの電話が入った。


「ダイ、無事だったのね?」
「うん。全然大丈夫さ」
「こっちじゃ、すごいニュースになってるわよ。ジャクソン一族のNo.2と3が襲われたって」
「ふーん。No.1じゃないんだトーマスって」
「そう。トップはエミリ。表には出てこないんだけど」
「エミリってロスのソニアのパーティで会った背の高い女性?」
「ええ。よく覚えてるわね。ねえ、ダイ。私今でも信じられないのよ。今度の件はあらかじめ聞いていたから、かろうじてそうなのかなって思えるけど、どんなメディアでも、犯人グループは少なくとも30人くらいの集団だって報じているわ。たった一つだけ、『東洋の悪魔の仕業だ』『東洋の悪魔はたった一人でこの大虐殺をやりおおせている』『東洋の悪魔はうら若い小柄な女性だ』なんて書いてるわ。このサイト、過去の事件のを実際に担当した警官や軍人も参加してて、かなりリアリティがあるの」
「へー。あるサイトを潰したんだけど、ほかにもまだあったのか・・・主催してる男を抹殺したから、消えてると思っていたよ」
「まあ! やっぱりあのサイトに載ってることって、事実なのね」
「いやいや。そんなのは妄想ばっかりだよ。そんなことができるのは人間じゃないよ」
「・・・でも、今度のジャクソンの件は、ダイちゃん一人でやったんでしょ?」
「うーん。僕は映画のヒーローみたいなものさ。主演者。助演も、監督も、撮影スタッフもいなくちゃ、あんなまねは出来やしないよ」
「ふーん、映画かー。なるほどね。でも、その主役を務めるだけの力があるってことでしょ?」
「まあ、そうだね」
 なんてことがあったので、僕はソニアとの会話が終わった後、PCでそのサイトを探した。

(こりゃやばいかも)
 僕はかなり驚いた。僕がこれまでに関わった事件が、ほとんど網羅されていたのだ。
 イギリスのサイトだった。スコットランドヤードの捜査官とか、米軍の軍事顧問とか、なんだか物々しい連中が投稿している。以前、エリクソンの陣営が潰したサイトではなく、新たに立ったサイトだった。
 この「東洋の魔女」というサイトには動画が組み込まれ、各事件の際の防犯カメラ、監視カメラの映像が見られる。僕はそのすべてを見ていった。
 気をつけて映らないようにしていたんだけど、いまじゃ世界中、どこの都市も防犯カメラだらけだ。僕の姿がいくつもの動画にとらえられていた。

 しかし、決定的な殺戮シーンでは、「何かの影が走り去ると両手が切断される」、「頭が断ち割られる」、ようにしか見えない。スピード・アイ状態の僕の動きは、普通のカメラでは捉え切れないのだろう。おそらく「超高速度カメラ」で撮らないと写せないと思う。
 それでも、その現場に僕、あるいは井上由里がいたことを映像は証明していた。ヘルメットをかぶり、戦闘服にデイパックを背負った僕は、確かに小柄な若い女性、いや少女にしか見えない。ふだんでも女の子に間違われる僕の外見は、欧米人には東洋系の少女と見えるのだろう。ましてウイッグを着け、女の子の服装で駆け巡る由里のイメージは『東洋の魔女』そのものだった。ちょっと若すぎるけどね。
「東洋の魔女」はもう世界中でひとり歩きを始めていたのだ。

「ということで、これからは仕事がやりづらくなる」
「そうだな・・・わかった。軍の技術センターに相談してみる。それにそのサイトは潰す」
「まあ、状況証拠にはなる映像だからね。FBIあたりはもう入手しているものだとは思うけど、エリクソンに手を回すように言っといて」
「ああ。彼にとっても君は切り札だ。しかし命取りの火種でもある。消しにかかる可能性もあるぞ」
「うん。それも考えてる。もし、エリクソンが僕を裏切ったらってね。だから打てる手は打っておくつもりだよ」
「・・・おそろしく用心深い少年だな、君は」
「そうじゃなくちゃ、生き延びてないよ」
「そうだな。裏切りはいつも身内や一番親しい相手と相場が決まっているからな」
「そう。でも僕はマイクが僕を裏切ったとしたら、笑って死ぬよ」
「・・・どういう意味だ?」
「マイクは僕の父親だ。父親が息子を売る時は、アメリカの、いや世界の秩序維持に不可欠な場合だけだろうと思う。だから、マイクがそう思ったら、言ってね。僕は消えるから」
「・・・ダイは、現代の日本人ではないな。サムライなんだ」
「だって静剛流古武術道場の道場主だよ、僕」





第 18 話 終わり