電機メーカーで海外マーケティングを担当している、まさです。 1月よりベトナムのハノイに駐在予定なので、今はその準備とベトナム語の勉強と仕事の引継ぎでてんてこ舞い・・・ でも何よりも新たな国で挑戦することにワクワクしています!
さてさて今回は僕の留学体験記を少しだけご紹介します。
あれは何年前だったかな???
留学したのが2004年の秋になるから、その2年前、高校2年生の秋に進路指導室にある1枚のチラシを見つけたのが始まりでした。
そう考えるともう10年以上前の話になるんですね。
僕が見つけた留学を紹介するチラシの中の1枚の写真。
それはキャンパス内にある広大な芝生の上で、いろいろな国籍の学生が、教科書を広げ、スナックを食べながら話をしている写真でした。
「あぁ、こんな風に色々な国の人たちと生活を共にしてみたい。語り合ってみたい。」

いま思うとそれが僕の留学生活の始まりだったと思います。
それからというもの高校生活後半の僕の頭の中には常に「留学」の2文字。
高3になった時に「いますぐ留学したい!」と親に言うと、「まずは高校を卒業しろ」と言われたぐらい、その想いは日に日に深まっていったのでした。
そんなこんなで結局、高校留学は一先ず諦め、チラシにあった留学機関を通して大学留学を目指すことに。 入学手続き、語学研修、TOEFL 受験、ビザ申請とかも終えて、無事、2004年春に渡米。 アラバマ州のサウスアラバマ大学というところで語学学校に行き、秋にはそのままその大学に入学し幼児教育学を専攻したのです。
大抵留学って聞くとアメリカンドリームみたいなスゴイ夢があったり、英語をペラペラ話すことを目標にしたりっていうのが理由だったりする
けど、僕にとっては正直なところ当時、夢といった夢もなく、とにかくアメリカに行くことが目標になっていたんです。

ただそんな意識であってもボーっとは過ごしていなかった。いや、過ごせなかった記憶があります。
常に周りにはいろいろな刺激があったからだろうな。
もちろんそれはダイバーシティーならではのアメリカにいたからかもしれない。
アラバマ No1 のピッチャーにも関わらず医者になりたい人。 超一流企業で働いていたにも関わらず、母国の教育を変えようとしている人。 普段はヘラヘラしてるのに、母国の首相を目指して本気で政治学を勉強している人。 そういった人たちと政治、社会、経済、宗教、歴史など色々なことを話しているだけでも刺激はもちろんありました。
そんな中、転機になったのは渡米1年経った秋。
突然、僕の住んでいた街をハリケーンが襲ったことがきっかけでした。
カトリーナという名前のハリケーンだったんだけど、その被害の大きさは甚大で、街中の木々が根こそぎ引っこ抜かれたり、家ごと飛ばされた
りもしていたぐらい。
親から聞いた話では日本でも話題になっていたみたいです。
僕らのキャンパスはというと丘の上にあったこともあり、一応体育館みたいな場所に避難はしたんだけど、特段何も問題なく平然としていました。
しかし少し経って、ふとテレビをつけてみると水浸しの街が見えてきたんです。
なんとそこに映っていたのは今自分がいるキャンパスからほんの10分程の市街地。
正直、単なるハリケーンではなくって、震災クラスだったことを覚えています。
そんな中、不思議なことに自分の中で沸々としてきた気持ち。
「何かできることをしたい!」
正直何をやれば分からなかったけれどとにかく募金活動。
日本からも募金が集まりそれなりの額になってから、その資金で被災地に物資支援や瓦礫撤去のボランティアも行いました。
もちろん現地の人々からは感謝もされて、泣きながら喜んでくれた人もいたことを覚えています。
だけどそれ以上にその時感じたことがありました。
それは、
「自分は日本人である」
ということ。
実はこの募金活動、日本人の友人と始めたものだったんですが、あるアメリカ人から、
「日本人なのにアメリカのためにありがとう」
って言われたんです。
それと共に
「あぁ、自分は日本人なんだ。日本人として、日本人だからこそアメリカに貢献できたんだ。」
ということを認識できたのです。
それがきっかけとなり、自らの留学のテーマは
「日本人としてアメリカで何かを伝えること」
となりました。
ちょうど3年生になったところでニューヨーク州立大学へ転学したこともあり、それを機に新たな地で日本文化紹介の団体を設立。
地域、学校と協力して年に1度日本祭りを開催したり、日本語教師の斡旋や映画鑑賞会など各種イベントも催してきました。
今でもその団体の活動は続いているからこの秋でちょうど8 年目に入ったのかな。 僕らが伝えた『日本』を通して、いつか日本に来てくれたり、日本で働いてくれたりしたら嬉しい。 いまはそんな風に思っています。
道は自ら切り開くものだと思う。
それは留学じゃなきゃできないことではないと思うけれど、
ハリケーンカトリーナを経験したから
世界中のすごい学生と出会えたから
日本文化を紹介する経験をしたから
といった日本ではなかなか経験できないことから出てきたものだったと思う。
そういった刺激・経験が留学から得やすいということは確かだと思います。
いまの僕はというと、冒頭にも書いたけど日本の電機メーカーで働いています。
立場は違うけれど、想いは変わっていません。
日本が誇るモノやサービスを世界に広く展開する。
そしていつか自分が創って売った商品が世界中の人々の生活を豊かにする。
そんなことを夢見て働いています。
そう、まずは一歩出てみるのが大切。
それを僕は最後にお伝えしたいと思います。
あなたの未知なる向こう側が輝いていることを願って。