今日は作並温泉を早く出発し、「松島」を目指します。奥松島パークラインを走り朝一番で「松島四大観」のひとつ「大高森」に向かいます。松島の260余りの島々が浮かぶ松島湾の多島美を東西南北から一望する4つのビュースポット・松島四大観。異なる魅力をもつ4つの名所では、旅の記念のいふさわしい感動の光景を目にすることができます。四大観とは「大高森(壮観)」「多聞山(偉観)」「富山(麗観)」「扇谷(幽観)」の4つをさします。
なかでも「大高森(壮観)」は、絶景を見渡す松島随一の360度の大パノラマが頂上の展望台から楽しめます。奥松島になる宮戸島にある標高106mの小高い山にあり、金色に染まる日没時の光景が素晴らしいといいます。山頂までは大高森遊歩道がありますが、表登山口と西登山口があり、表登山口のほうが近く整備されています。
平安時代から景観の美しさで名が知られる「松島」。大小260余りの諸島からなるこの小さな町に寺院や歴史館、水族館、ごはん処にお土産屋さんなどがギュッと詰め込まれています。松島を回るなら、やっぱり歩きがいいということで観光船案内所前の駐車場に車を停めます。松尾芭蕉が心が高ぶって、冷静になれず、一句も詠めなかった松島を日本三景のひとつにあげたのは、江戸時代の幕府の儒学者、林春斎が天橋立、宮島、松島を「三処奇観」と評したのに始まります。
穏やかな松島湾に浮かぶ島々をめぐるクルージングは、松島観光の醍醐味です。松の緑が彩るユニークな形の島々の景色を船上でガイドの解説を聞きながら間近に眺めれます。自然が作り出す造形美を堪能するなら松島巡り観光船の「仁王丸コース」が王道のクルーズコースです。(単にすぐに乗れたのがこのコースでした)大型遊覧船「仁王丸」は2階デッキ(グリーン乗換券600円必要)もあり、デッキで海風を感じながら一周50分の海と眺望が楽しめます。
出港してすぐに右手に見える双子島の名前の由来は、細長い鮫島と丸い亀島が波間に仲良く寄り添うように浮かんでいて、まるで双子のようであるところから名付けられています。
左手遠くに見えてくるのが「千貫島」です。島の名前は、伊達正宗が「館まで運んだ者には銭千貫を与える」と言ったことに由来します。島には松の木がぽつりと立つ、正宗がこよなく愛した島です。
海食によって開いた4つの穴が特徴の「鐘島」。穴に波が打ち寄せるとゴーンと鐘のような音が鳴り響く島です。穴が小判のように見え、別名「金の島」ともいいます。
松島湾クルージングの名物スポットになっているのが「仁王島」です。浸食された集塊岩の上に乗った大きな泥岩が怪奇な形相の顔のように見える伊達正宗公お気に入りの島です。仁王像が葉巻をくわえて座るように見える力強い姿が印象的です。
多彩な草花が茂る植物の宝庫「福浦島」は、陸から全長252mの朱塗りの「出会い橋」とも呼ばれる福浦橋が架かり、歩いて渡れます(通行料200円)
松島観光桟橋に到着です。遊覧船乗り場から見えていた海に突き出るように松島湾に浮かぶ「五大堂」に向かいます。
大同2年(807)に坂上田村麻呂が建立した毘沙門堂が始まりと伝わります。のちに慈覚大師円仁が延福寺(瑞巌寺の前々身)を開いた際、五大明王像を安置したことからこの名が付いたといいます。現在の建物は、慶長9年(1604)伊達正宗が瑞巌寺に先立って再建した東北地方現存最古の桃山建築の御堂です。中に安置された秘仏の五大明王像は33年ごとに御開帳されます。
足元の床から下の海が見える朱塗りの「透かし橋」で五大堂に渡ります。カップルで渡るとき手を取り合うことから結びの橋といわれるようになりました。赤い橋は松島を象徴する風景のひとつで雄島の渡月橋(縁切り)、福浦島の福浦橋(出会い)、五大堂の透かし橋(縁を結ぶ)の3つがあり、それぞれ風情のある作りになっています。
お堂の四面を飾る繊細な彫刻は必見で屋根下の蟇股には十二支の」浮彫りがあり自分の干支を探してみます。
五大堂から松島湾を航行する遊覧船がよく見えます。
、
国道45号沿いには食事処、お土産やさん、カフェが次から次へと目に飛び込んできます。途中の牡蠣カレーパンやせんべい、焼き立てかまぼこ等は誘惑してきます。
メイン通りからまっすぐに延びる参道の先に「瑞巌寺」があります。平安時代の初め天長5年(828)、慈覚大師円仁により開創された天台宗延福寺にはじまり、鎌倉時代に円福寺となった禅寺を伊達政宗が慶長4年(1604)から5年の歳月をかけて再興しました。京都、根来の名工を招き、造営の縄張りをみずから行い、名を「瑞巌寺」と改めました。
奥州の高野山と呼ばれた瑞巌寺は、奥州随一の禅寺で、本堂へと続く参道の両脇は杉木立が続き、崖際には石窟群が姿を現します。苔むした洞窟は、修行僧の修行の場でもあったのです。
平成30年(2018)6月24日、10年の年月がかかった平成の大修理が終わりました。本堂とともに、廊下、御成門、中門、4棟の太鼓塀などが修復されました。
大屋根が美しい瑞巌寺本堂は南東に面し、南西端に御成玄関が、南東端に庫裡が続く回廊が接続します。瑞巌寺の特色は、本堂内部の装飾にあり、10ある部屋の襖にはそれぞれの用途に合わせた絵が描かれています。(写真撮影禁止)
左奥に見える御成玄関の火頭窓の七宝輪違いの彫刻が美しい。
瀟洒な彫刻が美しい庫裡は正面13.8m、奥行き23.6mある禅宗寺院の台所。大屋根の上にさらに煙出しが載っています。本来実用本位の建物に唐草や花肘木の彫刻が施されたことに政宗の美意識が伺えます。
メイン通りから一本奥に入ると小径に沿って立派な4つのお寺が建ち並んでいます。訪れるべきお寺のひとつが瑞巌寺であり、もうひとつが瑞巌寺三内「円通院」です。伊達正宗の嫡孫で19才で江戸城内で逝った光宗の菩提寺です。
三門をくぐると約350年前につくられた美しい石庭、枯山水の「雲外天地の庭」が現れます。この庭は、松島湾に実在する七福神の島を表す「天の庭」と人生を三種類の石で表す「地の庭」で構成され、その二つの庭を天水橋で結ばれています。
禅林瞑想の庭と名付けなれた杉林の中を歩いた奥に約3世紀半もの間秘蔵とされた光宗の霊廟「三慧殿」が建ちます。光宗君の死を悼んだ二代藩主忠宗によって建立された霊廟は技術の粋をつくした伊達家屈指の建築物です。
その逗子には白馬に跨る衣冠束帯の光宗君の像と殉死された七人の像が祀られています。壮麗な逗子の図案は支倉六右衛門常長が西洋から持ち帰ったバラが描かれています。
約700年前の洞窟群の前を通り本堂「大悲亭」へ。
本堂「大悲亭」は光宗君の江戸納涼亭で正保4年(1647)解体移築したもので、寄棟造萱葺の瀟洒の姿は小堀遠州作と伝わる前庭の雰囲気と相まって禅寺らしい落ちついたたたずまいを見せています。
出口近くの縁結び観音に手を合わせます。先の3つの赤い橋を渡ったあとに訪れるとご利益があるとか。縁結び観音は竜に乗った観音菩薩で、竜が男性を菩薩が女性を表します。
お昼で仙台といえば“牛たん”です。訪ねたのは市内に8店舗を構える「伊達の牛タたん本舗」東インター店に入ります。仙台の牛タン焼きは専門店の味の太助がはじまりといわれます。フランス人コックに牛たんの味を教わり、それを日本人向けにアレンジしたとされます。
今回は「極厚芯たん定食」が食べたく伊達の牛タたん本舗を訪れたのです。アツアツの皿にのって出てきた極厚芯たんを一口口にいれれば極厚なのに柔らかく、炭火の香ばしい香りが鼻に抜け、絶妙な塩加減の牛たんと麦飯の相性がよい。一味唐辛子を振りかけてみたり、辛子味噌や南蛮漬けと一緒にたべたりと楽しめます。
仙台に来たからには伊達政宗に挨拶に行かない手はないと伊達政宗の墓所「瑞鳳殿」に向かいます。仙台城の東、広瀬川の河岸段丘の谷を挟んだ経ヶ峰に位置します。建立したのは二代藩主忠宗で、桃山調の豪華絢爛な社殿を誇りましたが、仙台空襲で灰燼に帰しました。現在の建物は昭和54年(1979)に再建さあれたものです。
まずは寛永14年(1637)仙台藩2代藩主伊達忠宗によって藩祖伊達政宗廟「瑞鳳殿」が造営された際に「香華院」として創建。その後「正宗山 瑞鳳寺」になった寺を訪問そこからスタートです。。
参道の石造りの階段は藩政時代からのものでその数は伊達家の禄高(62万石)を表したものといわれます。左右にそびえる杉木立は古いもので樹齢380余年のにもなります。
石段を上り石畳を少し歩いた先に瑞鳳殿の正面門「涅槃門」に着きます。涅槃とは煩悩を取り去った悟りの境地となる状態を意味し、広くは来世という意味にもなります。
樹齢数百年青森檜葉を用いて再建され、消失前と同様正面上部の蟇股には瑞獣「麒麟」などの豪華な飾り彫刻が施されています。
柱には彫刻獅子頭、屋根の竜頭瓦を復元し、極彩色も再現された美しい「瑞鳳殿」は、寛永13年(1636)70才で生涯を閉じた政宗の遺命により、そも翌年ここ経ヶ峰に造営されました
桃山文化の遺風を伝えるきらびやかな廟建築の名作であり、随所に施された鳳凰や天人など見事な彫刻と美しい色彩は豪華でみごたえ十分です。
さらに順路に従って進むと、二代藩主伊達忠宗公霊屋「感仙殿」三代藩主伊達綱宗公霊屋「善応殿」さらに九代、十一代藩主の御廟「妙雲界廟」の区画があります。
正面左から感仙殿
正面真ん中に善応殿
正面右手奥に「妙雲界廟」があります。
最後は伊達政宗が慶長6年(1601)に築城した居城「仙台城」です。標高130mの青葉丘陵にあり、東と南を断崖が固める天然の要害で別名「青葉城」と呼ばれています。
本丸跡の仙台城跡から城下を睥睨する伊達政宗騎馬像は有名です。
今宵の宿は仙台市街から小一時間で着く仙台の奥座敷「秋保温泉」です。昔々、塩を積んだ牛のおなごわらしが乗って谷地を渡ろうとしたところ、牛もろともその谷地に沈んでしまいました。ところがそこから湯気が立ち上がって温泉が湧き出て、塩分のある身体に良い温泉だと伝わったのが秋保温泉の始まりです。おなごわらしは湯神様の化身だったと云われています。
秋保温泉が、歴史に初めて登場するのは約1500年前。疱瘡にかかった第29代欽明天皇が都に運んだ秋保温泉の湯で沐浴したところ、数日間で全快したとされ、天皇はその喜びを歌に詠まれました。皇室の御料温泉=「御湯」の称号を持つ温泉は国内に3か所(別所温泉(信濃御湯)、野沢温泉(犬養御湯)いわき湯本温泉(三函御湯)を数えますが、秋保温泉「名取の御湯」はその際に賜った歴史上最初のものと広く知られてています。日本三御湯
「名取の御湯」として「拾遺和歌集」「大和物語」などにも詠まれる、1000年以上の歴史を持つ温泉です。宮城県鳴子温泉、福島県飯坂温泉とともに奥州三名湯の1つで、仙台藩主伊達家お抱えの湯としても知られ、明治期には土井晩翠、島崎藤村らの文人墨客に愛されました。
名取川のすぐそばに佇む「ホテル華乃湯」に投宿します。館内には4ヵ所の点在する湯めぐりが楽しめます。しかしながら西館7Fの展望大浴場「満天星」の湯は温泉ではないとのことで入りませんでした。また東館1Fにある「内湯「長寿の湯」も浴槽がせまく入りませんでした。
そこでフロント一押しの「恵み館」B4Fの川沿い露天「天下」「月下」の湯にまずは入ることにしました。内湯・露天ともに開放感に乏しくここも早々に退散しました。
一番のお気に入りは東館1Fの山沿い露天「水芭蕉」の湯でした。泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物泉でしとりと肌にまとわりついてきます。













































