翌朝早く出発し。東近江の東、鈴鹿山系にある永源寺を目指します。町のおよそ半分が国定公園に指定されているのが、門前町として栄えた永源寺町です。深いエメラルドグリーンをたたえる愛知川が渓谷を刻み、そんな愛知川をはるか真下に望むようにして建つ「瑞石山 永源寺」は、関西有数の紅葉の名所と知られる臨済宗永源寺派の大本山です。南北朝時代に近江守護職・佐々木六角氏頼が 中国に渡って仏法を極めた寂室元光禅師(正灯国師)を迎え伽藍を建立し康安元年(1361)に開山したもので、一時衰退したものの江戸時代には東福門院(後水尾天皇皇后・徳川和子)により再建、彦根藩主井伊氏の庇護を受け諸堂が整えられました。
土産売り場の駐車場に停め愛知川(音無川)にかかる旦度橋・大歇橋を渡り、羅漢坂を上ります。
右手にはゆったりと流れる愛知川、左手の雷渓山の石崖には十六羅漢の石仏を見ることができます。いつ頃作られたかは不詳とのことですが、一人ひとりのお顔は生き生きとしてどこかユーモラス。苔むした姿は石なのに温かみさえ感じられて、思わずじっと見入ってしまいました。
境内にはモミジやカエデが多く、全山紅葉に包まれて紅に染まり、総門にたどり着くまでの120段の石段を上っている途中にもしばし足を止めて見入ってしまうほど老樹のカエデが見事です。
いよいよ総門をくぐります。行く先の紅葉に気持ちがたかぶります。200年前に建てられた総門は平成10年の改修が行われました。
また総門から山門にかけての参道にも野趣味わい深く頭上に紅葉が広がり、道案内をしてくれているかのようです。
山門は建立に7年の歳月をかけ、楼上に釈迦三尊と十六羅漢をお祀りする威厳あふれるものです。奥に進めば、全国でも珍しいヨシ葺きの大屋根を持つ本堂が出迎え、ここに祀られる本尊は、世継観音と称され、一心に願えば世継ぎが授かる、霊験あらたかな子授けの観音として親しまれています。
往時の様子をいまに伝える伽藍が点在し、その見事な寺院建築に彩りを添える紅葉に目を奪われます。山門をくぐり鐘楼の脇を通って左手に法堂、開山堂と続きます。
開山御手植のもみじの落ち葉と緑の苔のコントラストがひときわ目に鮮やかに映ります。
向かいには経堂があり法堂からの渡り廊下越しに見る紅葉とのコントラストが美しい。
鈴鹿山脈に源を発する愛知川の上流には「永源寺ダム」があり、ダムカードをいただきに寄り道します。ダムサイトの地形や地質を生かすため左岸側をコンクリート重力式ダム、右岸側をロックフィルダムとする複合ダムで高堰堤では日本最初の試みでしたが昭和47年(1972)に完成しました。
戻って国道421号を八日市方面に車を走らせると見えてくるのが、英国出身の陶芸家バーナード・リーチに関するコレクションが日本一の日登美美術館に併設されている「ヒトミワイナリー」です。
滋賀県で希少なワイナリーが開かれたのは平成3年。機械的に濾過しない分m葡萄の旨味が濃くてピュアな味わいが楽しめる微発泡のにごりワインとこだわりの焼き立てパンを造っています。少しづつですが全種類試飲ができるのでお気に入りのワインが見つかるかもしれません。
そのまま八日市方面に向かいます。万葉の時代「蒲生野」と呼ばれた湖東平野の中央、岩肌も露に霊験あらたかな巨岩が散らばる赤神山(太郎坊山)を御神体とする「太郎坊・阿賀神社(通称 太郎坊宮)」があります。太郎坊の名は、この社を守護するのが京都鞍馬の次郎天狗の兄天狗・太郎坊であることに由来します。標高360m足らずの小さな山ですが、くっきりとした二等辺三角形を描く稜線、山肌のあちこちに露出した巨大な岩と緑深い木々・・・そのすべてが神の宿る特別な場であることを示しているように思えます。
聖徳太子や最澄なども深く帰依したと伝えられ、標高350mの赤神山には多数の行者が集まり修験道も盛んになったことから、神道、修験道、天台宗が相混ざった形態で信仰されてきました。山の中腹の社殿は遠くから見ると空に浮かんでいるようでもあり、より神秘性を高めています。
一息つくたびに様々なお参り所があり、由来をみるのが面白いです。参拝するには二つの道があり、近江鉄道・太郎坊宮駅から国道8号線、友定交差点を渡り「あの山が目的地だ」と正面山麓から殆どまっすぐに742段の急な石段を登り本殿の達するものと、正面山麓で右に通じているドライブウェーを通って参集殿下の駐車場に着く道です。成願寺横の太郎坊宮駐車場に車を停めるとここから本殿まで742段、参集殿下の駐車場まで491段です。
成願寺本殿横の参道から本格的に急な石段になります。
修験道の霊山の趣を残す参道を登っていきます。
491段登った先、山上駐車場が正面に朱色の社の祈祷殿・授与所があります。車のお祓いや本殿登拝が難しい方がここで御祈祷が受けられます。
この駐車場から石段を登って、参集殿を通り本殿に上る道を表参道、絵馬殿を通り抜けて少し迂回しながら石段を登って本殿に上る道を裏参道といいます。
先ずは表参道から登っていきます。心臓破りの階段に始まり、本殿までのきつい石段は運動不足の解消になります。途中には愛宕社や稲荷社、など道々にいろんな神様が祀られています。
高さ数十m、長さ12mほどの巨石には太郎坊という天狗が棲んでいたといいます。
その昔、大神の神力によって巨岩が左右に押し開かれて本殿にお鎮まりになったと伝えられるのが本殿前の「夫婦岩」。
長さ12mほどの巨岩が引き裂かれるような形で幅80cmの隙間を通っての参拝は、即座に病苦を払い諸願を成就させてくれる一方で、ウソつきが通ると岩に挟まれるとの言い伝えがあります。ローマの有名な真実の口より、ずっと迫力がありますし、独特の霊気を感じさせます。両側から岩がぐぐっと迫ってきそうで、自然に神様に「どうか無事に通らせて下さい」と祈らずにはいられません。
本殿には天照大神の第一皇子神である、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊を主祭神として祀り、約1400年前に創建された神社です。最初に天降りの命を下された程の寵愛を受け、いつも脇に抱えて大切にされたこと子であるということから、当地名が小脇と名付けられたといいます。ご神名から知られるように「吾れ勝ち負ける事が無い。なお勝つ事の速い事、日の昇るが如し」で、どんな事にも勝つという「勝運福授」の御利益は宗派を超えて多くの参詣を集めています。女子レスリング五輪金メダリストの吉田沙保里さんのユニフォームの袖にも太郎坊宮の「勝」のお守りがまかれていたとのことです。
帰りは裏参道を下ります。本殿横から石段を下っていく途中には、地主神社や七福神の石像が並びます。
ちょうど山の中腹にあるのが「一願成就社」で、病気平癒や受験合格等の願掛けができます。
社の裏手には、比叡山や琵琶湖を望む万葉集にも詠われた蒲生野の美しい田園風景が見渡せる往復100mほどのお百度道も整備されています。太郎坊や役の行者の石像が見守っています。
さらに下っていくと絵馬殿に到着します。写真は絵馬殿前にある手水舎で天狗の口から水が出る趣向です。
太郎坊宮から北、国道8号を越えた近江商人発祥の地、五個荘近く、観音寺山、別名繖(きぬがさ)山の山裾、うっそうと茂る竹林を縫う石段を上った傾斜地に名勝 石の寺「教林坊」があります。観音寺山上にある西国32番札所・観音正寺の30以上を数えた子院の中で唯一現存する末寺です。推古13年(605)に聖徳太子によって創建されたと伝わり、寺名の教林とは、太子が林の中で教えを説かれたことに由来し、境内には「太子の説法岩」と呼ばれる大きな岩とご本尊を祀る霊窟が残されていることから別名「石の寺」と呼ばれています。
総門をくぐり左手に少し荒れた普陀落の庭を過ぎ、経堂の横からいきなり山へとつづく急勾配上っていきます。
この庭は古墳を利用して造られていて、石室の巨大な蓋石をそのまま庭石に使っているのに不自然はありません。「太子の説法岩」と呼ばれる大きな岩やご本尊を祀る霊窟が据えられているのにも納得してしまいます。本尊は太子自作の石仏で、子宝を授かった村娘の難産を助けたといい、その時傍らの小川が安産の血で赤く染まったことから「赤川観音」と呼ばれています。
本堂でお参りして右手に順の流れていくと書院に着きます。カエデに包まれた風雅な葦葺き書院は、里坊建築の古様式を伝える江戸時代前期の貴重な建物です。木々に覆われた書院の入口はどこか京風の庵の佇まいを見せて風雅さを漂わせています。
書院の西面から眺めた庭園は、白州正子の著書「かくれ里」石の寺で、~ここで私の興味をひいたのは慶長時代の石庭で・・・と紹介されている小堀遠州作と伝わる庭で、枯れ滝・鶴・亀など苔生した庭石、巨石を用いて豪快に表現された池泉回遊式庭園です。
特に床の間を作らず、独立した付書院から見る庭園を「掛軸庭園」と呼び、室町時代の初期書院の名残を感じます。
回遊庭園ですのでしっかり見て回って出口に向かいます。
お昼時ということで国道8号線沿いのお店・近江ちゃんぽん「ちゃんぽん亭」にはいります。ちゃんぽんといえば長崎ちゃんぽんですが、実は日本各地にご当地ちゃんぽんがあり近江ちゃんぽんもそのひとつです。滋賀県民のソウルフード近江ちゃんぽんは「ちゃんぽん亭」の全身「麺類をかべ」で誕生しました。特徴は白濁した豚骨でも鳥ガラでもなく、京風だしをアレンジした和風醤油味、具が定番の海鮮はなく豚肉と野菜だけです。麺も唐灰汁を使ったちゃんぽん麺ではなくかんすいを使った中華麺うぃ使っています。それを中華鍋で炒めるのではなく手鍋で煮込んだ近江ちゃんぽんは一種の野菜ラーメンです。どちらかというと天理ラーメンに近いです。
満腹になりいよいよ東近江ドライブの最後は「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社「多賀大社」に詣でます。 昔から「お伊勢七度、熊野へ三度、お多賀さまへは月参り」とか「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」といわれた国生みの神とされる伊邪那岐命、伊邪那美命を祀る延命長寿、縁結びの神として多くの参拝客で賑わっています。
伊邪那岐命のおかくれになった地は「古事記」と「日本書紀」では異なっており、「古事記」は「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と伝わり、つまり近江の「多賀大社」なのです。
太閤橋は天下人・豊臣秀吉が生母・大政所の病気平癒を願って寄贈した一万石の一部により築造された。現在でも急な傾斜のこの橋を、神事「古例大祭時」の神輿が渡る。
境内にはいかにも金運があがりそうな摂社「金咲稲荷社」があります。
また養老年間(717~724年)元正天皇が病の際にシデの木で作った杓子を神供の米に添えて献上したところ、たちまち回復したという故事もあり、お多賀杓子は無病長寿の杓子として古くから親しまれ、その形状から「おたまじゃくし」の語源となったとも伝えらえれているらしい。
ここで糸きり餅と近江牛コロッケを食べていざ長野に帰ります。








































