Facebookで友達がこの記事をいいね!していたので読んでみた。
34歳・女性が住む街「豊洲」。適齢期の女性がぶちあたる「知ってしまった不幸」と「知らない不幸」by 東京カレンダー
28歳、31歳、今回は34歳と3年スパンで主人公・綾が仕事を転職したり、それに合わせて住む場所を変えたりしながら送るフィクション・エッセイ。
これを読んだ時に言い様のない不快感というか、特に前半部分の主人公への共感が全く出来ない自分にびっくりした。
東京の企業に勤めて、ステップアップのために外資系企業に転職して、恵比寿から銀座に住む。前回のコラムでは銀座について語られていて、「銀座に住む"私"の特別感」的なものが読んでいて「おわ~~」となったし、周りの友人が結婚or妊娠していく中一人取り残されて焦ったため婚活サイトに登録し、結婚相手を見つけて銀座から豊洲に引っ越したの今回のお話では、「結婚にゴールを据えたらあっさり結婚出来ますよ、白馬の王子様なんていないんですよ(笑)」、的な文章に「イタさ」を感じた。
何故かこの端々から感じる「意識高い系を貫こうとしていて途中で挫けた感」が、イライラさせるのだ。
豊洲を「同列」の所得層が住む安心感とつまらなさが同居する街と表現しながらも、有名人のエビちゃんが引っ越してきたから今は「同列の生態に変動」がありそう、と"特別なジブン"を諦められていない感じが滲み出ている。また、タワーマンションが嫌いといいながら、ジブンは中層階に住んでいるからエレベーター内での高層階と低層階の水面下の静かな争いの中立的立場を演じているとか、一々お前は何なんだよと言いたい。
この主人公のように、アメリカンドリーム的な、「東京に来て大都会の中心で働ければ何か特別な存在になれる気がする」病というものはどんな人でも少なからず持っているものであるのかもしれない。ただ、そういった思いや夢が強い人ほど、現実とのギャップに悩み、こんなはずじゃなかったと失望するのだと思う。
私的に、そこまで自分を特別視出来ることにすごいと思う反面、そう思わなければ上に行こうとしないのかとも考える。
次回、37歳の主人公がどの街に住み、どのような生活を送っているのかは知らないが、予想としてはこういう何事に対しても満足出来ない女性は最悪の場合離婚するか、或いは悟りを開いて秋田に戻っているかもしれない。
結論としては、この「意識高い系」な人達が思い描きそうなステレオタイプなライフスタイルが個人的に受け付けないということだ。
都会の中心で働くことが選ばれた人間なんだろうか?都心のタワーマンションで毎日住民と水面下で戦争して心は休まるのか?
全くそうは思わないがそれは価値観の相違なので割愛。
これから留学して、帰国したら直ぐに就活が始まって、一体どのカラーにわたしは属することになるんだろう。
こういった「意識高い系」の人達が好みそうなカラーのところにいくのかそれとも……?
わからないけれど、自己分析したら絶対そういうところは合わないって結果が見えているので、自分に合ったところに落ち着きたいなあと思うのであった。
ではでは、何言いたいんだかわからなくなってきたのでおやすみなさい。
風邪に効く薬飲んでも全く効かないので諦めmodeのmonicaでした。