「それは呪縛だったのか」

 

 

 

機能不全家族で育ったとしても表面的にはごく普通の家族の場合、成長するまで気づかないことが多いものです。社会に出るなど環境が大きく変化した時に生きにくさを感じ立ち止まるまで目を逸らし続けます。

 

 

 

「なぜ気が付かないの?」と不思議に感じるかもしれないですね。

家庭という閉じられた世界観の中で展開される当たり前は比べようがないからかもしれません。

 

 

 

疑問に感じたことを周囲に話しても信じてもらえないか否定されるかした経験を繰り返すうちに、普通の家庭との違いを感じることがあってもだんだんと見えないフリが身についてしまい、いつの間にか機能不全家族のパターンの中に取り込まれてしまうのです。

 

 

 

静かに深いところでその影響力が進行し、知らず知らずのうちに自分自身と一体化したパターンが人生にブレーキをかけ始めるその時まで。

 

 

 

 

 

「機能不全家族のパターンの特徴とは」

 

 

 

コントロールと依存

 

機能不全家族の中にあるコントロールと依存の関係とはどんな状態を指すのでしょうか?

 

 

 

例えば、自分の希望する進路があっても父親の敷いたレールを自分が希望したかのように目指そうとする時。

 

 

 

「黙って親の言う通りにすればいいんだ。」と支配的な父親が子どもの希望などおかまいなくその人生をコントロールしようとし、依存的な母親が「お父さんの言う事を聞きなさい。それがあなたのためよ。」と追従し自分の立場を守りながら追い打ちをかけたりします。

 

 

 

そこには「あなたのため」という耳障りの良い言葉に飾られた支配と従属の関係が隠れています。子どもは親がいなくては生活していくのは難しいですね。そこで、自分を誤魔化し、父親の希望をさも自分の希望であるかのように目指そうとするのです。

 

 

 

この例えでは、支配的な父親が家族内で権力やコントロールを持ち、他の家族の行動や意思決定に影響を与え支配していることが伺えます。

 

 

 

そして、依存的役割の家族メンバーは支配的な家族メンバーに頼っているため自分の意見や欲求を抑圧していきます。

 

 

 

幼い頃からこのパターンを繰り返されるうちに、自己のニーズや目標を犠牲にしてまで期待や要求に答えようとしてしまうのです。

 

 

 

このようなパワーバランスの不均衡は、家族内のストレスや不満を引き起こし、健康的な関係や成長を阻害する可能性もあります。

そして長期にわたり繰り返されることでコントロールと依存の関係性が家系のパターンとして定着してしまいます。

 

 

 

この力関係に自分の居場所を求めるようになると、支配される事に居心地の良さを覚え、知らず知らずのうちに、コントロールと依存関係劇場の登場人物になっていくのです。

 

 

 

●感情的な抑制

 

一般的に家族内で感情の表現が抑制され、問題や不満を抱えたまま生活が続いていきます。

 

 

 

上記の例えを見てみると、自分の人生の選択権が自分には存在しないというメッセージを突きつけられて成長していることに気づきます。

 

 

 

巧みな言葉で、本来あるはずの自由意志が家庭内で隠されているのです。反論しても親不孝者と言われ悪役にされてしまうでしょう。

 

 

 

支配的な家族メンバーから自分を守るために本心から目を背け、問題から目を逸らし続けます。表面的に幸せな家庭を演じ、外からも指摘されないように家族の問題は隠されてしまうのです。

 

 

 

パターンの継承

 

 機能不全家族のパターンはしばしば世代を超えて継承されることがあり、自己の行動にも影響を与えます。

 

 

 

それが不健康な家族のパターンであっても、家庭内では当たり前とされ、外から指摘されることも比べることもなく育てば疑問を持つことも難しいでしょう。

 

 

 

自分が支配的人物に成長することもあれば、DVをする人に惹かれたり好かれたりして被害にあったり、尊厳を失う生き方を強いられる環境を自ら選択するなどして、無意識に息苦しい生き方になり人生が上手くいかないともがきます。そして役割が変わっても機能不全なパターンを維持するのです。

 

 

 

 

 

「パターンの理解と解放」

 

機能不全家族のパターンを解放することはできるのでしょうか?自分の人生を自分で選択することはできるのでしょうか?

解放されるためには、まずそのパターンを理解することからはじめてみましょう。

 

 

 

●自分自身をよく観察する

 

自分自身の行動や反応を客観的に観察する力を育て、機能不全家族のパターンにどのように影響されているかを考えてみましょう。

 

 

 

「こうでなければならない」

「これが当たり前だ」

 

「自分の気持ちは必要ない」

「言われた事には従うものだ」

 

「周囲の人が不機嫌にならないように」

「今の環境、関係に変化が訪れにように」

 

「私には選択権がない」

「私には能力がない」

「私には価値がない」・・・

 

 

 

色々な行動や反応があると思いますが、なぜそう思うのでしょう?なぜ過剰に反応してしまうのでしょう?どうして自分を苦しめていることに気づかずに、違う考え方や選択肢を排除しているのでしょう?

 

 

 

そこに必死に機能不全家族の中で生き抜いてきた自分自身を見つけることはできますか?

 

 

 

家庭内で愛に基づく関わりを知らず、役割を演じる事を求められ、条件付きの愛に必死にしがみつき、自分と家族との境界線すら築けなかった。そんな自分自身に気づくことはできますか?

 

 

 

必死に愛を求めていたからこそ、機能不全家族内のパターンを手放せず視野を狭め、頑なに生きている自分自身を見つめることはできますか?

 

 

 

●家族の歴史の探求

 

家系の歴史には、特定のパターンやトラウマが形成されていることがあります。機能不全に陥る場合も、家系の中でパターンが繰り返されたりしています。

 

 

 

少し視点を離して家族を見た時、それぞれの人生が背後にある事に気づくことができます。それは、自分自身と同じ、必死に愛を求めて生きてきた姿と似ているのかもしれません。

 

 

 

●被害者意識を抜ける

 

機能不全家族の中では、愛は限りあるものでいつも奪い合っています。そして、いつの間にか自分が無条件に愛される存在であることを諦めてしまいます。

 

 

 

自己肯定感は下がり、自己価値や自己受容を認められず被害者意識の中で思考と感情を動かす癖を身につけてゆきます。

 

 

 

例えば、自分の感情や考えを許せないから不健全なパターンを繰り返し、正当化して自分を守ろうとする時。

 

 

 

いつも誰かから承認されていないと不安で、外側の基準に合わせ評価を受け取ろうとする時。

 

 

 

必死に自分の居場所を守ろうとしている時。

 

 

 

何とかして自分は幸せなんだと証明し、現実から目を逸らしている時。

 

 

 

その選択が間違っていないか、否定されないか、拒絶されないかといつも攻撃されないように緊張し気を張り詰めていないでしょうか?

 

 

 

 

 

「呪縛を抜ける決意」

 

私はいつも責められているように感じていました。周囲に揉め事が起きないよう気を張り、身体は恐怖と不安でガチガチに固まっていました。なのに何事もなく傷ついてもいないように強がりを演じていたことになかなか気づけませんでした。

 

 

 

そして問題は家族にあって、自分は被害者でかわいそうだとずっと思っていたのです。それは必ず加害者を作り出す思考のパターンだと気づき、自分の中の被害者意識を認めるのはとても苦しいことでした。

 

 

 

なぜって人生の舵を人に任せた依存的なパターンは、ある意味とても楽だったなんて受け入れがたかったのです。

 

 

 

それでも私は私の人生を諦めたくありませんでした。自分の人生の舵を取り戻すために被害者意識を抜けていく決心をしたのです。

 

 

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

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