最近、常々思うことは、自分が人並みに人を好きになることができない人間だということだ。
無論、人を好きになる努力はする。だけど、好きになれない。
仮にAという人間がいたとする。Aは自分に好意的だ。それに対して私も好意をいだく。だが、それだけだ。
自分は出会った人間、一人、一人に対して、人並み以上に考えてる自信はある。だけど、それが好意になることはない。いや、先日まで、私にとってはそれが好意であるつもりだった。だけど、その好意だと思ってたものに、違和感がずっと付き纏ってた。
…違和感は何だったのか
ふとしたときに、知り合いにかけた電話で分かった。
どのように愛されたり、好かれたりしてるかがわからないないのだ。
相手が好意をもってるかは分かる。だけど、例えば友人に、あるいは恋人、あるいは親にどのように愛されてるか、好かれてるかがわからないのだ。
そして、友人や親、恋人、それらが本当に自分を好きでいてくれてるのか、この結論に至るのだ。
自分が“好意”だと思ってたのは“疑惑”だった。
そんな、私が人を人並みに好きになることが、できる訳がなかったのだ。
無論、人を好きになる努力はする。だけど、好きになれない。
仮にAという人間がいたとする。Aは自分に好意的だ。それに対して私も好意をいだく。だが、それだけだ。
自分は出会った人間、一人、一人に対して、人並み以上に考えてる自信はある。だけど、それが好意になることはない。いや、先日まで、私にとってはそれが好意であるつもりだった。だけど、その好意だと思ってたものに、違和感がずっと付き纏ってた。
…違和感は何だったのか
ふとしたときに、知り合いにかけた電話で分かった。
どのように愛されたり、好かれたりしてるかがわからないないのだ。
相手が好意をもってるかは分かる。だけど、例えば友人に、あるいは恋人、あるいは親にどのように愛されてるか、好かれてるかがわからないのだ。
そして、友人や親、恋人、それらが本当に自分を好きでいてくれてるのか、この結論に至るのだ。
自分が“好意”だと思ってたのは“疑惑”だった。
そんな、私が人を人並みに好きになることが、できる訳がなかったのだ。