神戸ではたらく社長の告白 -2ページ目

私の生い立ち

今日から、私の記憶が続く限りで


生い立ちを記録していきます。


私は、1972年6月10日に神戸市長田区の


土井産婦人科で誕生しました。


ちなみに土井産婦人科は


社会党の土井たか子さんの弟さんの病院です。


7人兄弟の真ん中で長男です。


長男といっても、上に姉が3人、下に妹が3人。


男は私、ひとりです。


待望の男の子の誕生で、


特に、おじいちゃんとおばあちゃんには


めちゃめちゃ可愛がられていました。


生まれたときの記憶はないので、


今日はここまでで、続きは明日にします。



P・S ちなみに、今日は子供の運動会でした。


ふだんの運動不足を痛感しました。


明日は、間違いなく筋肉痛です。


でも、学校での子供の様子がすごくわかって楽しかったです。

(家とは全然違ってかしこかったです。)



再開



今日、電車の中で

18年ぶりにある人に再会しました。

ある人とは、私の中1、中2の担任の先生です。

18年ぶりやのにお互いにすぐ分かりました。

私は、実家がお好み焼やをしてて

先生も当時、お店によく来てくれました。

今でも、よく覚えているのは、

今でこそ体罰は悪という風潮ですが

当時は本当によくしばかれました。

しばかれる理由もあったので、

しばかれている当の本人も納得済みでした。

当時の私は、しばかれても全然平気でしたが、

H先生は私の泣かせるツボを押さえてて

いつも、しばきおわった後で、

「お母ちゃん、あんなにがんばっとうのに

お前がちゃんとせなどないするんどいや!!」

と決めゼリフを私に言います。

私は母のことを言われると、

「じわーっ」と涙がこみ上げてきて

男やのにポロポロと泣いてました。

進路相談の時に、私が

「中学卒業したら、働く」

といったとき、毎日、店に来てくれて

母と私とH先生で話しましたね。

そして、私が

「ほんなら、高校いくわ」

と言ったときに本当に喜んでくれた顔は

今でも鮮明に覚えています。

先生のおかげでかけがえのない友に出会い

高校生活を送ることが出来ました。

ホンマにありがとうございます。

でも、今日、最後に言われた

「お母ちゃん、お店まだがんばっとうか?」

という質問は残念な答えしかできませんでした。

わたしも、今の仕事に誇りを持ってがんばりますので

先生も、いつまでも熱いH先生でおって下さい。



好味ありがとう

わたしの実家は、長田区でお好み焼きやをしていますが、この8月で23年間続けてきた店を閉めることになりました。なんか、自分が終わるみたいですごく寂しいです。震災後は、本当にすごい暇やったし、店の経営も母親が倒れた後は妹が継いでやってきましたが、本当に良くやってくれたと思います。

長田と言えばお好み焼きの激戦地ですが、今は本当にご苦労様という感じです。

子供の頃、店の手伝いをしてて母親によく怒られたのをおぼえています。例えば、店が忙しいときほど、料理を出した後、すぐ次の料理を出さなあかんと思ってすぐ戻ると「手ぶらで戻ってくんな。何かさげてこい。」

というような言葉です。小学生時代の私にとっては、「何で手伝いをしとんのに怒られなあけんねん。」と思っていましたが、今、考えると効率を重視する中では当たり前のことを教えてくれてたんやと思います。

そんな母親に今となっては感謝の気持ちでいっぱいです。ほんまにありがとう。元気になったら、何でもうまいもん食べさせたるから。

8月で「好味」は終わりです。ぜひ、皆さん最後に「好味」に来てください。


PS 「好味(このみ)」という店名は私が小学校5年生のときにつけた名前です。

今日からスタート

今日からスタートします。神戸で生まれて、神戸で育ち、神戸で働く、神戸大好き人間です。

これから、頑張って更新します。