どうしてトライアスロンをするのか? | 小幡修大のトライアスロンで世界を旅する

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「小幡さん、どうしてトライアスロンなんてやるの?あんな過酷なスポーツよくやるね。」

 

トライアスリートであれば誰しもが受ける質問である。

 

トライアスリートの人たちはどう答えるのだろうか。

私はその質問に対する明確な答えというのはいまだに見つかっていないので、これを機に答えを見つけたいと思う。

 

はっきり言えるのは「好きだから」。

 

なぜ好きか?

 

スイムは苦手だし、バイクなんてめちゃくちゃ遅い。学生時代から現在もサッカーをしているからランは人並み程度に走れるがその程度だ。

 

それにトライアスロンって練習は「超」が付くくらいジミだ。スイム、バイク、ランともにずーっと淡々と同じ動作を繰り返すだけだから、練習なんかではしゃぐ様なこともない。私は基本的に一人で練習するから誰かが褒めてくれることもないし、励ましてくれることもない。仕事が忙しい時に練習時間を確保するのも大変だ。

 

なのになぜ好きなのか?

 

トライアスロンは確かに体力的にも精神的にも大変なスポーツである。ロングのレースともなると10時間以上動き続けなければフィニッシュラインを超えることはできない。レース中は「もう駄目だ」って思ったことだって何回もある。そんな時に思い出す言葉がある。村上春樹さんの著書「走ることについて語るときに僕の語ること」に紹介されていたあるランナーの言葉だ。

 

Pain is inevitable.Suffering is optional.

 

簡単に訳すと「痛みは避けられないが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということらしいが、「ああ、キツイ、もう駄目だ」と思ったとして、「キツイ」というのは避けられない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまでも本人の裁量に委ねられているということである。

 

私が思うにトライアスロンは自分が試されるスポーツである。誰かに試されているのではなく自分が自分に試されているから言い訳は一切きかないスポーツである。

だから長い長い道のりを経てフィニッシュラインを超えたときに物凄い達成感や感動を味わえるし、何よりも自分に成長を感じられるのである。

 

私はトライアスロンというスポーツのメンタリティの部分が好きなのだ

 

2017年宮古島トライアスロン大会のワンシーン。この日が沈む頃のヘトヘト感がいい。761が私。

 

私はおそらくそういうメンタル構造の人間だし、ぼんやりと人生を過ごすよりはしっかりと目的をもって人生を過ごしたいと思っている。

 

私のこれからの人生もそうだし、仕事も含めてそういう仲間と過ごしたいと思っている。私のクライアントはほとんどが経営者だが、自分の会社の経営にひたむきに一生懸命な経営者を私は応援したいと思っている。経営者は基本的に孤独だし、困難やトラブルを乗り越えなければならない。それでもコツコツと一歩ずつ前進する姿はトライアスリートと重なる部分が多い。

 

そういう一生懸命な経営者のお手伝いをしていると、トライアスロンだってもちろん頑張れる。これからもたくさんの経営者やトライアスリートと出会えると思うと人生ワクワクしてくる。

 

トライアスロンって本当に最高だよ!