自分を受け入れるまで~4.二度目の手術 | 蟹、退治中 (乳がん生活)

蟹、退治中 (乳がん生活)

2012年12月 乳がん告知
13年2月 右乳房切除術(HER2 3+、ER +、Pgr -、リンパ管侵襲あり)
3月から抗がん剤(AC)、ハーセプチン、ホルモン療法の
術後治療を提示されるも、若き主治医の方針は一転、二転。
主治医を変え、ハーセプチンとフェマーラで治療中に
転移発覚

思ったより長くなりそうです。
転移がんの話なんか聞きたくない方もたくさんいらっしゃるでしょうね。
どうぞ読み飛ばしてくださいね。

続きです。



左大腿骨転子部病的骨折に対する手術。


手術前の説明によると、

骨折部を展開し、腫瘍部分を掻爬し、金属(髄内釘)にて
骨接合を行います。
欠損した部分に骨セメントを挿入します。

この手術は根治的な手術ではなく、
放射線や化学療法などで腫瘍がコントロールできなければ
骨破壊が進行し、金属の破綻や再骨折など生じます。
その場合なんらかの追加手術が必要になるでしょう。


骨癒合しなければ積極的な歩行は避けていただきます。
完全免荷は厳しいので歩行器歩行での生活となります。


要は、

手術をすれば痛みはなくなるけどがんは取りきれないかもね。
そうするとまた骨が溶けちゃうかもね。
杖歩行は難しいよ、歩行器生活ね。

ということ。


一度目の手術―乳がんの手術を受ける時は、
悪い所全部取って治すんだ、と前向きな気持ちでした。

二度目の手術……
今こうして書いていても
明るい未来が待っているようには思えません。

でもこの時は、とにかく早く痛みをなくしてほしい、
後のことはそれから考えようと思いました。
と言うよりも、目の前のことでいっぱいで、
先のことを考える余裕はなかったかな。


ただ、腫瘍が摘出できたら病理検査に出してほしい
とお願いしました。
がんは転移すると性質が変わることがある、と
どこかで聞いたことがあったからです。

(後になって、ホルモン弱陽性もHer2強陽性も
変わっていないことがわかりました。)



手術の時は、背中に打つ麻酔の注射も痛かったけれど、
それよりもベッドから手術台に移される時と、
注射のために横向きにされる時の方が恐怖でした。

少しでもリラックスしようと、
手術室に入る時から麻酔が効き始めるまでずっと
讃美歌を歌っていました。

痛みがくる度に声が裏返り、
たぶん今までで一番下手な、
一番心の底からの歌でした。



強い痛みはその時が最後でした。

術後の麻酔が切れてからの痛みも、
リハビリが始まってからの痛みも、
骨折の痛みに比べたら全く大したことはありませんでした。

手術が終わって痛みから解放された、それがとにかく嬉しかった。



同室の患者さんと比べて、
私は痛みに弱い方ではなかったようです。

それでも痛みで、体力も気力も消耗しました。

もしいつか疼痛ケアを受ける時が来たら、
痛みのコントロールは積極的にしてもらおうと
心に決めました。

ぜ~~ったい、そうするんだ!!




ありがとうございます

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