世界というのは、本当は一つなのだろう。
この世こそが、我々人間の生きる世界なのだろう。

私が苦しいのは、世界が変わった気がするからなのだ。
過去に見ていた景色と、今現在見える景色が全く違うからだ。

変わったのは私自身なのに、それがとてつもなく寂しく感じて仕方がない。

季節には匂いがあると思う。春夏秋冬、私は全ての匂いを感じ取れる。
このご時世はマスクをして出歩かなくてはいけない。ふと一瞬マスクを外した瞬間、10月の匂いがしたのだ。

世界にも同じく、匂いがあると思う。
「匂いでわかる」という言葉通り、似たような育ち方をした人間には近しい匂いを感じる。

だが世界は一つなのだ。それがどうしようもなく苦しい。匂いには、確かに記憶が詰まっているというのに。

匂いによって思い出すことは、本当にまばらだ。
去年のことから、小学生の頃のことまで思い出す。
その度、その頃からの自分自身の現状の違いに、なんだか疲れてしまう。

隣の芝生は青く見えるというが、私には過去の私が青く見えるのだ。もうあの頃に戻りたくないと感じる自分はおらず、過去が常に最高なのだ。

成長していないとは思わない。例えば金銭管理や処世術や行動力なんかは身についていると思う。
少しは自立したのだろう。それでも、私は今の世界にいられない。

私の世界の変化というのは、おおよそ2、3年のスパンで大きく変動する。

まずは、内気で無邪気な小学生時代。ヒエラルキーの底辺を自覚した劣等感の中学生時代。真面目で成績優秀であることに疑問を覚え始めた高校時代。一人で暮らすことと現実と理想は大きく溝があることを思い知った大学生前半。そして、働くということと愛を知った大学生後半。

どの時代も、密に関わった人たちはそれぞれ違う。
何をしていたかももちろん違う。

それでも私は一人なのに、時々それぞれ別人格だったように思えるのだ。

私は海外ドラマのゴシップガールが大好きで、何周も見ている。見始めたのは大学一年生の頃で、その頃はただ、舞台であるアッパーイーストサイドの暮らしに憧れ、自身も主人公たちのようなセレブになりたいと恥ずかしながらも思っていた。そしてその頃は、ジェニーという登場人物に感情移入していた。

それが、ここ最近見返したときは、登場人物たちの心情全員に寄り添い、感情が大きく揺さぶられた。
もちろん、華やかな暮らしやファッションも大いに関心があったが、それよりも恋愛模様や家族事情など、ほかに考えさせられることが大きかった。
そして、今度は主人公のセリーナ・ヴァンダーウッドセンに強く感情移入していた。

つまり、自分自身のキャラクターがこんなにも大きく変わっていたのだ。

ジェニーという人物は、自分の望みを叶えられる強引だが賢い女の子で、恋愛よりも仕事が優先。当時の私の考え方そのものだった。

セリーナはというと、物語当初は、派手でみんなの人気者でイットガールとして有名だが、恋愛依存症な性格ゆえ終盤の方は誰にも相手をされず影が薄れていく優しい女の子。

私はセリーナほど太陽のような存在ではなかったが、大学後半の夜職時代は店のナンバーワンで、その土地では少しだけ有名だった。

一番最初にゴシップガールを見たときは、セリーナには全く共感できず、むしろ嫌いなキャラクターだったことを覚えている。
セリーナはその人気ゆえに、身内で何でも許されてしまうのだ。それが側から見ていて不快だった。

自分が一瞬でも世界の中心になって、セリーナの考えや気持ちがようやくわかったのだ。

その時々の状況や立場によって、人間とは変わるものらしい。大学生を終え就職したばかりの私は、物語終盤のセリーナによく似ていた。

恐らくだが、今の今ゴシップガールを見てもまたセリーナではない人物に共感を寄せると思う。
ブログを始めた頃とは、また違う心境なのだ。

それでも、生きる意味というのは未だに分からない。
そして世界は一つだし、私もただ一人なのだということが、わけもなく切ない。

今まで密に関わった人々は例外なく好きだった。
しかしその人たちは変わった私をどう思うだろうか。ジェニーではなく、セリーナになった私を受け入れてくれるだろうか。

人によってキャラクターを選ばなくてはいけないのは、みんなそうなのだろうか。それであれば、なぜ個性とは生まれてしまったのだろうか。

世界が一つである限り、人は共生するのがひどく難しいのだと思う。