コンシャスペアレンツジャパン
透視透聴スピリチュアルカウンセラー
たかもり くみこ です。

名古屋、暑い😵💦
お昼間の行動力が大幅ダウン⤵️⤵️してますー😅

昨日は父の三回忌の法事。
ハンガリーから3週間前から日本に滞在していた、妹と、姪っ子、甥っ子たちと、
親戚の叔父や叔母たち、
私たち家族で、ささやかに。




姪っ子、甥っ子、コウセイと、ファミレスにて。

2年前、父が緊急入院したのが7月4日。
余命1カ月あるかどうか、と
言われたのが7月10日頃。

子どもたちが夏休みに入ってすぐ、名古屋に帰省し、
亡くなるまで約2週間、毎日母と病院にお見舞いに行き、
日に日に弱っていく父の姿を見守り続け、
悔いはなかった。

亡くなった8月5日の前後も、そこそこ暑かったはず。
だけど、その暑さの記憶がないことに気づく。

父の思い出は、今もどこか軽妙な感じ。
大きくなった孫たち(私の息子たち)も、
父のことは大好きで、

「おっさむー!」(おさむ、と言います^ ^)
と、呼んだりして慕っていたし、

亡くなった後、食卓の話題に上っても、
「しょうがない、おじいちゃん死んじゃったし笑」
と、みんなで笑えるような扱われ方が、
生前を物語っている気がする。

彼らが小さい時は、帰省した時も、
東京に来てくれていた時も、
あちこちどこへでも
連れて行き、遊ばせることを
当たり前のように、やってくれていた、
その姿を思い出す。

読書と旅行、ゴルフとマージャンが大好きで、
人生を生きるのに大切な、
気楽さ、楽観さを受け取ったと思います。


父の人生の前半は、山あり谷ありで、
苦労も多かったし、
定年まで勤め上げた、立派なサラリーマンではあったけれど、
その過程ではいろいろあったようだし、
母とも難しいことがたくさんあったけれど、

余生は、近くの大学で講師を務めたり、
母がクジで引き当てた自治会の会長を
苦もなく引き受け、
ご近所に知り合いも増えて、
町内会の花壇作りや新聞作りのボランティアを
楽しくやっていた様子。

最後の数年は、生きることへの執着がなく、
気楽さが増していて、
私や次男が寂しさを覚えることもたびたび。


結局、親孝行らしいことはしないまま、
逝ってしまったけれど、
孫たちともたくさん遊んで、
妹と私、家族がみんな元気で、
幸せに暮らしているのを見届けられたのが、
親孝行と思いたい。


2年前のあの夏。悲しくて悲しくて、
Facebookに流れてくる、みんなの、
楽しげな夏休みのタイムラインの写真が、
見るのも辛い夏だった。

父が入院していたそんなさなか、
シェファリ博士来日講演プロジェクトのために、
自分の講演会を秋から数回にわたって、
開催していくことを決めたまでは
良かったけれど、

実際、父の死に直面して、
自分の活動なんて、やる気も起こらず、
やめようかと内心思っていたんだった。

その時、
「くみくみ、絶対やりなよ!」
と、励まし続けてくれた友人がいたし、

今回も、2年半決められなかった、
博士の来日講演の時期を決められたのも、

メンターが、その理想の未来を
ワクワクを源泉として、見せてくれたこと、

また、別の友人が、
「くみくみなら、絶対できるよ!」
と、諦めず、伝え続けてくれた友人のおかげ。


1人では、できない。

直接間接関わらず、
自分を信頼してくれる人たちのおかげで、
今があるんだってこと。


私の夢のことは、父は知らなかったけれど、

「まぁ、そんなに頑張らなくても、
気楽にやればいいんじゃないのか?」

と、ニコニコしながら言ってくれている、
そんな気がする。