「コンシャスな子育て、コンシャスな生き方」を提案する、
「魂の子育て」専門家、スピリチュアル・カウンセラー
たかもり くみこ です。
何だか、人生が水面下で少しずつ動き始めてる、
そんな予感がひしひししている今日この頃。
先回、
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現実で、何か感情が動いた時、
出来事に直面して、何かを感じた時が、
「コンシャス」になるチャンスです!
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と、書きました。
そう、
「感情」「感じた時」が「コンシャス」になる、
チャンス、ということ。
では、どう、「コンシャス」になる必要があるのか?
というと、
例えば、
「イラッとした時」「怒りが湧いた時」
その「苛立ち」「怒り」は
何に対する苛立ちや怒りなのか、
にコンシャスになる=意識的になる、
ということ。
苛立ち、怒り以外にも感情が動く時はありますが、
分かりやすいのと、できれば、イラッとしたくない、
怒りたくない、と思っている方が多いと思うので、
例に挙げてみますね!
例えば、
子どもがごはんを食べこぼしてぐちゃぐちゃに
してしまっている様子に、「イラッ」とするとしたら、
それは何に対しての苛立ちだったのでしょう?
「食べ物は大事にするべきだ」
「お行儀よくない姿はみっともない」
「好き勝手にさせるべきではない」etc.
あるいは、
子どもがゲームばかりやって、
だらだらしている上に、頼んであった、
洗濯物を入れ忘れ、雨でびしょ濡れになり、
洗い直し、となった時に怒りが湧いたとしたら、
何に対してのどんな怒りだったのでしょう??
「だらだらしている姿に腹が立つ」
「自分の頼みごとを忘れた=ちゃんと言ったことを
してくれなかった、のは許せない。」
「不注意で洗い直しになったら、水や電気代がかかる!
環境にも悪い!」etc.
あるいは、
隣の部署の上司や、ちょっとした知り合いに、
少し自分の考えを話しただけで、
一方的に「それは違う!」と決めつけられて、
ムッとしたとしたら、
それは、何に対してどんなムカつきだったのでしょう??
「話を聞かずに、決めつけられたことへの怒り」
「勝手にジャッジされたことへの怒り」
「理解しようともしなかった態度への怒り」
などなど。
そうなんです、カンの良い方はお気づきかと思いますが、
問題は、人、相手ではなく、
自分の中の何かに触れ、発動した苛立ちや怒り、
になっているんですね。
まずは、この何に対する苛立ち、怒りなのか、に
「コンシャス」になる、必要があります。
そして、実は、
その怒りや苛立ちといった感情の下には、
「悲しみ」があります。
ちょっと長くなったので、続きはまた次回に。