ハンガリーブダペストより。
あけましておめでとうございます。
2017年もどうぞよろしくお願いいたします。
子どもと大人の魂の翻訳家
たかもり くみこ です。
今は、ハンガリーではまだ元旦。
今日は、本当に久しぶりに夫とデート。
(いつ以来だっけ?思い出せない・・笑)
ハンガリーで一番優雅なカフェと言われる、
ニューヨークカフェで、初!(笑)
アフタヌーンティーを
頂きながら、優雅な空間と時間を
楽しんできました。
話が横道にずれますが、
アフタヌーンティーって頂く
タイミングって難しいと思いませんか?^^;
お腹がすきすぎていたら足りないし、
お腹がいっぱいでも頂けない、
大抵二人で1セットなので、
自分がOK!でも、相手がそうでない
こともある。。。
というわけで、
今まで、なんだかタイミングがつかめないまま、
今に至る私。
そして、今日は、元旦だったので、
朝はゆっくり、夜も妹家族と一緒で、
夕食の用意も
夕食をしっかり食べる必要もなく、
自分たちのペースで良い、
とても気楽な1日。
しかも今日は元旦。
日本にいたらありえない
巡り合わせの貴重な休日。
というわけで、二人で、まさに
「今日しかない!!」
というわけで、
人生初!今日がアフタヌーンティーデビューの
私だったのでした^^
というわけで話がずれましたが、
今日のテーマは
「繊細さが必要な幸せと不幸せ」
今回、11年ぶりにヨーロッパに来て、
妹や、友人と話をしていて、
感じたのは、
「繊細さの感覚」
ある意味、恵まれた国だからこそ、
必要とされる「繊細さ」
生きるのに必死な国、
無事生きているだけで幸せな国、
生き抜くことが必要な国、
では、「繊細さ」を
言っている場合ではないわけで。
そう思えば、幸せだからこそ、の
「繊細さ」が、必要とされる不幸せ、
とも言える。
それを思えば、かなり気が楽に
なるのでは?と思います。
そして、そもそも何のための
「繊細さ」かといえば、
痛みや、思い込みや観念、枠を
できるだけ押し付けないことで、
生き辛さ、ではなく、
子どもが自由に幸せにその子らしく
生きていくための「繊細さ」
である、ということ。
繊細に意識的であること。
今の時代、この国では、
必要だと改めて思います。