大人が全てのジャッジや決めつけを
手放したら、子どもはどんなに”そのまま”で
いられるでしょう。
自分自身に対しても。
ただ、その子の輝きを見る、
その子の痛みに寄り添う。
それだけで、その子はパワーを
取り戻し、輝きを放ち始めます。
私たちも同じ。
子どものことは大人のこと。
大人のことは子どものこと、でもあります。
ジャッジのがんじがらめから、
少しずつでも抜け出そう。
自分のためにも、子どもたちのためにも。
自分がどんなジャッジの”ものさし”を
持っているかに気づくこと。
それは、いったいいつから持ってきているんでしょう?
本当に、自分の、”ものさし”だったんでしょうか?
ひとつひとつ、外れていくことで、
自分が許され、人も許していける自分に
なっていきます。
評価しあわない世界、
誰もが、”そのまま”を認められる世界が、
そこに待っています。
今日はこんなところで。
コウセイの自由研究「ハエトリソウ」
誰もが、”そのまま”を認められる世界が、
そこに待っています。
今日はこんなところで。
