今振り返ると、自分で自分の子育てを大変に
していたところがあったかもしれない、と思います。

かなりがんばっていたので、そのがんばったということに
対して、かなりの癒しが必要でした。

ただ、子どもたちの未来に対しては、
意外とあまり心配はしていなかったように思います。

漠然と、「何とかなるだろう」「何とかしていくだろう」と
思っていたのが、結果的には良かったのではないか、
と思います。

睡眠が十分とれないのが、何より一番つらいことだったので、
大きくなればなるほど、子育ては楽になり、
反抗期、思春期の彼らの言動は、
とても興味深く、面白いと思いながら見ていました。

今は、小学生にはごはんを食べさせることと、話を聞くこと、
高校生はお弁当の準備、とごはんを食べさせ、話を聞くこと、
大学生とは、話をすること、という感じです。

もちろん、今でも、たまにいらっとすることはあります(苦笑)
理解してもらえないな、と悲しく思い、なぜ悲しいのか、
こんこんと説明することも(笑)
どきっとしたり、言葉にへこんだり、ということもあります。
すっかり忘れていた、昔のことを言われて、
「それはすみません!」と子どもに謝ることもしばしばあります。

けれども、やっぱり葛藤だらけだった時代を思うと、
癒しを進め、世界の仕組み、人生の仕組みを魂の視点で理解し、
すべてが腑に落ちたとき、
目の前の子どもたち、自分、パートナー、周囲の人々への敬意と
安心と信頼に満たされている今は、本当に幸せです。

なんだか独り言ちっくですが(笑)
そんなことをつれづれに思った夜でした。

Mucho Gracias!


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