「うるせー!」「うるせーんだよ!」
あるいは
「うるせー!くそばばあ!(くそじじい!先生他大人)」
という言葉、中高生以上のお子さんを
持っている方は、過去に1度か2度は、
言われたことがあるかもしれません。
なかったとしたら・・・それはまたの機会に。
これらの言葉を聞いたとき、
この言葉たった一行聞いただけで、
瞬時に山ほど読み取ることができるでしょう。
子どもたちの魂の叫びが、この一言に
凝縮されているから、です。
「どうして分かってくれないんだー!」
「なぜ、そんなに追い詰めるんだ!」
「お願いだ!もうやめてくれ!」
「本当は一番分かってほしいのに!」
「これ以上、傷つけないで!」
「こんなに愛しているのに、なぜ!」
「早く、気づいてよ!!」etc
書いているだけで、悲痛な気持ちが伝わってきます。
これらは、彼らの潜在意識の言葉です。
顕在意識では「うるせー!」と言っていても、
この言葉が出てくるほどまでに、
潜在意識では、深く深く傷ついています。
そして、彼らは大人ほど言葉を持ちません。
そして、自分の心情を説明できるほど言葉があるのなら、
こんな言葉にはならないでしょう。
言葉にできないから、「うるせー!」といった、
乱暴でシンプルな言葉になってしまうのです。
究極、「本当の気持ちを分かってほしい!」
というところですから、そこを満たさずに、
顕在的に、解決していこう、としても
はっきり言って、無理です。
言葉も経験も足りない彼らに、
架け橋を渡すのは、大人しかできません。
こちらから、彼らの心情を深く理解し、
架け橋を渡すことをせずに、
「言葉を改めてから」「言い方ってものがある!」
とこちらの価値観を押し付けていても、
いつまでたっても、平行線のままでしょう。
それはお互いにとって本当によいのでしょうか。
(あるいは、大人の方に、そう拒絶された体験の傷、
があるのかもしれませんね)
そして、どちらが愛が深いのか?
子どもたちが全身で大人に向かって叫んでいる、
気づいて欲しい!と全力で訴えてくるのは、
彼らの大きな大きな愛、です。
分かってくれる人、と信頼し、
愛しているからこそ、気づいてほしいと思っているから、
彼らの大きな愛があるからです。
大人たちより、子どもたちから大人たちへの愛が
どれほど大きくて深いかは、昨今の事件が物語っています。
大人の愛より、子どもたちの愛のほうが
純粋で大きくて深いです。
もし、自分の愛のほうが深い、と思っているとしたら、
それは驕り、といっても過言ではありません。
子どもたちの真実を捉えていません。
1000件以上のセッションで、
子どもたちより親の愛のほうが勝っている例は
ただのひとつもありません!断言します。
だからこそ、彼らの力いっぱいの主張は、
大人をも変容させる力があります。
子どもたちが叫んでいることは、
大人たちが気づき、変えなくてはいけない箇所を
教えてくれているだけ、です。
「これを手放したら、もっと楽になるよ!」
「これに気づいたら、もっともっと人生が素晴らしくなるよ!」
「これを手放したら、本当に生きる喜びがあふれてくるよ!」
何に気づかないといけないかといえば、
「~ねばならない、という思考」
「こうすべきだ、という観念」
「頑張らなくてはいけない、という観念」
「私だって傷ついている、という傷」
「目上のものを尊敬しなくてはいけない、という観念」etc
まだまだたくさんありますが。
これが子どもたちからの深い愛だと受け取れないと、
愛と調和の上昇はできないでしょう。
よほど、今から徹底的に変えない限り。
彼らの言いなりでいい、とか、
言葉が悪いことを放置するように勧めている訳ではないことは
ここまでブログをお読みの方はお分かりかと思います。
まずは、こちらから、彼らの心にに近づかない限り、
架け橋を渡さない限り、
言葉だけを諌めても、何の効果もない、ということです。
彼らの深い意識が、満たされたら、
そんな言葉が出てくるはずがないのです。
だって、彼らが最も愛しているのは、お母さん、お父さんなのだから!
彼らの言葉をしっかりと受け止めたら、
「でも、さっきのあの言葉は、悲しかったわ。
もう言わないでね」
と伝えれば、たとえ反抗期最高潮の男子だって、十分に伝わります。
(こちらが、架け橋を渡すこと、気づきがないことが
また再び、起これば、同じことが繰り返される可能性はありますよ)
ここまできても
「そうはいっても!いくらなんでも!」と思う方は、
ご自身のかなりの傷や思い込み、観念があると感じます。