おはようございます!


太陽の穏やかな光が有難い朝ですね!





全てが理想ではなかったけれど、


愛情を受けて育ったと思っていましたし、


子どもたちにも無条件の愛を注いできたつもりでした。




当時も人並み以上には親切だったと思いますし、


相手のことを全て受け入れられる受容性、包容力では、


世界の誰にもひけをとらない、と思っていました。




自分は愛情深い人間だ、と思っていました。




そして、人の痛みも繊細に分かりますから、


その痛みではなく、相手の光のみにフォーカスする


セッションをしていました。




また、周囲の友人たちが苦しみを話してくれるのを聞きながら


「そこは違う」と思っていても、


その人の魂があまりに傷ついていることを知っているので、


それ以上言えませんでした。


私が真実を言ってしまったら、その人自身が崩れ落ちてしまうかもしれない、


と危惧していたからです。




そしてそれが、「愛」だと信じて疑っていませんでした。




全て私の自己満足、


「自分は愛情深い人間のはず」


「愛情深い人と思われたい」という思い込みのエゴ


満載の見せかけの「愛」だったにも関わらず。




けれども、今振り返れば、私の周囲の現象が、


「それは全く違う!」ということを示してくれていました。




私が話を聞くだけでは、


友人たちの苦しみの状況は殆ど変わりませんでした。


受容だけでは、お子さんも友人も苦しみから


脱出できるはずもなかったから。




クライアントさんも、セッション後気持ちは明るく、


確かに軽くなり、多少の好転はあったものの、


継続的に現実が明らかに好転していく、というところまで


いきませんでした。




そして、身近なところを振り返っても、


子どもたち、パートナー、母などに対して、


「だいたい」感謝はしていましたが、


潜在の奥深いところにある、


「許せない」「怒り」「納得できない」ものを


持ち続けた上での関係性でしたので、


お互いある一定ラインを超えると、つっかかるところが


たくさんありました。




何か、突破口はないだろうか?




探求する旅が再び始まりました。





「真実の愛」とは・・




エゴ(嫌われるかもしれない、きつい人だと思われるかもしれない、


誤解されるかもしれないetc)なく、


神の意思の道具となること。




目指すのは、


「目の前の方が、真に幸せに、満たされること」のみ!





なぜ、うまくいかなかったのか、


「因」(エゴ)が分かれば全て解放していけます。




まだまだ未熟ですが、


「真実の愛」のみ!で、今日も笑顔でいきます!