今日も良いお天気でしたね!
子どもとスタンプラリーに出かけ、
2時間半ほどの長めの散歩が
心地よかった1日でした!
さて、今日は、子どもたちの魂について。
子育てをしているときに、
子どもの将来を思って、
良かれと思って、
自分の基準で、子どもたちに話をすることは
意外に多いと思います。
「これは、人としてどうかと思う」
「いくらなんでも、これはひどいよね~」
「これは、人としてありえないでしょ」などなど。
TVをみながら、新聞を読みながら、
あるいは、お子さんの学校や友達の話を聞きながら、
上記のような言葉を発していないでしょうか?
その言葉を10年、15年と聞き続けた時、
子どもたちの中に、
「お母さんの基準」がしっかりと根付きます。
そして、「お母さんの基準」で、
自分の周囲を判断します。
「あの子は良くない。」
「この子の言い方はだめ。」
「この態度は、世間では通用しないんだ。」
自分自身が、「お母さんの基準」内、に
おさまっているときは、
自己価値は高いように見えます。
「あの子はダメだけど、私は大丈夫。」
「出来ている自分は、認められないとおかしい。」
けれども、内心は、その基準から外れることに
びくびくしています。
あるいは、基準をクリアするために必死ですから、
どこかで歪みが出ているはずです。
「あの子が認められるなんて!どうかしてる!」など
あるいは、小学生、中学生の途中くらいまでは、
自分も基準内と思っていたけれど、
中学生半ば以降、実は基準に入らないことも
自分の中にある、ということに気づきだします。
勉強、部活、行事、受験など学校での、
評価も極まってくる時期ですので、
全てクリアすることがだんだん難しくなってくるからです。
自分は「基準」をクリアできない、
ということによって、自己評価が低くなり始めます。
「こんな自分はダメな人間だ」
「認めてもらえないんだ」
それが極まったときに、
子どもたちは、外への暴力行動、あるいは、
自分を傷つける行為や、極度なダイエットなどに
向かいます。
(あるいは、ずっと頑張り続けるお子さんもいますが、
大人になって、何かが違う、と内心で苦しむのは、
時間の問題です。)
どちらにしても、自己評価が低い状態で、
大人になっていくのは共通しています。
そして、ようやく、「現象」として現れた時には、
自分ひとり、家族だけで解決するのは、難しいでしょう。
「基準」を持っているお母さんは、
もともとしっかり者のお母さんです。
そして、同じような基準を持った家庭で、
ずっと頑張り続けた=基準をクリアし続けた
タイプであったことが多いです。
お母さん、としての基準も自分の中にもち、
その基準をクリアするべく、努力も
惜しみませんし、実際「できる」ことも多いため、
その分、周囲に求める基準も、実は知らず知らずのうちに、
高くなっている傾向があります。
そして、その分、途中で子どもの変化に気づくことが遅れがちです。
あくまでも、「子どものために」、「良かれと思って」
やっているので、自らの「基準」が、
子どものエネルギーを奪っていることに
気づかないから。
「基準」「判断」は子育てには一切要りません!
それどころか、子どもを追い詰めて、
本来の子どものエネルギーを奪うだけです。
そして、自己評価を下げるだけです。
「基準」「判断」を一切持たない、と決めて下さい。
(潜在的にも!)
そして大切な子どもたちのために、今すぐ、解放して下さい。