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先日、「とりあえず、早慶上智なら、親も納得するかな、と思って」
と、中学生の子が言っているのが耳に入ってきました。
正直、ショックで、がっくりきました。
また、悲しい思いもわきました。
そして、その子に
「大学で人生は全く決まらない。自分が納得する道をいくんだよ。
あなたのご両親がとびきり優秀なのは知っているけど、
親の人生じゃないんだよ!あなたの人生なんだよ!」
と伝えました。その子の親御さんにとっては今は迷惑でしょうが、
長い目で見たら、「愛」だと確信しているからです。
耳に入ってきてショックを受けた、ということは、
私にも因がありますので、即座に解放しました。
そして、私の耳に入ってきた、ということは、
子どもたちの心の叫びを伝えることがあるということ。
だから、ここでシェアしますね。
もし、このセリフを聞いても、当たり前と感じる部分があるとしたら、
子どもを枠にはめています。
すぐに、枠を外してください。
でないと、近い将来、間違いなく子どもが行き詰ってしまうでしょう。
「親が納得する」ためにある、子どもの人生っていったい、何でしょう??
子どもたちはどれほど、親のことを愛しているのでしょう!
「親が納得する」ために、自分の人生を犠牲にしてもいい、とまで
思っている深い深い親への愛。
いい加減、気づかなくてはいけないのは大人です。
ただし、その親御さんも、おそらく「いい大学」に入ることを
期待され、その通りに生きているために、
「幸せ」の形を整えることが愛情である、と思っていること、
他の道に外れることへの不安があるからなのでしょう。
それは、真の愛情なのでしょうか?
自分の不安を子どもに押し付けていて本当に良いのでしょうか?
こんなことを繰り返していてよいのでしょうか?
子どもは子どもの人生があり、
大人は大人の人生があります。
大人が自分の人生を輝かせることでしか、
子どものお手本にはなりえません。
子どもたちの人生が行き詰る前に、気づいて下さい。
早慶上智に行けなかったとしたら、その子は自己価値が
限りなく低くなってしまうでしょう。
その低い自己価値を抱えてずっと生きていかなくてはならないとしたら、
どれほど、人生がつらく厳しいものになることでしょう。
一方で早慶上智にめでたく入学したとして、
早慶上智”以下”あるいは”以上”の人に対して、どんな判断を持ちながら
生きていくのでしょう?
優越感も劣等感も結局のところ、紙一重です。
「~できる」ということは、実は自己肯定感を決して高めはしません。
単純に子どもたちを捉えていては間違います。
(詳しくは無料レポート参照 http://treeofluce.com/LP/2index.html
)
良い学校を目指すことを否定している訳ではないのです。
子ども自身が定めた目標に向かって、全力を尽くす、ということは、
人生の糧になりますし、もし、及ばなかったとしても、
周囲の大人=特に両親の価値観と対応で、
がんばりきった自分を認めることで、
その後の人生が有意義になることはいくらでもあるからです。
子どもの人生は、親を納得させるためでも、
親を安心させるためにあるのではない、ということ。
そして、もし、この記事を読んで、
ご自分が親の期待に沿って生きてきたために、
生き辛い、と感じているとしたら、
その傷や思い込み、判断をさっさと解放し、
ご自分の手にご自分の人生を取り戻しましょう。
また、これまで、お子さんに枠をはめてきてしまった、
傷をつけてしまった、という心当たりのある、
気づきのある大人の方は、