「…ポンコツ記者会見」というタイトルで流れてきた記事で、呂律の回らないおじさんが必死に選手の名前を呼んでいる動画を面白い!とシェアしたり、ウケるね!のボタンを押しているのを見かけたんだけど
チョット胸が痛かった。
想像してみて欲しい。
それ、もし自分のお父さんやおじいちゃん、そして息子だったら、そして自分自身なら、同じように笑ったのかな?
例えば、このおじさんが前日飲み過ぎちゃって、二日酔いで呂律が怪しいとかだったら、
おいおい、何やってんだよ〜w
なんていじっても愛があるかもしれない。
でもこのおじさんは一滴もお酒は飲めないんだそう。
だとしたら極度の緊張か、もしくは脳梗塞の初期症状などの不調が有ったのかもしれない。
どちらにしろ、人の失敗やどうしようもできない体の反応を嗤うのは、愛が無いなぁと私は感じる。
皆んなに悪気が無いことも伝わってくる。
深く考えず、ただその様が面白いから笑った。
きっとそんな感じなんだと思う。
だけどそれって、子どもが悪気無く
自分と違うもの人を差別して
変だ、おかしい
って笑うのとどう違うというの?
私達大人はそんな場面にでくわしたら、一緒になって指差して笑うの?
違うよね。
私ならそれは人として恥ずかしいことだからやめなさいって叱ると思う。
彼の人となりや行いがどうかは関係ない。
私達はテレビに映っている人や公人は無条件で
この人には何を言っても良い、と判断して、悪気なく傷つけがちだと思う。
なぜなら、
「私は相手に比べて弱者で力も無いから、多少矢を向けても、相手には痛くも痒くも無いだろう」
という驕りが有るのだと思う。
有名税なんて意味のわからない言葉もあるね。
もしくは
画面に映る相手は二次元の存在で、そもそも自分と同じリアルに生きる人間という認識も薄いのかもしれない。
だけどそれは真実じゃない。
私達は一人一人とてもパワフルな存在だし
画面の向こうのおじさんとも有機的に繋がっている。
私達には自由意志を使って望む世界を創っていく権利と責任がある。
嘲笑のカルマに堕ちた世界か
愛に満ちた世界か
どちらを選ぶかはあなた次第
大袈裟だと思うかもしれないけれど
今、そこをしっかり腑に落とし込んでいって欲しいと思う。
あなたが愛を選ぶなら、皆んなが幸せに生きていける世界を、そろそろ本気で創っていこうよ。
一緒に( ´ ▽ ` )
こんな風にw