タコカラとショットグラス? | フルドウグ Curio

タコカラとショットグラス?

ネジが外れね~。




無理。






久々にタコカラ入荷しました音譜

タイトルだけ見てるとうまそうでしょ(笑)



伊万里の蛸唐草の蕎麦猪口
アンティーク&リサイクル「ドウグヤ」 
売るか使うか悩みどころ('-^*)/












たぶんロシアのショットグラス
アンティーク&リサイクル「ドウグヤ」 
船乗りがウオッカとか飲んでたのかな?







ロシア繋がりで本日入荷の

マトリョーシカ
アンティーク&リサイクル「ドウグヤ」 


小さいこの方がシュールな感じがする。
アンティーク&リサイクル「ドウグヤ」 


マトリョーシカという名称は、ロシア女性の名前からきている。胴体の部分で上下に分割でき、中には少し小さい人形が入っている。これが何回か繰り返され、人形の中からまた人形が出てくる入れ子 構造になっている。入れ子にするため腕は無く、胴体とやや細い頭部からなる筒状の構造である。6重以上の入れ子である場合が多い。

それぞれの人形には女性像が描かれているのが本来のものであるが、大統領 など有名人が描かれたものや、動物など人間以外のものが描かれたものなど、絵柄は各種に広まっている。

1900年パリ万国博覧会 で銅メダルを受賞したのを機会に、ロシア各地でいろいろなマトリョーシカ人形が作られるようになり、ロシアの民芸品、みやげ物として知られるようになった。パリ万博以前の歴史はそう古くはないようだが、そのルーツとなるものはいくつかの説が挙げられている。日本にもマトリョーシカ人形と同じ作りで、だるま などの入れ子人形がある。

  • 1890年代半ば、モスクワ郊外に住むS. I. マーモントフ夫人と画家S. V. マリューチンとザゴルスクのろくろ師V. ズビョズドチキンによって、モスクワの工房「子どもの教育」で制作されたという説。
  • 19世紀末、箱根 にあった正教会 の避暑館にやってきたロシア人修道士 が、本国への土産に持ち帰った箱根細工の入れ子人形(こけし・だるま・七福神)がマトリョーシカのもとになったと言われている説。
  • 日露戦争で、愛媛県・松山捕虜収容所のロシア兵が愛媛県の郷土玩具の一つ、姫だるま をまねて作ったという説。

なお、日露戦争1904年 から1905年 の出来事であるため、3の説は1900年にパリ万博でマトリョーシカ人形が銅メダルを獲得している事実と明らかに矛盾する。日本ユーラシア協会では、1・2の説を採用している(外部リンク参照)。

マトリョーシカの第一号が飾られているセルギエフ・ポサード (旧・ザゴルスク)の博物館には「実は日本に教わった」という縁起が記されており、隣にはモデルとなったとされている箱根七福神 の入れ子人形も展示されている。[1]

らしい。

眠いので帰ります。

紹介したコレらは全てやまいち に持って行きます。

準備が終わってないけど.......。間に合うの?

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