僕は こうしてこの儘、故郷へ運ばれて行くことを嬉しく思った。
そにうちに幾何もなく日は暮れていった。
汽車は、この哀れな 心の惑乱した 落ち着かない 数限りない罹災者を乗せて
喘ぐが如く闇の中を走った。
或る時は、余りに沢山に詰め込んだ為か 又
ムレムレと空気が淀んで、罹災者は 息苦しさにわめいた。
*
汽車は、田圃中に暫く止まり そうしては、又進んだ。
そうしている内に、僕は 用を足したくてならなかったが、
大宮で止まったので、降りて
用事を済まして戻ってみると
先程、乗ってきた汽車は ここで折り返してしまうとのこと
困ったなぁと思っていると、
誰かが、向こう側の汽車が 長野の方へ行くのだ、 と云うので
確かにそうかも わからないが、夢中で乗り込んだ。
そして
動き出したが、どうやら 長野の方へ向かうことに間違いないらしい。
*
身体が非常に疲れていて場席も無い所へ、うずくまって眠ってしまった。
どの位だったか、
目の覚めた時は、碓氷峠へかかっていた。
*
夜が明けていて、間もなく軽井沢の駅。
それからの駅は、各駅毎
婦人会の者、その他大勢の人がいて
果物、その他色々な品物を避難民に渡してくれた。
*
その後、どの位たったか・・・
僕は、長野駅へ降り立った。
完
【あとがき】
この文章は、ボクの母方の祖父が19歳の時に遭遇した「関東大震災」の時に綴った手帳を
平成4年ごろ、母が ワープロで製本したものです。
あらためて、今回ブログにアップしていって もし、この時祖父が
家に帰らず、東北や関西に向かっていたら ボクや母は生まれなかったと思うと
ちょっと感慨深いです。
思う所は色々あって、紹介しましたが
あえて、その思いは 書かないでおこうと思います。
ここまで、付き合って この記事を読んでくださった方に
感謝いたします。
ありがとうございました。
