関東大震災の記~vol.20(最終回) | 風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

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低音に我が身ユダネル日々在りき(笑)
創作活動の記録
なんとなく のほほん・・て、感じッス。

(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)


僕は こうしてこの儘、故郷へ運ばれて行くことを嬉しく思った。

そにうちに幾何もなく日は暮れていった。


汽車は、この哀れな 心の惑乱した 落ち着かない 数限りない罹災者を乗せて

喘ぐが如く闇の中を走った。


或る時は、余りに沢山に詰め込んだ為か 又

ムレムレと空気が淀んで、罹災者は 息苦しさにわめいた。



汽車は、田圃中に暫く止まり そうしては、又進んだ。

そうしている内に、僕は 用を足したくてならなかったが、

大宮で止まったので、降りて

用事を済まして戻ってみると

先程、乗ってきた汽車は ここで折り返してしまうとのこと

困ったなぁと思っていると、

誰かが、向こう側の汽車が 長野の方へ行くのだ、 と云うので

確かにそうかも わからないが、夢中で乗り込んだ。

そして

動き出したが、どうやら 長野の方へ向かうことに間違いないらしい。



身体が非常に疲れていて場席も無い所へ、うずくまって眠ってしまった。

どの位だったか、

目の覚めた時は、碓氷峠へかかっていた。



夜が明けていて、間もなく軽井沢の駅。

それからの駅は、各駅毎

婦人会の者、その他大勢の人がいて

果物、その他色々な品物を避難民に渡してくれた。



その後、どの位たったか・・・

僕は、長野駅へ降り立った。









【あとがき】

この文章は、ボクの母方の祖父が19歳の時に遭遇した「関東大震災」の時に綴った手帳を

平成4年ごろ、母が ワープロで製本したものです。

あらためて、今回ブログにアップしていって もし、この時祖父が

家に帰らず、東北や関西に向かっていたら ボクや母は生まれなかったと思うと

ちょっと感慨深いです。

思う所は色々あって、紹介しましたが

あえて、その思いは 書かないでおこうと思います。


ここまで、付き合って この記事を読んでくださった方に

感謝いたします。

ありがとうございました。


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