現実を構成するものは
脳科学的に捉えると
自分(の脳)に在るもの。
自分に無いものは認識しない。
つまり
現実は
『どこまでいっても自分(に在るもの)』
『どこを見ても自分(の構成物)』。
だから
嬉しいことも
認めたくないことも
「私の脳に在るもの(在ったもの)が
映っているとしたら?」と
自問するようになりました。
その時の「私」とは
脳の性質上
過去、今、未来の
時系列は関係なく。
家族、友人、仕事など
主語や目的語は関係なく。
どこまでいっても
「要素(材料)」であって。
この仕組みから
脳が創る現実は
「責め」が在ると
自分を責める⇔人を責める⇔責められる
「攻撃」が在ると
人を攻撃する⇔人から攻撃される⇔細胞や組織から攻撃される
「奪う」が在ると
時間を奪う⇔思いがけない出費⇔機会を奪われる
「不足」が在ると
文句を言う⇔クレームを受ける⇔不十分な環境
「充足感」が在ると
与えられた⇔与えた⇔認められる 等
『要素』が
時間や人を差し替え
現実として
映し出されていくことが
分かってきました。
見るといいのは
『出来事』そのものでも
『病気』でも
『問題』でも
『人』でも
『社会』でもなかった。
現実を
創り上げる
そして
創り変えられる
元(もと)。
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