ナリ心理学で「一年を捨てる」
を知ってちょうど3週間。
私は
壮大な期待
をしていることに
気づいてしまった、、、!!!
最近、絵本作家ののぶみさんの
YouTubeをよく観ている。
のぶみさんが胎内記憶について
話していて興味深く聞いている。
そしたら、ノートを書いているとき
ふと思った。
「私はお母さんを助けたくて
生まれたんだなー」
「私は自分のことを
無力だと思っていたけど
それは、私のやり方で
お母さんを変えられなかった
というだけで、
本来"人を変える"という
無茶なことをやろうとしていた
だけかもしれない」
「なんだか生きづらいのは
"人を変えなきゃいけない"
という前提を
潜在的に握りしめているのかもしれない」
「自分自身を変えなきゃいけない、と
強く思っているのは、
生まれてきた時の"お母さんを助ける"という強い感覚と、
それなのに変えられなかった
無力感が
そうさせるのかもしれない」
そう思った。
私は胎内記憶はないし、
「子供は親を選んで生まれてくる」
ということには
そうだったら
ロマンがあるな、とは思うけど
私はそこには
重きを置いていない。
ナリくんは「親を選んで生まれてこない」
とYouTubeかどこかて言ってたな
だけど、私がお母さんを
「助けなきゃ」と思って生まれた、というのは
私が大人になって母から聞いた話
「同居での姑(私の祖母)との生活が
辛すぎた」
という話から
私が導き出した答えで
母を助けたい、という感情
母を変えなきゃ、という感情
を今も握りしめていることの
合点がいくから
私はその答えを
採用することにした。
そうなると、
私は、
無意識に
母は私によって助かる
という期待
助けられない場合は
母を助けられる自分に
変わる(変わらなきゃ)
という期待
これを無意識に
いつもしていて
且つ、
その前提があるもんだから
回りの人全てに
これを採用していて
旦那を変えなきゃ、
旦那は変わらなきゃ
子供たちを変えなきゃ、
子供たちは変わらなきゃ
あの人もこの人も
変えなきゃ、
あの人もこの人も
変わらなきゃ
いけない
と潜在的に思っていることに
気づかなかった。
いくら、一年を捨てる
とやっても
この前提に気づかなきゃ
「期待しない」が
薄っぺらい上部をなぞるだけに
なるところだったと思う。
だから、私は
「人は変わらなくていい」
と思うことを決めた。
採用した。
そしたら、
めっちゃ
楽になった。
人へのジャッジが
少なくなった。
私は、自分への、
人へのジャッジを
どうしてもどうしてもどうしても、
やめられなかったんだ。
やっと、やめられそうだ。
ここにたどり着いたのは、
ナリくんのこのブログを知ったお陰。
私の人生を変える出来事だった。