「精武門 / FIST OF FURY」

 9月になったのにも関わらず今日も無茶苦茶暑かった。長く続く猛暑日。小学生の頃、図書館で読んだ本の一遍。我々が大人になる数十年後、エネルギー資源とした石油を始めとした燃料は無くなり、地球温暖化が進み猛暑日が多くなり気温が50℃に近づく。そして北極や南極の雪が解け海水が上がり大地は海に覆われ多くに人類は滅びて少数の富裕層は宇宙に移り住む。将来に夢は無い・・たしかそんな感じだったかな。石油に関しては推定まだ50年は大丈夫と言う話の様だが減少して無くなるのは変わらない。次世代のエネルギーが太陽光なのかバイオマスかは分からないけど、資源の減少か技術の向上か?どちらが先かといった所か。地球温暖化に関しては上記に記した石油を始めとする燃料の燃焼が気候変動を起こしているとなれば30年も40年も前から予測されていたストーリーが現実に進んでおるのは間違えなさそうだ。二酸化炭素の排出量を少しでも減少させようとするパリ協定に関してもアメリカの離脱や全世界で積極性を持って中々推移していない状況下を見ると数十年後の水不足や食料の問題が今よりも深刻になるのも想像通りになってしまう。「異常気象」。そう「異常」である。正常でないという事だ。新型コロナウイルスが猛威を振るった状況下も正常で無い。色々な正常でないことが数多く「今」起こっている。その様な事を誰かのせいにしたりして過去を追って検証するのは今更ナンセンスとは思うが、今現状に立たされている現実の情報はきちんと理解し更に何かが起きた時に対策できる「知識武装」は絶対に必要。「無」ではない何かを常に得ておきたい。
 異常と言えばガバナンスやコンプライアンスという言葉に踊らされてメディアや世論で猛威を振るっている度を越えた正義面も正常ではない。間違えや失敗を絶対に許さない風潮。一度の失敗が人生の離脱を強制されるような空気感。勿論、犯罪や人の心を傷つける事は許されるべき事では無い。しかし、被害者でも何でもない方々での度を越えたバッシングを更に人の感情を超えた過度なバッシング。人の善悪・良否・価値観を逸脱する事を集団心理で打ち砕く現勢。確かに間違えではないとは思うが、何かが正常では無い感覚を感じてしまう。違うやり方があるのではと。正解が一本道でしかない現状は正直つまらない。人生を謳歌する環境では無い。少なくとも世論は。正常ではない。

 感情で物事を言うことが出来なくなった。あ、出来なくなったというのは語弊で、自分自身も風潮に流され、場面によって感情的な思考を閉じ込めるようになったのが正解。また正しいと信じて疑わない事も言葉にしたり指摘したりする事を言及するのも躊躇することが多くなった。人の善悪・良否・価値観を逸脱する事を集団心理で打ち砕く現勢に流されているのだと思う。そのような時そんな自分の事を限りなく「くそったれ」と思う。それは建設的になれない絶望と不満の塊だ。
 ただ自分には自分の声を文章や言葉にして伝える事の出来るバンドという舞台を備えているのが救い。ここでは嘘をつけないし嘘をつかない。世論から見て正しいか間違えているかなんて関係ない。また感情的に物事を伝える事が出来る場所。好きだからココに居る訳ではあるが30年以上ココに居られる環境は当たり前ではない。ありがたいと正直に感じる。そして「くそったれ」な自分を唯一救うことが出来る場所である。
 ここの所タイミングで映画を観る機会が少なくなってしまっているが、感情的になりたいときに必ず観る映画がある。

「精武門 / FIST OF FURY」

 邦題「ドラゴン怒りの鉄拳」だ。自分が産まれた1974年に公開された作品。この時点で主演のブルース・リーは残念ながら亡くなっているが、日本では空前のブルース・リー旋風が巻き起こる前夜に作成された。1910年代の中国が舞台。敵は日本。そんな時代背景であるが、ストーリー編成はどうでも良い。情熱を生み出す映画。古き良き時代とまで言いたくないが、人が感情的に建設的な作品をシンプルに打ち出すことが出来る時代に作成された。何よりも人間の向かうべき可能性と失望が交差し現在観ても色々学ぶことが多い。
 ラストシーンの刹那的な描写。何よりも美しいストップモーションは永遠。
ここには「勢力」も「反体制」も「正義」も「悪」も無い。ヒロイズムの中で人生を掛けて責任をとる「漢」の姿だけが存在した。